迷宮探索公務員はダンジョン配信を流行らせたくない
赤雑魚
第1話
「いいぞ、頑張れ河見レンジロウ。あと少しで家に帰れる.........!!」
薄暗い室内で、独り言が虚しく響く。
時間は23時30分。
定時である17時はとうの昔に超え、職場の明かりはほとんど消えてしまっている。
残業に身を投じる自分の運命を呪いながら、デスク上のパソコンと向かい合い、カタカタとキーボードに指を走らせる。
市町村の役場公務員は純粋に仕事が多い。
大事な書類の処理から住民の窓口対応まで、幅広くこなすのが役場職員である。
今日は運悪く職員研修が入ったのが痛かった。
お陰で自分が担当する業務が全く進まずに、時間外での業務処理をするわけである。
オマケにあくまで日中していたのは自分の研修である。
自己研鑽ごときで仕事をしていなかった奴に残業代なんて付くわけもない。つまり夕方5時から夜中の11時の6時間はサービス残業である。
ブラック企業なんて言葉が昔は存在したが、法整備にともない露骨に黒い会社というのはほぼ存在しなくなった。純粋に訴えられたら負けるからだ。
だが公務員職は会社でもなければ企業でもない。
法で守るべき市民でない「労働力」、その働かせっぷりは推して知るべしである。
「よし、よし終わった! 帰るぞ!」
翌日に使う会議資料を仕上げ、速攻でパソコンの電源を落とす。
全てが終わったわけではないが、残りは明日の自分へとぶん投げることにする。
時間はまだ11時50分。
今から速攻で返れば6時間は睡眠時間にあてられる。
そう思ったのも束の間、事務室に備えられた電話から着信音が鳴り響く。
機械的に繰り返される電子音に身を固める。
本来、掛かるはずのない時間帯になる電話。
それは幽霊からの連絡____などといったオカルトや怪談でもなんでもなく非常事態の連絡である。
「..................っふ」
諦めの笑みを浮かべながら、受話器を持ち上げる。
電話の主はやはりというか、申し訳なさそうな声色の宿直警備員からの電話だった。
『住民さんからの連絡がありまして。はい、夜湖町管理のダンジョンで失踪者が出たとの連絡が』
「了解です。すぐに向かいます」
ガチャンと受話器を下ろす。
時計を見れば0時を回っていた。
役場職員は幅広い仕事をこなす必要がある。
書類整理に窓口相談______そして緊急の現場対応も当然業務の範囲内である。
デスクの横に収納していた探索者用の刀剣を引き出し、探索装備と一緒に手早く身につける。
「...............いくか」
夜湖町役場交通課職員 河見レンジロウ。
緊急事態につき
■■■
今から100年ほど前に出現した超常の領域である。
広大な地下空間と独自の法則で成り立つその場所が、モンスターを生み出し人類を追い込んでいたのは過去の話だ。
現在ではダンジョンの上層は一般公開されており、簡単な資格さえあれば誰でも出入りすることができる。
ダンジョン内の探索はポピュラーな娯楽となっており、中でも自身の活動を動画としてアップする『ダンジョン配信』はかなりの人気コンテンツだ。
中堅であればチャンネル登録者数は数十万人、大手なら100万は軽く超える。
配信者として成功すれば収益も出る上に、一瞬で有名人の仲間入りだ。
そこから芸能界へと進出する者もいれば、知名度を元手に実力のある探索者を集めて、ダンジョンの更なる深層を目指す者もいる。
とにかく世間で今もっとも熱い夢のある職業。
それがダンジョン配信者である。
なぜこの話をしたのか、それには理由がある。
「救助対象がダンジョン配信者なんだよな.........」
時間は深夜1時10分。
ダンジョン潜行の合間に警備員さんが用意していた資料を見ていたが、話の内容としてはこうだ。
ダンジョン配信者の生配信を見ていた所、その配信者が深層で負傷してしまった。近くに救助ができるものがおらず、相談者本人にもそんな実力はない。仕方なくダンジョンを管理する夜湖町役場に連絡をしたというわけだ。
しかもソロ探索。
このパターン、実は今月で3件目である。
ダンジョン配信ドリームに魅せられたはいいが、実力が伴わずに死にかける奴があまりに多い。
もうね、頼むから命を大事にしてくれ.........!
思い付きで下層に向かわないでくれ。
取れ高がないからじゃあないんだよ! 中層はともかく下層はプロでも死ぬ。中堅でもパーティ組まないと安定しない危険地帯なんだ!
インストラクターに基礎を教わってちゃんと上層から攻略してくれ。
まあ何が言いたいかというと、仕事が増えるのでこれ以上ダンジョン配信は流行らないで欲しい。
「.........ここらへんの筈なんだけどな」
階層としては下層のさらに下。
いわゆる『深層』と呼ばれる強力な怪物が徘徊する場所である。あまり長居したい場所ではない。
今のところは、階層内の物影に身を隠しているとのことだったが。
______死んでるかもな。
負傷しているという話だったし、普通にあり得る。
というか救助と言ったが、着いた頃には助からない状態だったなんてよくあることだ。すでにダンジョンに本人の姿はなく遺品だけを持ち帰る場合もある。
嫌な話だが、これが迷宮だ。
人が抱いた夢の数だけ、死が転がっている場所だ。
静かにダンジョンを歩き、周囲を見回す。
「いた」
報告では白髪の小柄な少女。
目の前には同じ特徴の探索者が確かにいた。
巨大な鬼にずるずると引き摺られていたが。どうやら気絶しているようだ。
近縁種ではゴブリンが有名だが、こいつは群れず巨大で怪力だ。ベテラン探索者ですら油断をすれば文字通り喰われかねない危険種である。
こいつに襲われて負けたが最後、男は肉として食われ、女は繁殖に利用される。
目の前の少女が生きているのは、巣に持ち帰る為だろう。
持って帰る理由は、まあそういう事である。
「今、助けるぞ」
自分に言い聞かせるように小さく呟く。
腰の刀を抜き放つ。
支給品の安物だが、使い込んだ愛剣が手に馴染む。
「救助対象発見、時間は深夜1時24分。これより救助開始します___っと」
ダンと勢いよく踏み込む。
景色が加速し、大鬼へ背後へとと一気に接近する。
早く帰りたい。
疲労と眠気の仲、自宅の布団を想いながら、俺は剣を振り下ろした。
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