第26話:介錯

 標的であるオブジェクト、その影響によってゾンビになった戦闘員に包囲され、俺と上司である〈シュガー〉さんは車庫に逃げ込んだ。

 武器と弾薬はほぼ尽きたも同然、おまけにゾンビ野郎には撃ち込んでも効果はない。


 そして、ホラー映画、ホラーゲームでは定番の展開。

 ドジった仲間がゾンビになる、そんな不利な状況だ。



「すみません、アーマーに付いてたポーチに入れてたんですが……」


 さっきゾンビに組み付かれた時にポーチが千切れてしまったらしい。

 それはガスマスクを入れておく大型のポーチだった。それのポケットに予備のフィルター缶、つまりはガスマスクの重要な機能を果たすパーツが入っていた。


「そっか……じゃあ、ダメだねぇ」


 目の前にいるのは、普段お世話になっている〈シュガー〉さん。

 付けているガスマスクには損傷があり、いずれは……いや、もう機能は失われているかもしれない。


 外に広がる濃霧は標的であるオブジェクト[パウダースタチュー]によるものだろう。無線でも濃霧を吸い込むと処分、殺されることになると告げられていた。

 多分、シュガーさんはもう……吸い込んでいるかもしれない。


 ――いや、まだ助かるはずだ。


 ガスマスクのフィルター缶というのは、科学薬剤と一緒に文字通りフィルター素材が入っている。本来は密閉されて効果を発揮するが、多少の亀裂くらいですぐに使えなくなるなんてことはないはずだ。



 ならば、まだ時間はある。


 俺のガスマスクは無傷。フィルター缶はまだ使える。

 なら、シュガーさんのガスマスクと取り替えればいい。そうすればシュガーさんはなんとかなるはずだ。


 戦闘員としても、男としても、大人としても未熟。

 俺を散々助けてくれたシュガーさん、会社にも絶対必要だし。隊の精神的支柱でもあった。そんな人を死なせるわけにはいかない。

 その引き替えに、俺の命――――みんなのためならくれてやる。



「シュガーさん、俺……」


 拳銃をホルスターに戻し、自分のガスマスクに手を掛け――ようとした矢先、誰かが俺の手を掴んだ。


 ここにいるのは、俺とシュガーさんしかいない。

 だから、それは誰かと探すまでもない。



「ダメだよ、シロちゃん」


 俺の考えを見透かした、だからシュガーさんは止めるのだろう。

 自分のために命を捨てるな、そう言いたいはずだ。

 命の価値は平等ではない。俺なんかよりもずっと、シュガーさんの方が価値がある。



「これはこっちのミスだから」


「でも、あなたには……」


 たくさん助けてもらった。その恩を1つも返せていない。

 それができるのだとしたら、今この瞬間なのだ。


 

「ダメ、シロちゃんにはやることがある」


 俺の手を掴んだまま、自分の腰に手を伸ばす。

 ホルスター、そこからシュガーさんは自分の拳銃を抜く。それを俺の右手に持たせた。



「生きるんだ、簡単に死ぬことを選ぶんじゃない」


 普段の冗談を言うような口調ではない。

 その目は、声色は、真剣そのものだった。


 

「で、でも――」


 

「実は、もう手遅れっぽいのよ」


 はは、と乾いた笑いをするシュガーさん。

 次の瞬間、自分のガスマスクを外した。その裏側をこちらに見せる。



「フィルター缶だけじゃなくて、接続部もダメみたいなんよね」

 そう言って、ガスマスクを放り投げる。

 シュガーさんが言っていたことが事実かどうかはわからない。


 だが、これで俺は……



 間もなくして、シュガーさんが苦しみ出した。

 呻き声を上げ、膝を着く。それを、俺はただ見ていることしかできない。


 どうなるかはわかっている。この後すぐに白目を剥いて、俺に襲いかかってくるのだ。




「――う、て」


 苦悶の表情で、シュガーさんは言葉を紡ぐ。

 たった2つの音、それは命令だった。


 シュガーさんの拳銃を握り直し、構える。

 銃口、照準を苦しむシュガーさんに向けた。



 ブレる視界、揺れる照準。その先にはのたうちまわる恩人の姿。

 その苦しみから解き放つには、俺が殺すしかない。


 ――本当に、それでいいのか?


 頭ではわかっている。もうシュガーさんは助からない。

 無線でも言っていた『処分』だと、司令であるリトルスプリング博士の言葉は絶対だ。覆ることはこれまで無かった。


 しかし、恩を仇で返す行為ではないだろうか。

 手にした拳銃のトリガーを引くのは簡単だ。その結果を、受け入れるのはできる。

 隊のみんなはどうだろうか、シュガーさん自身の落ち度があったとはいえ、その命を奪う仲間を……許せるのか。

 俺が逆の立場だったら、多分距離を取る。自分の仲間の命を簡単に奪えるようなヤツなんか信用できるはずがない。

 自分が窮地に立たされた時、そいつは簡単に見捨てるだろう。……介錯、という形であっても味方に銃口を向けるなんて頭がおかしい。助けられたかもしれないのに、助けなかったということなのだ――




「しゅ、シュガーさぁん……」


 自分でも情けないと思う。こんな状況で震えた声しか出ない。 

 何度も助けてくれて、チームの一員として迎え入れてくれた相手を、どうすることもできない。


「すんません、おれ……おれは」


 息が詰まり、涙が溢れてきた。

 シャッターやドアを激しく叩く音が響き渡る。

 俺に与えられている時間は少ない。もうすぐ、外部のお客様が乱入してくる頃合いだ。

 


「……う、ううぅ…………」


 それはもはや、声ではなかった。

 ただの音、獣のそれだ。


 脱力した様子で、シュガーさんがゆっくりと立ち上がる。

 手や首に力が入っていない、だらりと揺れる腕に既視感があった。


 それは、外にいるゾンビもどき連中と全く同じだった。

 逃げた先で、元仲間のゾンビに襲われる――なんて、ベタな展開だろうか。

 モニター越しに見た光景が、今目の前にある。しかも逃げられない。手の中にあるのはリモコンでもなく、コントローラーでもない。

 現実の武器、何度も使ってきた拳銃。それも相手の物だ。



 声にもならない呻き声を上げ、シュガーさんだった何かが両手を突き出しながら迫ってくる。

 それはもう、ゾンビのお手本のような歩き方。何かの冗談、ドッキリでも仕掛けられているのかと疑いたくなるほどだ。


 物陰から見知った誰かがネタばらしの看板を手に飛び出してくれないだろうか、そうすれば銃口を下げることができる。

 だが、これは現実だ。わけのわからない置物のせいで、たくさんの人が歩く死体になって、挙句の果てに世話になった人を殺すことになっている。

 


 ――もう、たくさんだ。


 両手を突き出し、白目を剥き、口からだらしなく垂れる舌と涎。

 その姿を、俺は直視できない。


 身体は訓練した通りに、正面に拳銃を向けている。

 アイソセレススタンス、身体の中心で両手を伸ばす射撃姿勢。身体に叩き込んだそれはこんな状況でもしっかりできていた。



 ――もう、いやなんだ。


 トリガーを引く。瞼を閉じ、聞こえてくる音から意識を逸らす。

 反動、発砲音、排出された空薬莢がコンクリートの地面や自分の身体に当たって跳ねる。

 見えなくても、全てが手に取るようにわかる。感じられる。

 目の前にいる敵の動きさえも。目を閉じていても、照準はしっかりと合っている気がした。


 拳銃のスライドが後退したまま止まる。弾倉が空になったからだ。

 身体が勝手に手にした拳銃を放り投げる、腰にあるホルスターから自分の拳銃を抜く。

 俺の身体は、もう自分のものではない。訓練で身についた動きが、姿勢が、行動が勝手に始まってしまう。



 瞼を開けると、そこには血溜まりが広がっていた。

 シュガーさんだったそれには、いくつもの風穴が空いている。

 痙攣するような動きの後、完全に沈黙した。




『――オブジェクトを確保』


 無線から聞こえた声、つい最近大活躍した新人……もはや新人でないことは周知の事実だが。


 周囲でしていた物音が消えていく。

 シャッターやドアを叩く音も、呻き声も、蠢く気配が失せる。


 車庫に侵入してくるような白い霧が薄くなっていく。

 状況は終わった。妙な確信があった。




『――――全員、撤収』


 俺は拳銃をホルスターに戻す。

 それすら、俺の意識したことではない。


 

 あと少し、もう少し、何かが違っていたら、結果は変わったのだろうか。

 俺は、シュガーさんを……恩人を撃つことも無かったのだろうか。



 倒れたまま動かない男を、広がる血溜まりを、そこから目を離せないで居る。

 その場から動けない、動く気もおきない。


 いっそ、誰かが俺を殺してはくれないだろうか。

 俺は、俺自身を殺せない。訓練や鍛錬で身に付けたそれが許してくれない。


 

 もう限界だった。

 

 何もかもが嫌だった。



 俺はもう、誰も死なせたくない。

 死にたくもない。


 脳裏を過ぎるのは、[小春機動警備]のみんなの顔だった。

 ミヅキやユミ、中高生のブレイブユニットも一緒だ。


 

 だが、俺は……みんなを救えない。


 俺はヒーローなんかじゃない。自分をどうにかするので精一杯だ。

 だから、もう耐えられない。




 俺は、俺のために銃を手にしていた。

 もう誰かのためには戦えない。


 元々、俺がブレイブユニットの連中を気に掛けていたのもただの自己満足だ。

 くだらない正義感、見栄、そんなクズみたいなもの。それに俺は命を懸けていた。


 それも、もう辞める。

 金は充分だ、キャリアもそれなりに積んだと言ってもいい。

 次の職場なんてどこでもいい。もうこんな仕事はたくさんだ。



 



 ――もう、辞めよう。


 何もかもが嫌だ。

 今、ここにいることも。銃を手にしていることも。


 ボディアーマーも、ヘルメットも、ヘッドセットも。

 身に付けている装備品全てが煩わしい。



 次なんてどうでもいい。

 

 俺は[小春機動警備]を退職する。

 どうなってもいい、俺が何をしようと勝手だ。



 だから、俺は……諦める。

  

  

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