第25話:転落
揺れる車内、フル装備の男達がみっちり詰まっている。
俺もその1人だ。
「……先輩、大丈夫っすか? 顔青いっすよ」
狭いワゴン車の後部座席、俺の右隣に座っているのは新人の〈コーヘー〉君。
元陸上自衛隊の施設科出身の20代、どうやら刺激を求めて入ってきたらしい。
小声でひっそりと声を掛けてきた彼に顔を寄せ、返事をする。
「大丈夫、ただの寝不足だから」
「新作ゲームの遊びすぎっすか? 最近なんか出ましたっけ……」
「いや、そんなじゃ……」
助手席から規律に厳しい〈クロサワ〉さんからの眼光が向けられる。
俺と〈コーヘー〉君は姿勢を正し、沈黙を取り繕う。
先日の作戦、[教団]と呼称されている組織の拠点を攻撃する作戦以後、俺はほとんど寝れていない。
いや、寝てはいるのだ。気絶するように。
俺は作戦で、ある女子を死なせてしまった。
[教団]が誘拐した超能力を持った子供。おそらく、何人も子を産まされたのだろう。その結果、狂ってしまったのかもしれない。
俺の代わりにスコットが殺した少女の半生は、ただ想像するしかなかった。そこに殺される理由を探しても、俺の想像力では自分を騙し通せるほどのディテールを思いつくことはできない。
――彼女は、運が無かっただけだ。
何度も自分に言い聞かせた。
もちろん、そんな言葉で納得できるはずがない。
もう何度も、あの顔、あの表情がフラッシュバックする。
俺を殺そうと折れそうな指で首を絞め、憎悪で顔を歪め、次の瞬間には「物」へと変貌した……
救えなかった、最初からあの場で死ぬ運命。そう思えたら、きっと楽になれるのだろう。
でも、俺はそうはできなかった。
「状況に進展があった、通信を流すぞ」
俺達が車に乗って、おまけにフル装備で移動しているのは、ちょっとしたトラブルが起きたからだ。
もちろん、俺達がポカしたわけじゃない。
『――こちら監視班、現場は濃い霧に覆われており、残存している部隊はほぼ散り散りになっている模様』
俺達とは別の民間準軍事会社が対応している事案、それが想定以上に難物だったらしい。
そして、救援要請を出した結果。俺達[小春機動警備]に仕事が回ってきたということだ。
本隊である俺達『オペレーターユニット』の到着前に、数人の隊員を偵察に送り出していた。
その偵察からの報告が無線に流れている。
状況は最悪、救援を求めていた会社の隊員は犠牲になっただろう。
『……なるほど、それは[パウダースタチュー]ね』
無線に割り込むように、博士――――俺をこんな業界に引き入れた、リトルスプリング博士の音声が流れる。
『その霧は吸い込まないように、もれなく射殺対象になるから』
どうやら、オブジェクトというやつらしい。
世の中には人知が理解できないような品々がある。そのいくつかを任務の中で関わった。
それで派手に失敗したこともある。未だに殺されてないのが不思議でならない。
『――霧の中から……人が、人が出てきました』
『監視班、現在位置より後退。遠方から引き続き監視せよ』
『――りょ、了解……ほら、さっさと逃げるぞ』
通信の向こうで慌ただしい様相が聞こえてくる。
監視班、ここ最近入ったばかりの人員だが……運が無かったらしい。こんな任務に巻き込まれるだなんて。
『聞いての通りよ、今回の任務はオブジェクト[パウダースタチュー]の確保。ガスマスクは全員分あるわね?』
『あらゆる状況を想定し、装備に含めています』
『結構、任務を遂行しなさい』
通信が終わる。
それと同時に、俺の左隣に座っていた〈シュガー〉さんがシートベルトを外す。
そして、後部座席のさらに後ろからケースを取り出す。それを手に取ると、前へと渡すように頼まれた。
「ほい、これ着けてねん」
渡されたハードケースを開けると、そこにはガスマスクが入っていた。
それも民生品ではなく、しっかりとした軍用規格のものだ。フィルター缶の位置やゴーグル部が小銃を構えた時に邪魔にならないような配置になっている。
こんなものはこれまで見たことがない。
続々と隊員がガスマスクを装着しているのを横目に、俺も装着しようとする――が、他の隊員のようにすんなり着けられない。
苦戦していると、〈シュガー〉さんが手を貸してくれた。この人はいつも周囲の人をフォローしてくれる。おかげで、俺もなんとかやってきた。
「はは、シロちゃんがぺーぺーだったの忘れてたわ」
「えっ、シロタ先輩って警察でも軍でもなかったんすか」
今ではなんとかついていけるくらいにはなったが、元々銃が好きなデブでしかなかった。
それが後輩がいるくらいには成長して、元軍人や元警察官と一緒に銃撃戦をやっている。おかしなものだ。
「それ、気にしてるんだが」
「すんません」
「いいのいいの、シロちゃんはやれば出来る子なんだから。その調子でオジサンのこと追い越しちゃってよ」
がはは、と暢気に笑う〈シュガー〉さん。
張り詰めていた車内の空気が緩み、息苦しさが抜ける。
「毎日の訓練を倍くらいやらないと無理でしょうね」
「クロちゃん、そのツッコミはちょーっと世代感じちゃうな」
「昭和の熱血スポーツマンガのノリですよね、それ」
車内の数人が笑う。
俺はそれに乗れるほど余裕は無かった。
しばらくして、現場に到着。
警戒しながら車から降りると、そこは真っ白だった。深すぎる霧、昔に出たサイコホラーを題材にしたゲームに似ている。
先が見えない恐怖、そこから何が出てくるかわからない不気味さに、思わず身震いした。
ゲームと同じように色っぽい敵が出てくればいいのに、現実逃避をしながら先に進む。
『各自、それぞれの位置関係を把握しろ。何かあった時に同士討ちするくらいの視認性の悪さだ。射撃前の敵味方識別に注意』
各員の返事を無線越しに聞きつつ、周囲を見回す。
ここは本来、工業団地のはずだ。近くの建物の輪郭すら見えないとなれば、視界は5メートルも無いだろう。
『こちら監視班、赤外線ゴーグルによる観測を試みましたが失敗。作戦エリアより撤退します』
新人隊員は退場してくれるらしい。五体満足で帰れるとは運が良い。
この霧は目視だけでなく光学機器でも見通せないというのは、非常に厄介だ。本当に手探りで進むしかない。
――本当に、やれるのか……?
一見、困難そうに見える任務はあった。
それもなんとか遂行してきた。自信は無いが、実績はある。やるしかない。
濃い霧の中では方向も時間も、何もかもが狂っていく気がした。
すぐ隣にいる隊員すら見失いそうになる。
――そういえば、博士が何か言っていたな。
脳裏に浮かび上がってくるのは[パウダースタチュー]という単語。
スタチューというのは石像とかを指す言葉だ。名前だけでは、特にイメージは浮かばない。
ただ、視界を覆い尽くす真っ白な霧、それが何かの粉だと言われるとそんな気もしてくる。
そう考えると、ガスマスクの着用を命じられたのも当然と言えるだろう。これは当該オブジェクトから出てきたものなのだ。
『――前方で動きあり』
クロサワさんの声が無線に流れる。さすがスナイパー、この濃霧でも目が利くらしい。
間もなくして、霧の向こうから何かが近付いてくる。
視界5メートル、見えた瞬間に撃たなければあっという間に詰められる距離だ。
相手が誰であろうと、撃たなければこっちが死ぬ。
霧の向こうで何かが動いているのがわかる。
それが人間の形をしていると判別できる頃には、俺はもうトリガーを引いていた。
『――会敵!』
発砲炎の向こうにいるのは、装備を身に付けた男達。
だが、その動きは、表情は、正気のものではない。
『――後退! 後退しろ!!』
何度トリガーを引いても、相手は死なない。
ボディアーマーに防がれているのもあるのだろうが、まるで銃撃が効いてないかのようだ。
倒れたり、膝を着いたりしても、また立ち上がってくる。
これはまるで、ゾンビだ。
弾倉を撃ち尽くしても、息絶える様子はない。
呻き声を上げながら、よたよたと近付いてくる。それも1人や2人程度じゃない、十数人……いや、もうちょっといるかもしれない。
これではホラージャンルのゲームや映画と全く同じ展開だ、こういう時の兵士というのは蹂躙されるのがお約束……このまま死ぬのはごめんだ。
射撃を続けながら後退、 迫ってくる他社の隊員を照準器越しに捉え続ける。
発砲炎のせいで視界が灼けてきた。自分がどれだけ撃ったのかさえ、曖昧になっている。
ふと、周囲を見回すと――――自分以外は誰もいなかった。
――しまった、はぐれた……!
射撃時に起こる
完全に正面にしか意識が向いていなかったらしい。無線で何か言っていたかもしれないが、それも完全に聞き逃していた。
「……クソっ!」
背を向けて走り出したくなるが、濃霧のせいで方向感覚が狂いそうだ。
ゾンビのような隊員達を見失わない距離を保ちつつ、ゆっくりと後退る。
ゾンビと戦うゲームだったら頭部、脳を破壊すれば倒せるものだが……目の前にいるゾンビもどきはヘルメットで頭部が防護されている。小銃で簡単に貫通するとはいえ、真っ当な防弾性能を持つ。適当に撃った程度では弾かれるか、ヘルメットだけを壊すくらいが関の山だ。
だから、頭部を攻撃するためには複数発打ち込む必要がある。
それは明らかに無駄弾だ。
――足を撃つか?
ゾンビゲームだったら、わりと高等テクニックとして扱われている。
足を攻撃して動きを遅くしたり、封じたりして有利に立ち回る。
そんなマネが出来たらいいが、手足というのは頭と同じく動くし、的としては小さい。
それに通常の射撃においては、当然だが胴体を狙う。
頭や手足を撃つというのは、狙撃の領域だ。
じわじわと下がっていると、背中を何かに打つ。
振り向くと、そこは壁――何かの倉庫のようだった。
大きなシャッターが2つ、がっちりとしたドア、どこかの企業が所有する車庫なのだろう。
契約している警備会社のステッカーが貼られ、ドアの近くに電子錠もある。
今それが機能しているとは思えないが、外にいるよりマシではないか?
背後から何かに掴まれる。咄嗟に振り払うが、手や足を掴まれて身動きが封じられる。
――クソ、しまった!
思った以上に足を止めて無防備だったらしい。追ってきたゾンビ集団に追い付かれたようだった。
無謀だが、走って逃げた方が良かっただろうか。そんなことを考えても仕方無いのだが。
すぐ目の前に白目を剥いた男の顔があった。
だらしなく涎を垂らし、大口を開け、迫ってくる――
咄嗟に、男の顔に蹴りをぶち込んでいた。
反射的な行動だったが、1人は対処。すぐ別のゾンビ野郎が迫ってくる。手にしている小銃を――と思ったが、どうやら手放してしまったらしい。
上体を起こし、腰のホルスターから拳銃を抜く。そのまま這って追い掛けてくるゾンビに向けてトリガーを引く――が、弾は出ない。
初弾を装填し忘れたらしい。
――なんでだ、いつもはちゃんとできてたのに……
拳銃のスライドを引いて初弾装填――しようとした矢先に左腕を掴まれる。
映画で見たように拳銃を握り直し、片手でスライドを引く。覆い被さってきたゾンビ野郎、その眉間に1発くれてやる。
だが、それで動きが止まるわけではない。
――ちくしょう、マズイマズイマズイ!
目の前には6、7人。このまま囲まれれば、為す術無くやられる。
映画やゲームよろしく、多勢に無勢。嬲り殺しにされることになるだろう。
身体のあちこちを噛まれ、あるいは引き千切られ、貪り食われる運命なのだ。
そんな痛々しい死に方はしたくない。きっと恐ろしいほどに痛いし、苦痛も長引きそうだ。
もう死に方を選べるような立場ではないことはわかっている。
それでも、そんなホラー作品のモブのような死に方だけはゴメンだ――
唐突に銃声が鳴った。
目の前にいるゾンビの姿勢が揺らぎ、倒れる。
「シロちゃん! こっち!!」
声がした方、倉庫のドアを見ると……そこには拳銃を手にした男がいた。
全身ブラックの装備、手にしている拳銃も見覚えがある。
俺は立ち上がり、男の方へ駆け寄る。
滑り込むようにして倉庫の中に入ると、男はドアを閉じた。近くにあった金属ラックを倒し、バリケードを作る。
「怪我は無い? シロタちゃん」
男は、仲間の一員。〈シュガー〉さんだった。
戦闘服や装備はボロボロ、俺と同じく襲われたのだろう。
「武器はこれだけです」
手にしている拳銃、その弾倉がいくつか。
今は手放した小銃の弾倉……それが2つ、あとは殺傷力の無い手榴弾がいくつかだ。
ガスマスクを付けていては表情はわからない。
だが、シュガーさんは苦笑しているようだった。
「こっちも同じだね」
「どうしましょう……」
目的であるオブジェクト[パウダースタチュー]を確保しなければならないが、今はそれができる余裕は無い。
まずはゾンビの包囲を突破して、隊員と連携してオブジェクトの位置を――
シャッターが激しく揺れ、大きな音を立てる。
こうなるのは想像していた。外にいるゾンビもどきは倒したわけではない、すぐに車庫が包囲されるのは時間の問題だった。
「……シロタくん、すまないんだけど」
ははは、とシュガーさんが乾いた笑いを漏らす。
その声色は、震えていた。
どうして、さっき気付かなかったのだろう。
何度か顔を、付けているガスマスクを目にしていたはずなのに。些細な間違い探しに、何故わからなかったのだろうか。
俺は思わず、シュガーさんから距離を取っていた。
脳裏に、無線越しのリトルスプリング博士の声が過ぎる。
『――その霧は吸い込まないように、もれなく射殺対象になるから』
つまり、この霧はウィルスのようなもの。
ガスマスクが機能しなければ――――
「ガスマスクの、フィルター缶。持ってない?」
シュガーさんのガスマスク、その機能を果たすためのフィルター缶は大きく歪んで……亀裂が入っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます