はじめての収入
巨大な肉塊を前に途方に暮れたヴィクターは、そのままにはしておけないと中央城門の衛兵詰め所へと向かった。
「かくかくしかじか」
「あっはい。分かりました。数人騎士を向かわせますので、少しお話しいいですか?」
身分の偽造に街への密入出、問われればアウトな犯罪を犯しているヴィクターにとって不都合であったが、もはや回避は出来そうになかった。ヴィクターが応じるそぶりを見せると騎士は身分を証明するものを求めた。
ギルドの商会証がうまく効果を発揮することを祈り騎士へと差し出す。
「ギルド関係の商会の方でしたか。でしたらクレイジーボアは直接ギルドに運びましょうか」
(あの大猪そんな名前なんだ。変なことで疑われたくない。ここは話を合わせよう)
十数年の学生生活を送ったことがあるヴィクターにとって空気を読んで誤魔化すなんておちゃのこさいさいだった。
「はい。それでお願いします」
いくつかの問答を経て解放されたヴィクターは、暗くなった通りを宿に向かって北に歩き始める。
合法的に街に入ったからといって何か特別な感覚になることはなかった。 宿に着くと夕食の時間は既に終わったようで一階は閑散としていた。
ヴィクターはしばらくの寝床となる部屋に入る。そして前世でもベルネット家でも恵まれていたんだなと思った。そう思えるほどに今のヴィクターの帰る場所は狭く埃っぽい所だった。
ぐぅぅぅ
心がどれだけセンチになっても体は正直なようで、ヴィクターのお腹は大きな音を鳴らした。
「これでも食うか」
帰り道に買ったパンのような固い何かを口に近づける。もちろん高級食パンのようにふわっとした食感はなく、力を入れて何とか引きちぎる。ひとかみするごとに味は広がらず、無が口中の水分を奪い去ろうとする。何とか飲み込んでも後味はよくない。水を飲みながら食べ進めること半刻。不幸せの味と共にヴィクターは眠りについた。
翌朝。薄いタオルを押しのけ、固いベッドから起き上がったヴィクターは、大猪の件を処理すべくギルドに向かう準備をする。
どうやらよっぽど疲労が溜まっていたようで、日は昇ってから時が経っていそうだった。ヴィクターは他の客がすでに出て行ったであろう食堂で、主人の面倒くさそうな顔を無視しながら朝食を済ませた。
ヴィクターがギルドに到着しガラガラの窓口に近づくと、昨日と同じ職員が何かを探すようにキョロキョロとしているのが見えた。
「何か探してるんですか?」
一瞬目を大きく見開いた職員は一転安堵の表情になる。
「ギルド長がヴィクターさんが来次第部屋に案内するように言われていまして。それ自体はよかったですけど、時間が経つとまだかまだかと頻繁に確認しに来るんですよ。あの顔と声で」
「すみません……」
いかに面倒だったかまくし立てる職員にヴィクターは謝ることしかできなかった。
ギルド長室に入るとグスタフは昨日と同じ豪華なソファに腰かけ書類を弄っていた。ヴィクターの入室に気づくと手に持つ書類を放り投げ早く座るように催促した。
「お待たせしていたみたいで」
「待ったのは確かだが、約束してたわけじゃねぇんだ気にすんな。こんな話はまあいい。昨日の晩、ギルドに運び込まれたクレイジーボアはお前さんが近くの森で狩ったもので間違いないんだな」
「通りで買った剣の試し切りをしたら大猪が出てきたので倒しました。あれがクレイジーボアであってますよね?」
「ああ。図体がでかいだけでなく、魔法耐性があったり、賢かったりするもんで、ギルドの依頼でもよく死者、負傷者が出る凶悪な奴だ。森の入り口で遭遇したんだよな」
「はい」
グスタフは手を顎に当てて、思案を始めた。立ち上がり、自分で散らかした書類を拾って読んではまた放り投げる。
魔力の湧出点を持ち、それを中心に魔物を発生させる魔の森。魔物は魔力が濃いほど強大である特性と、湧出点を中心に魔力は散らばり薄くなる特性から魔の森はその外側であればあるほど安全なはずであり今回の件は明らかに異常だと言える。
何かを思いついたようで、ソファに座りなおすと先ほどまでより低く丁寧な声で話し始めた。
「クレイジーボアの目撃報告を見ると、日を追うごとに森の奥から手前に向けて近づいていたようだ。偶然ヴィクターが居て倒してくれたからいいものの、下手をすれば城壁、さらには街までもが危険にさらされるところだった。ギルドの失態だ」
それからは早かった。グスタフはすぐに何人かの職員を呼び出しては書類を作り、命令と共に手渡した。建物の中では慌ただしく走る職員の足音と半分怒号のような声が響き渡った。
「ひとまず俺ができる対応はしまいだ。あとは部下どもが何とかしやがる」
背後に聞こえる喧騒なんて無いかのようにグスタフはヴィクターに向き合う。
「ところでお前さん。クレイジーボアを知らんということは……」
「もちろん、他のも詳しくないです。ドラゴンとか英雄譚に出てくるのは詳しいんですけど」
「貴族の坊ちゃんとして育ったならそんなもんか。はいよっ」
グスタフがヴィクターに一冊の冊子を投げ渡す。
「これは?」
「南部地方にある魔の森でよく見る魔物らの色々をまとめてあるやつだ」
ヴィクターは顔に似合わないこの男の優しさにキュンを感じて退出しようと立ち上がり、扉に向かって歩き始めた。
「おいおいおい。お前さん大事なもんを忘れてるぞ」
「大事なもの?」
「ギルドに納入されたクレイジーボアの料金はいらねえのか」
ごそごそとグスタフは懐を探り、コインの触れ合う音がする布袋を机に置いた。
「内臓、肉含め余計な傷がなくいい品質だったって聞いたぜ。うまいこと狩ったもんだ。全部合わせて
決め顔で言い終わると何が面白いのか大爆笑し始める。そんなグスタフを背にヴィクターは部屋をそしてギルドを出る。
ちょうど昼食時でにぎわう通りを歩き、串焼き、嚙みつき兎の煮込み、焼き立てのパン、蒸し芋、を買った。初めての収入を得た自分へのご褒美として、そして昨晩の固いパン、不機嫌な店主の朝食を上書きするかのように貪り食った。
腹を満たしたヴィクターは暇つぶしを兼ねてまた魔の森に入ることを決め、中央城門へと歩き出す。
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同じ頃中央城門詰所
「レオンハルト。昨日のクレイジーボアの件まとめておけよ」
レオンハルトと呼ばれた細見で燃えるような赤髪の少年は言われたとおりに書類をまとめ始める。
「俺たちは見回りに行く。見習いのお前たちは留守を守っておけ」
「「「「「はい」」」」」
見習い騎士であるレオンハルトたちは街中での帯剣を許されておらず、騎士たちが見回りに行くときにはいつも留守番だった。
その中でも真面目で誠実だったレオンハルトは次第に書類仕事を任されるようになっていた。騎士や見習いたちが不要無用と捨てた報告書も一つ一つ丁寧に読んだ。
「これは」
レオンハルトの目を引いたのは、彼らがイタズラだとまともに取り合わなかった一つの通報だった。
『しゃべる二つの生首を森で見た』
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