第5話 彼女の名はレヴェレナット

「優くん!!」


 後ろから幹の声が聞こえる。

 俺を呼ぶ声が。

 でも、今は俺なんかどうでもいい。

 幹の家が燃えているんだ。

 それも、稀に見ないほどの大きな炎によって。


 家を隠すように、赤い炎がメラメラと燃え上がっている。

 これは完全に全焼だろう。

 家はもうダメだ。

 いや、今心配すべきは家じゃない。

 そうだ、博士だ。

 博士は無事なのか?

 わからない、中にいるのかどうかも。

 どうする、こういう時はどうすればいい?

 ああ、そうだ、とりあえず119だ、消防車を呼ばなきゃ――


「優くんッ!!」


「なんだよ! 早く消防車を呼ばないと――」


「消防車は野次の人が呼んでくれてる!! それよりも博士だよ!!!」


 幹の血相がいつになくひどい。

 鬼のような形相とまではいかない。

 でも、間違いなく怒っている。

 そして、焦っている。


「すいませーん!!! だれか、この家から子供が出てきたとこを見た人はいませんかー!!!」


 叫んでいる。

 ただ口元に手を当て『恐ろしいね』なんて話すだけのあいつらに。

 スマホを向けて動画を撮る学生達に。

 無駄だ、こいつらはゴミだ。

 こいつらは、必死になる俺たちを見て嘲笑するタイプのクズの群れだ。


 こんなやつら、あてにならない。


「藤島さん・・・」


 烏丸は、必死になって声を上げる幹を見つめて、ギュッと両の手を合わせて握っている。

 まるで祈るように。

 そうだ、こんなに燃え上がった炎を止める術なんて、俺らにはない。

 無駄に手を出せば悪化するかもしれない。

 俺たちは祈るしかない。


 だとしても、祈ってるだけなんて、そんなのって!


「だれか、白衣を着た子供を知りませんかー!!」


 まだ声を上げている。

 でも、返ってくる声はない。

 聞こえてくるのは『子供がいるのかしら』というひそひそ声。


 ダメだ、博士は外にいない。

 まだ中にいるかもしれない。

 だとしたら、早く助けないと死んでしまう。

 いや、最悪の場合、もう死んでいるかもしれな――


「優くん」

 

 そんな時だ。

 冷淡な声が聞こえてきた。

 確実に幹の声だ。

 慌てふためいてるだけの俺を、言の圧で潰そうとしているような、そんな声。

 普段の幹からは、いや、今までの幹からは聞いたことのない声。

 優しい幹の声色は、どこにもない。


 俺の背中は凍っている。

 何か怖いものを見た時の、聞いた時の、あの寒気に 悪寒に似ている。

 多分、今の幹は恐ろしい。

 恐ろしいんだろう。


「優くん、博士、まだ家にいるかもしれない」


「・・・ああ」


「私さ、こんなポンコツでも、一応機械なんだよね」


「・・・」


 幹の言おうとしてることがわかる。

 分かってしまう。

 だから怖いんだ。

 幹の声色に恐怖の色が見えるのは、幹が言おうとしてることが分かってしまうからだ。


 幹は、この炎に包まれた家へ飛び込もうとしているのだ。

 燃え盛っているあの家に。


「ダメよ」


 俺が言葉を吐く前に、俺の後ろで息をのんでいた烏丸が声を上げた。

 その声は荒くもなく、しかし落ち着いてもいない、ただ、ずっしりと重い。

 そんな声だ。


 烏丸の額には汗が流れている。

 冷や汗か、火の熱さによって噴き出る汗か。

 どちらにしても、頬を伝うそれは、烏丸の鋭い眼差しを強調していた。


 さっきまで和やかで、笑顔でいた二人は、ただ見つめあっている。

 いや、睨みあっている。


「まだ、何も言ってないよ」


 言葉が一つ、この異様な空間に落ちるたびに、燃え上がる炎はより強くなっていく。


 より、不安が募る。

 より、緊迫が広がる。

 より、時間が消える。


「あなた、あの家に行くつもりでしょ」


「大丈夫だよ、私、機械だもん」


 少し俯いている幹の表情は、どこか悔しそうな顔をしていた。

 両の手を握りしめながら、ぐっと、こらえているような。


「機械じゃない、藤島さんは人間よ」


「あはは・・・うれしいけど、機械だよ。これが事実だもん」


「機械だからって、あの火の中に突っ込むなんて、そんなのダメよ」


「なんで? だいじょうぶだよ? 燃えないよ、わたし」


 嘘だ。

 いや、正確には半分嘘だ。

 幹は確かに機械だ。

 幹の身体の骨組みは特殊なもので作られていて、あらゆるものに耐性がある。

 きっと火も効かない。

 でも、外側の皮膚は違う。

 燃えるのだ、皮膚は。

 焼けた皮膚はただれ、そのうち幹の中身を晒すことになる。

 それはもう、幹が人間でないと証明するようなものだ。


「とにかくだめよ、消防が来るまでは――」


 烏丸がそう発した時だった。


「博士は!! 今も助けを求めてるかもしれない!! 私の名前を呼んで、必死にもがいてるかもしれない!! それなのに、わたしに、ここでひたすら待てっていうの!?」


 何かの糸が切れたように、幹は声を震わせながら叫んだ。

 さっきまでのにらみ合いの時の目じゃない、幹の目には、人間らしい涙が見える。


 幹は、声を、身体を震わせながら、烏丸に向かって叫び続けた。


「博士が中にいるとしたら、私がやるべきことは、人造人間として、機械として、博士を助けること!! そうでしょ? ちがう!!?」


 怒号だ。

 焦りと怒りが混じっている。

 そんな幹を前にしても、烏丸は変わらなかった。


「違うわ。あなたが今すべきことは、消防車を待つことよ」


 それは、言葉だけではない。

 睨みつける目も、握りしめている拳も、流れていく汗も、変わらない。

 でも、若干だけど、烏丸も震えている気がする。


「・・・ッ」


 幹は震えている。

 下を向いている。

 下に垂れていく煌めく雫は、汗と涙が混じったような、そんなような――


「ごめん、愛理・・・わたし、ダメみたいだ」


 その瞬間だった。

 幹が炎に包まれた家へと走り出したのは。


「なっ!? ダメよ、だめよ!! 待って、幹ッ!!」


 その後ろを追いかける烏丸。

 全速力で、転びそうになりながら追いかけている。

 でも、ダメだ。

 幹は足が速い。

 単純な力、速さ、そういったもので幹に勝てるやつはいない。

 幹は人間でありながら、機械でもあるのだから。


「まって! 幹!!」


 烏丸の声は止まない。

 けれど、幹も止まることはない。

 いつの間にか、幹は炎の中へと潜り込んでいった。


「幹・・・」


 炎の前で、幹は倒れている。

 膝をつき、肘をつき、倒れている。


 野次馬は大騒ぎしている。

 少女が飛び込んだ、その事実に驚く人たちで溢れかえっている。

 そして、相も変わらず増えていくのは、人とスマホだ。


 あいつらが撮っているのは、炎の中に飛び込んだ少女と、家の前でひれ伏すように倒れる少女の画だ。


「幹・・・みき・・・そんなことしたら・・・」


 烏丸は何かをぶつぶつと喋っている。

 震えた声で、小さな声で、まるで怯えたように。


 一分、二分、未だに進展はない。

 消防も来ない、幹は出てこない。

 烏丸は打ちひしがれている。





 俺は、ただ、動けないでいる。





 そんな俺に、一つ視線が飛んできた。

 烏丸だ。

 次に飛んできたのは、軽蔑するような眼差しだった。

 そして、次に飛んできたのは


「あなたは、なんなの?」


 苦しそうな声だった。

 その声が聞こえた瞬間、炎の中から大きな音がした。

 何かが崩れるような音。

 これは、そうだ。


 家が倒壊したのだ。

 だが、そんな様を見ることもしないで、烏丸は俺を見つめて話しかけてくる。


「なんなの・・・なんなの・・・あなたは、なんなのよ・・・」


 まるで壊れた機械のように、同じ言葉を話している。

 俺はただ、動けないでいる。


 拳を握ることも、声も上げることもできない。

 何もできないままでいる。


「ねえ、あなた、幹が好きなんでしょ? なんでそんな顔してるのよ・・・ねえ!!」


 烏丸は声を荒げている。

 顔、か。

 今の俺は一体どんな顔をしているのだろうか。

 固まってしまった俺は、一体、どんな――


「あなたは・・・クズよ・・・幹を好きになったんなら、止めないと・・・」


 ああ、そうだ。

 止めないと、止めないとな。

 でも、幹は死なないんだ。

 幹は、機械なんだ。

 死なないんだ。

 死なないのに、なんで?


 何で止めるんだよ。


『ウー』『ウー』


 そんな時だ。

 消防車が到着したのは。




 ―――



 消火活動は続いたまま。

 炎は未だ膨らんでいる。

 そして、そんな様を俺は、ただ見ている。

 烏丸はというと、地面に体操座りしながら顔を膝にうずめている。


 しかし、疑問だ。

 何でこんなに炎が燃え上がっているのに、隣の家や近くの草木には引火しないんだ。

 たまたまだろうか。

 というか、幹は大丈夫だろうか。

 まだ出てこないけど。

 博士、いるだろうか。


 そんなことを考えていた時だった。


『おい!! 火の中から人が!!』


 そんな声が聞こえたのは。

 俺は炎を凝視した。

 垂れる汗が目に入っても決して瞑らず、ただ炎を見ていた。

 そして、それは出てきた。


「み・・・き・・・うっ、おえぇ!!」


 それをみて、烏丸は嘔吐している。

 俺は、ただ見ている。


 彼女を。


「わたしは・・・」


 小さな声が聞こえた。

 あの炎の中から現れた少女の声だ。

 その声は、次の瞬間、野次や消防隊を釘付けにした。


「わたしは、わたしは機械人間、レヴェレナット!! 私の大切な人、藤島樹里を、誰か知りませんか!!!」 


 所々に焼けただれた皮膚がこべりつき、所々に黒鉄色の機械仕掛けが垣間見えるそれは、そう叫んだ。


 藤島幹は、レヴェレナットは、炎を背にして自らの姿を見せつけた。





 俺はただ、見ているだけだった。


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