静寂の馬車
※残酷な描写がございます。ご注意ください。
「話があるんじゃなかった?」
「次の村までは少しあるから、話すか」
オットーが手綱を動かすと、馬は歩みを緩やかに変えた。
「よかったら、ずっとここに居てくれないか?俺たちにとっても、ヴィクターたちにとっても、最善だと思うんだ」
ヴィクターからオットーの顔は見えず、表情を伺い知ることはできない。無言の時間が否定を示す。
「そうか。だけど、どうしてだ?俺から見て、ヴィクターにそこまで旅への欲求があるようには見えないし、ここでの生活も気に入ってくれていると思っていたんだけど」
「心地いいことは確かだけど、ずっとは居られない。この世界を旅することが僕の夢だから」
「夢を語る人はそんな顔しないじゃないか?」
オットーの瞳に映る男の顔は追い詰められような、今にも逃げ出しそうな悲壮感を駄漂わせていた。
「無理に話せとは言わない。俺の方がいくつか年上だから、話したくなったら聞くから」
二人を乗せた馬車は進む。荷物と静寂と共に。二つ目の村でも同じように歓迎され、クソドリの装飾品と少しの酒類を渡した。三つ目、四つ目も同様に、五つ目からは作業になっていた。
無言の空間も慣れれば苦にならないようで、二人は車輪が石を跨ぐ音に耳を傾け、空虚な時間を過ごされる。木々で鳥がさえずり、太陽は傾きを始めた。また一つ、二つと積み荷の箱は減り、残るはただ一つとなった。聖女傘下の中でも最も王都から離れた場所にあるその村は、昔から清らかな湧き水を守る美しい村だった。
今となれば見る影もない。虚ろな目。おかしな方向に曲がった足。肉の隙間から見える肋骨。食卓に転がる赤子の首。割れた頭からは脳みそが覗く。脱がされた服。裂かれた股。井戸は赤黒く染まり、中には裸の若い女。転がる眼球。飛び散った肉塊は数えきれない。寄り添う男女の左手薬指は切り取られている。四肢をもがれた男の傍では、重い腹に刃を突き立てられ妊婦だったものが。死臭につられたのか、動物が男も女も子供も大人も区別なく貪った痕が残っている。
ヴィクターはたまらず胃の中のものを吐き出した。氷のような目で惨劇を眺めていたオットーも口を手でふさぐ。胃の中のものを出し切った後は、胃酸を吐き出す強烈な不快感に襲われた。何度も、何度も吐しゃ物で地面を床を穢しながら、血みどろの地獄を歩く。目を瞑るヴィクターを視界に入れながら、オットーは死体を、血だらけの家を探る。大人として恰好をつけたところで耐えられるものでもなく、しばらく続けたところで地面に突っ伏し激しくえずいた。
二人は無言で戻り、先程までとは違う静黙が馬車の中を支配した。オットーは村へと帰える道とは反対に馬を進ませる。
十分か二十分か、たどり着いたのは陰鬱とした空気を漂わせる小さな森だった。無言で降りるオットーに続きヴィクターも物音を立てないように慎重に地面へと立つ。
錆びた金属を無理やりに動かしたような、皮を引きちぎるような音が二人の四方八方から響く。一部が赤黒く醜くさを強調する得物を掲げた血まみれの男たちが襲い掛かる。
オットーの美しく手入れされた剣は、時間が経つごとに赤い化粧で色気を増していった。ヴィクターに振り下ろされた一筋は、魔力で重く固くなっている魔剣によって防がれる。鍔迫り合いが続くことはなく、すぐにオットーの剣が男の胸を貫いた。ヴィクターが防御し作った隙にすぐさまオットーが止めを刺す。半刻ほどで全員が息絶えた。全身を赤く染め上げ赤い血の海に立つ。
再び胃酸をまき散らすヴィクターに対し、オットーは動揺一つ見せず、盗賊たちの死体を乱暴に漁り、盗品がまとめられてる革袋に丁寧にしまい、馬車に戻る。胃酸すら出し切り、吐き出すものさえなくしてしまったヴィクターもそれに続いた。
岐路を進む馬車は物音一つない静寂であった。
どこまでも、いつまでも続くと思われた粛然はついに破られた。
「どうして殺したの?」
人気のない街道に響くだけで返事はない。
「オットー!!どうして殺したんだよ。オリビアはこんなこと望んでない。どうして……」
沈黙を守り続けた男の口が開かれる。
「あの村には友達がいたんだよ。一緒にやっていこうって約束して、それがやっと最近叶ったのにこんなことってあるか?俺だって相手が誰だって殺しはしたくない。だけど…………。無理だ……。お嬢に合わせる顔がない。それよりもヴィクターに謝らないと。最悪なことに加担させた」
「僕のことはいいよ。楽しい再会になるはずだったんだよな。あの村の箱だけ二つあるし、小さいこっちは友達用の個人的な物だよね」
「ああ」
「事情を伝えたらオリビアも悪くは言わない。帰ってしっかり話そう」
「ごめんな。ヴィクターの話を聞こうと思ってたのに。俺が慰められてる。年上失格だ」
再び静寂が訪れた馬車の中でヴィクターは考える。思いのほか残酷な世界を。自らがここに居る本当の理由を。
(冒険したい、領地のごたごたに巻き込まれたくないって、出てきたけど。ほんとにそうだったけ。ファンタジー小説はよく読んでたし、転生してからも冒険譚を読むのは楽しかった。だけどもし、普通の家に生まれてたら。死ぬかもしれない旅に出てたのかな)
ヴィクターの脳裏に浮かぶのは、認めたくない事実。
(逃げたかったから自分に嘘ついたのかもな。旅である必要はなかった。逃げれればなんでもよかったのかも)
疲弊した精神は考えをマイナス方向に引っ張る。
(本心でもない、遊びみたいな旅なら、早めに区切りをつけてやめてしまっても……)
一度は断ったオットーの誘いが徐々に存在を大きくしていく。
「「あの、」」
「オットーからどうぞ」
「ありがとう。ヴィクター、お嬢が望めば旅に連れて行ってくれないか?」
村に残ることを伝えようとしていたところに告げられたのは、それとは正反対の申し出だった。
「どうして?オットーは僕たちに村に残ってくれって」
「本当にそう思ってたんだ。だけど、ヴィクターさっき旅をやめようと本気で考えてただろう。その時の表情がどこか寂しそうで、ここで俺が辞めさせたらダメだと思ったのが一つ。もう一つはお嬢が旅に出たがっている気がするんだ。勘だけど」
とても本心と思えない取ってつけたような理由でも、ヴィクターが追求することはなかった。
「絶対後者が本命で、僕の表情ってサブの理由でしょ」
「よくわかったな」
「オットーのことなんとなくわかってきたからね」
「それで、どうだ?」
「今は気分が落ち込んでて、しっかり判断できないと思う。オリビアの話もしっかり聞きたいし、レオンとも話さないといけない。返事はまた後ででいいかな」
オットーはニヤッと白い歯を見せた。
「その返事がもらえれば満足だ。いい答えを期待してる」
空元気だとしても、いつもの調子を取り戻したことに安心して、ヴィクターは笑顔でグッドサインをした。
あちらこちらに、血をつけた馬車は思いのほか和やかな空気で村へと帰った。
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