踏み出す一歩は不可逆で

 オリビアとの出会いと別れから五年の月日が経ち、ヴィクターはこの世界で一人前とされる十五歳を超えた。この五年で魔法、剣術共に腕を大きくあげ、ついにクロウの合格を得ることもできている。


 それはつまり家を出る時期についての約束は果たされていることを意味していた。メイドのマリーも渋々ながら納得しており、兄フリードリヒは協力的、あとはいつ実行するかという段階になっていた。


 数年にわたる激しい修行の結果、一部が禿げてしまった芝生でクロウがヴィクターに話しかける。


「ヴィクター様。最後にお聞きします。お気持ちは変わりませんな?」


「ああ。この領を出るよ」


「分かりました。約束は果たして頂きました。何も言いません」


 クロウは剣の柄を握る。


「これは老いぼれの遺言です。今から私が人生をかけて編み出した技をお見せします。習得は困難を極めますが、長い旅のどこかで必ず手にされると信じております。それまでは私の墓に参ることを禁じます。そして、手にされた暁には墓前に備えて下さい」


「分かった。約束は守るよ」


「それでは、旅の餞別です。一度だけお見せいたしましょう」


 そう言ってクロウは鞘から剣を抜く。


「この技の名は万象悉裂剣ばんしょうことわりをきりさくつるぎと申します。剣を一定程度修めた者は多くの場合、剣圧を感じることができるようになります。これはただの圧にあらず。更なる修練を積めば魔力のように力と変えることができるのです。これを更に更に極めた先で、切りたいと強く強く思うことで、本来切れないものでもそれに限り切ることができるようになります。私が切りたいと強く願ったのは空です。ではいきますぞ」


 上段に構えられた剣が強い圧を放ったと思えば、すぐに消え去り白銀の光へと変わった。


 大きく振るわれた白銀の軌跡をなぞり空間が裂ける。ズレた空間はもとに戻ろうと試み、その莫大なエネルギーに巻き込まれた木は幹を大きくゆがめ、終いには形を保つことができず四散した。


(事実上の防御不能攻撃……まじかよ)


 クロウは軽く一振りし白銀の光を払い、鞘へと納めた。


「もうひとつお節介を。貴族の子息が家を家長の許可なく出れば面子にかけても連れ戻させる事が多いです。多くの旅人が所属するギルドに登録する事も難しくなるでしょう。ですので何とかするようにと、アムガルト領ヴァイザーブルクのギルド長に手紙を送っております。まずはそこを目的地としてください」


「何から何まで助かる。こっそりと出ていくつもりだから、ゆっくり話せるのは多分これが最後だね」


「坊ちゃまがお生まれになった日が昨日のことのように思えます」


 クロウは瞳にうっすらと涙を浮かべ、しばしの間この十五年主人の子を実の息子のように孫のように可愛がった日々へと意識を旅立たせた。


 小さく一ひねりでつぶれてしまいそうな赤子がほんの数年で領地の財政を理解し、大魔法を行使し、剣術指南を求めてきた。自分の鍛錬にもくじけることなくついてきた。それがついに独り立ちして旅立っていく。クロウの心は幸福と充足感で満ちていた。人生の最後がこのような素晴らしき驚きと喜びの日々であったことに、そして自分を超える才能を鳥かごに閉じ込めることなく世に送り出せることに。


「本当にクロウには世話になったよ。ありがとう。行ってくるよ」


「いってらっしゃいませ。お帰りをいつまでもお待ちしております」


 フリードリヒは弟ヴィクターの部屋で庭で話す2人を眺めてつぶやく。


「次は俺の番かな」


 それからしばらく経ってヴィクターが部屋へと戻ってきた。


「待たせたね兄さん」


「出発の準備で忙しいだろうし、別れの挨拶は大切だ。気にするな」


「兄さんならそういうと思ってたよ。それで父上の様子はどう?」


「気づく気配は全くないな。予定通り来週には親戚の家で行われるパーティーに参加するみたいだ。その時なら領を出ることができる」


「ごめん兄さん。押し付けるような形になって……」


「気にするな。何度も領地経営を改めるべきだと進言したのに無視したのは父上だ。領地を継ぐ俺はともかくヴィクターまで巻き込むことはできない」


「ありがとう」


「度々手紙を出してくれ、なんの連絡もないと母上が悲しむ」


「分かった」


 兄弟の下手をすれば一生の別れは済んだ。悲しみの涙ひとつないものだったが、笑って仲良くやってきた二人にとっては十分過ぎるものであった。フリードリヒは手を振り部屋を出ていく。


「次は師匠のところに行かないと」



 エルナの部屋の戸がノックされる。


「師匠いいですか?」


「ああ。入っていいぞ」


「失礼します」


 ヴィクターが以前入ったときは書類や資料が雑多に置かれていたが、それらはきれいさっぱり片づけられ、まるで生活感のない部屋と変わっていた。


「ずいぶんさっぱりしましたね」


「王都魔法研究院に戻ろうと思ってね」


「どうしてですか?」


「ここを出るんだろ。弟子が居なくなるのに長々とここにいる必要はないってことだ」


 エルナは窓から外に目を向ける。あの日ヴィクターが穿った魔法の跡が今も痛々しい岩肌という形で残っている。


「課題だった魔力の調整もうまくなったし、特殊魔法の練度も高い。どのみち、私が教えられることはもうない。だが一つだけわがままを言わせてくれ。魔法使いの初陣による死亡率は対魔物で三、四割、対魔法使いで七割を超える。弟子を死地に送るのではないかと不安になってしまった。私と王都に来てくれないか?」


「すみません。僕はそれでも旅をします。師匠の教えてくれた魔法があればそう簡単にやられませんよ」


 エルナは修行の日々を思い出す。彼の力量を近くで見てきた者として、魔法のプロとして、その実力は申し分ないことは分かっていた。


「そうだな。お前は今まで教えてきた者の中で一番強い。自信をもって送り出そう。行ってらっしゃい」


「行ってきます」


 ____________________


 トラウゴットが領地を発ってから2日が経過した。


 日が落ちてあたりが暗くなり始める。ヴィクターは事前に用意していた小屋へと『瞬遷』でワープする。


 暗い部屋の奥からぬッと人影が現れる。


「さま……ヴィクター様」


 屋敷で寝ているはずのマリーが顔が接してしまいそうなほど近づいていた。


「近っ!ってマリー、どうしてここに?」


「本日出発されるだろうとクロウ様に聞きました。せめてお見送りだけでもさせてくださいませんか?」


 今にも泣きだしてしまいそうな彼女を放っておくわけにはいかなかった。


「ごめん。内緒にしてて。それじゃあ見送ってくれる?」


「行ってらっしゃいませ、ヴィクター様」


「うん。行ってくるよ」


 外へと歩き出したヴィクターに向かって伸ばした手はむなしく空を切り、せめてもの一言をと震える唇を開く。


「あのっ……」


「わかってる。いつになるかわからないけど、元気で帰ってくるよ。またね」


「はい!いつまでもお待ちしております」


 ヴィクターは小屋を出ると、目元を二度三度拭い街道を進む。屋敷が見えなくなるまで振り返ることはなく、走り続けた。


 暗闇と野生動物の声のみが支配する街道を進むものはヴィクター一人以外におらず、その無限の暗闇が明ける気配はない。


 道は徐々に細く荒れていき、足の疲労も限界に近づいていた。


 ヴィクターは林の少し開けた場所を見つけ、家から持ち出した寝袋を転がし入り込んだ。空を見上げると暗闇の中に光る星々、帰る場所も寝る場所もない不安と寂しさを初めて知った。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 本作をここまで読んでいただきありがとうございます!


 領地編(プロローグ)はこれで終わります。至らぬ点が多々あるとは思いますが、これからも『悪徳領主の息子に転生したから家を出る。泥船からは逃げるんだよォ!』をよろしくお願いします。


 次からヴィクター待望の冒険が始まりますッ!!


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