王都への旅路
「ヴィクター殿、それじゃあ出発しますが、よろしいですね」
初老の男が馬の手綱を握る。
「ああ、頼む」
日が登りきる前、まだ空が暗さを残している時間。一台の馬車が領都ヴァイザーブルクの城門を潜り街道を進み始める。
アムガルト領第二の街にして伝統文化の集積地ミロシニアを通過し、その先ウィテルナで馬車は止まる。
「真っ暗になるまでにあと一つ先の町に行くことは可能ですがいかがしましょうか」
「ここで一泊して明日の朝早く出発しよう。レオンもそれでいいな」
「もちろん、そこまで急ぐたびじゃない。安全に行こう」
ウィテルナは南部諸都市と王都を結ぶ主要街道ヴィクトル街道に沿った典型的な宿場町であるだけでなく、清らかな湧き水から作られる美酒を特産品とする酒好きの聖地でもある。
「いやー、お二方がここで止まってくれてありがたいです。私無類の酒好きでしてね。御者としていろんな地方に赴くたびに飲むことを人生の楽しみにしているんですよ。どうですかな?」
「いつの間に酒を出したんだよ。俺たちさっき着いたばっかだよな」
「衛兵に少し多めに渡せば大抵譲ってくれます。旅の知恵ですよ」
「賄賂じゃん」
今にも器に酒を注ぎ渡してきそうな御者の男にヴィクターは首を振り拒否する。
「あら、ヴィクター殿は飲まれないのですか。若い旅人の方は飲まれる印象があったので意外ですな。レオン殿はどうですか」
「うーんそうだな。せっかくだし少しいただこうかな。ヴィクターは何で飲まないんだ?ウィテルナの酒飲まずして酒は語れないと言われるほどの名酒だぞ。年齢のことを気にしてるならもう十五なんだし問題ないだろ」
『お酒とタバコは
「僕はいいよ。もう少し大人になった時の楽しみに置いておくよ」
「強要はだめだしな。もったいない」
「馬車の中で一杯ってのもいいものですが、宿でゆっくり飲む酒も絶品です。今晩の寝床を探すとしましょう」
道を知り、旅を知り尽くした男による宿選びはさすがの一言であった。
「こんなに広々としてて
「しかも掃除も行き届いていて綺麗だし、ベッドも悪くない。美酒にいい宿。最高の旅だぜ」
「装備と食費に御者、馬車代で残り二人合わせて半分切ってる。ほとんど装備のせいだけど。王都についてからのこともあるんだし、無駄遣いと贅沢のし過ぎには気をつけないと」
「それはそうだけどよ。偶然手に入れたお金なんだし、ぱーっと使ってなかったことにした方がいいと俺は思うけどな。ヴィクターの好きな冒険譚にそんなケチケチした男は出てこないだろ。そういうことだ」
「そうか。あれ、なんだか誤魔化されてるような」
完全に丸め込まれているヴィクターも話しながら瓶一本飲み終えたレオンも旅の疲れには抗えず。ベッドに倒れこみ泥のように眠った。
翌朝、昨日の言葉を後悔しながら目をこすり二人は馬車に乗り込んだ。
「朝早くなんて言わなきゃよかった」
「よくこんなに早いのに眠そうじゃないな」
御者はてきぱきと準備を済ませ早朝であることを感じさせない。
「長年の旅で私が感じた旅の極意を後輩に教えるとしますか」
二人は唾を飲み込み続く言葉を待つ。
「それは、いかに眠れるかです。どんな強者も寝首を搔かれればあっけなく死んでしまいます。かといって眠らなければ人は生きていられません。ですので寝たいときに寝たいだけ寝る。これができるようになれば旅は格段に安全に快適になりますね」
「いわれてみればそうだな。そういえば伝説に残る勇者にも寝てる最中を襲われたって話があったような」
「そうですね。接近する音ですぐさま飛び起き、寝起きとは思えない鋭い一閃を放ったとされていますな」
「ヴィクトルとヴィクター、名前は似てるのに寝起きの良さは全然違うみたいだな」
「うるせぃやい」
ウィテルナを予定通り出発した馬車はいくつかの村を通り過ぎ、鉱山街ゴルデンブルクで止まった。
「しばらく馬を休ませます。あと一刻もすれば中央の鐘がなると思うのでそれがなったら戻ってきてください。この先しばらくまともな料理を提供する店はないので、ちょっと早いですが昼食もすましてきてください」
「「はーい」」
(なんか、既視感があると思ったらこれ団体旅行だ。サービスエリアでバス降りる感じ)
「なあ、なんか俺が思ってた旅と違う気がするんだけど。めっちゃ安全だし至れり尽くせり」
「旅慣れてない僕たちじゃ王都に着くまで何日、何か月かかるかわからないし、忘れそうになるけどどっちも追われる身なんだから、はやく南部を離れて人に紛れられる王都に行かないと」
「それもそうだな。楽な旅を堪能するとするか」
鉱山街らしく道を歩けば筋肉質の男たちが服の汚れを勲章のように見せびらかしている。食堂と思わしき店を何軒か覗くも、ほとんどがムキムキ店主にムキムキの客でいっぱいという様子だった。あまりにも暑苦しすぎると二人が最終的に選んだのは、優しそうな男が仕切る小さな食事処だった。
店主は見た目通り優しく、パンとスープ、そして少しの焼いた肉も素朴なおいしさで十分な満足感を二人に与えた。それと同時にこのボリュームで労働者にはうけないだろうなとも感じさせる量だった。示し合わせたかのように二人は料金より多くを店主に渡し、返されまいとそそくさと早足で店を出た。店主が握るコインの違和感に気づいたときにはすでに背中が小さくなっていた。ほとんど会話らしい会話もしていない二人の少年の優しさ。そして娘ほどの年齢の子に施しを受けた自らの不甲斐なさに涙した。
この男はのちに何の縁かヴィクターの故郷ベルネット領都で店を出し大変繁盛するのだが、それはまた別のお話。
景気よく鐘が鳴り響き午後の訪れをあらゆる者に告げる。ある炭鉱労働者はつるはしを握り炭鉱の中へ入り、ある食堂の店主は夜の仕込みを始め、代官は書類との睨めっこを再開する。意にも介さないのは働くことの叶わないけが人、病人、そして旅人ぐらいだった。
安全で楽な不自由な旅の途中であるヴィクターとレオンは鐘の音に気付くと集合場所へと向かった。そこにはすでに出発の準備を整えた御者の男が待っていた。
「珍しいですね。遅れる旅人が多いのですが。予定通りに出発できるので助かります」
二人が乗り込んだことを確認すると馬車はゴルデンブルクを出て再び街道を北上し始める。
次に向かうはヘルトシュタット。はるか昔に世界を救った勇者伝説の残る町。
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