第14話 命がけの救出
一心が浮気調査のための尾行を終了し一旦帰宅するため家の近くまで来ると、二階建てアパートから炎が噴き出していて、丁度消防が放水を始めたところだった。
そのアパートはその昔和風旅館だった。付近に近代的なホテルが多く建設されるようになってからは客が入らなくなったのだろう、アパートに改装したのだった。
表通りの角を曲がった通りに面して玄関があって、玄関から真っすぐ廊下が伸びていてその両脇に部屋が並ぶ構造になった結構大きな二階建てのアパートだったはず。
玄関前と右隣が駐車場になっている。
多くの野次馬が周りを取り囲んでいる中、一人の女が燃え盛る炎に向かって「り~ん」と叫んで地べたに座り込んで泣いていた。
「どうした?」一心が訊くと
「りんが、私の赤ちゃんがまだ部屋にいるのよ~」
溢れる涙を拭こうともしないその女は一心にすがるように服を掴んで一心の目を見詰め訴える。
「消防に言ったらもう無理だと言われたの……助けて……」
女はか細い哀れな声で言うが、瞳は諦めきれないと言っている。
一心の身体が一気にかっと熱くなり勝手に動いて、一階の右二つ目の部屋にいるという赤ん坊を救おうと、玄関から飛び込もうと走り出した。
「バカ野郎! もう無理だ!」
すかさず消防士に怒鳴られ身体を押さえられた。
「赤ん坊が危ないのにほっとけるかぁ!」
怒鳴りつけて消防士を突き飛ばし玄関へ走る。
「これ被れ!」
バイクの兄さんが叫んでフルフェイスのヘルメットを投げてよこす。
それを受取り被っていると突き飛ばされた消防士がホースを一心に向け散水し、
「バカ野郎! どうなっても知らんぞっ!」叫んで、玄関方向にも放水をしてくれた。
一心は片手を上げて礼の気持を現す。
玄関の前に立つとさすがに恐怖が身体を強張らせ全身に鳥肌がたつ。
だがまだ玄関だけは形が確り残っている。
腰を低くして中へ突進する。
廊下は屈んでいるとまだ見通しが利いた。
右二つ目のドアには既に火が付いていて力を入れて蹴飛ばすと、簡単に崩れた。部屋の中から聞こえる火炎が発する轟音と猛烈な熱風に恐怖を感じる。熱い!
その音に紛れているのか、耳を澄ましても赤ん坊の声は聞こえない。
それでも、生きてると信じて居間に飛び込む。
猛烈に熱い! ヘルメットがあって良かった。
辺りを見回していると微かに赤ん坊の泣き声が聞こえているような気がした。
しかし、部屋中が燃えている上、煙が充満している。這うようにして奥へ、空気が熱くて少しでもじっとしてると身体が燃えてしまいそうだ。
バチバチと木材が燃える激しい音が思考を止めようとする。
床に這いつくばって周りをみるともう一部屋有ることに気付いた。
そして煙の下からその部屋にベビーベッドだろう木製の足が微かに見える。
四つん這いで夢中でその部屋に飛び込む。思った通りベビーベッドだ。
中を覗くと「ふぎゃぁふぎゃぁ……」赤ん坊が泣いている。間違いなく生きてる、こんな子を捨てていけるかっ!
布団の一部はもう焦げて今にも赤ん坊のおくるみに火がつきそうだ。
立膝で素早く掛けられていたタオルケットで赤ん坊を包んでジャンパーの懐に隠し玄関に戻ろうとしたとき居間の天井が耳をつんざく轟音をたてて崩れて落ちて大量の埃と煙と炎が一心を襲う。
「やばい! 出口を塞がれた……うわ~っ! もう、出られない」思わず叫んだ。……焼死と言う文字が浮かんだ
――静ぁ! こんなところで俺、終わっちゃうかも……ごめん
涙が零れた。頭がぼーっとしてきた。
刹那! 眉を吊り上げ目をボクサー色に染めた鬼の形相の静の顔が一心の頭の中一杯にひろがり、
「そんなとこで死んだらあきまへん! 絶対に生きて帰ってきよし!」
怒鳴られ我に返った。絶対に生きて帰ると心に誓う。
呼吸すると熱くて肺が焼けそうだ。
身体を低く床に這うようにして数呼吸していると、
一瞬、煙の隙間から微かに窓枠が見えた。
――そうだ、窓の外は駐車場だった……上手くいけば助かるかも……
一か八か一心は赤ん坊を両手で庇って、呼吸を止めてそこにあるだろう窓に向かって全速力で突進した。
「うわぁー」叫んでジャンプする。
頭から突っ込んだ。身体がなんとか窓枠を抜けた。足下の壁を思いっきり蹴って遠くへ! ……。
……外に飛び出せた。
と、思った瞬間、焼けた何かが落ちてきて背中に当たり、グエッ呻いた。車の屋根にバウンドして、ボンネットにもう一度バウンドして地面に叩き落される。
両手で赤ん坊を抱え身体を捻って背中から地面に落ちた。猛烈に背中が熱い! 赤ん坊だけでも助けようと身体を丸めてそのまま転がった。
「出てきたぞ~、水だ! 水掛けてくれぇ! 身体に火がついてるぞーっ!」
誰かの叫び声で猛烈な勢いの水が全身に掛けられ、直後に両手両足を誰かに掴まれ炎から遠くへ運ばれた。
……ジャンパーの中の赤ん坊が
「ふぎゃぁふぎゃぁ」
大声で泣き出した。
――良かった! 生きているようだ……
誰かが赤ん坊を一心の懐から取り出した。
「あ~っ、り~ん」泣き叫ぶ女性の声が一心の耳に響いた。
ホッとして……意識を失った。……
……薬の臭いがしてきた……どこだ?
目を開けると静がいた。
「気ぃ付いたかいな」涙を浮かべているが怒っている。
「どこだ?」
「病院よ」
「あっ、赤ん坊はどうした?」思わず一心は叫んでいた。
「へい、無事でおます。火傷もしておまへんえ。あんたはんのお陰どす」
優しい笑みを浮かべて静が答える。
「そうか……良かった」
「良くありまへんえ……もう無茶しよってからに。背中火傷してますさかいな」
そう怒り顔で言われて背中がヒリヒリすることに気付く。
「すまん。中に赤ん坊がいると言われた瞬間、身体が勝手に動いてしまった」
「え~、それが私の愛する一心ですよって、しかたおまへん。でも、危な過ぎどす……あんたはんが死によったら、あてはどないしたらええのか……」
今度は静は涙目のまま一心の身体を揺する。
「消防はんがえらい怒ってましたわ~『言う事聞かずにへたしたら死んでたよ……まぁ赤ん坊救ってくれたことについては感謝しかないけど、良く言って聞かせて下さいよ』ってあてが叱られましたわ」
「心配かけたな」一心の目にも液体が溜まってきて零れ落ちた。
――あ~そうだ、バイクのあんちゃんにヘルメット買って返さなくっちゃ……
静と喋ってると赤ん坊の泣き声が聞こえた気がした。
「あっ、赤ん坊だ!」
一心が言うと「そやなぁ、どこかに見舞いに来てるんかいなぁ」
その泣き声が次第に大きくなって「こんにちわ」
赤ん坊を抱っこ紐で揺らしながら女性が一心のいる病室に姿を見せた。
一心がその顔を見て「あ~、あんたあの時の……」
「はい、お陰様で凛も元気で一杯ミルクを飲んでくれます。ホントにありがとうございました」
と、目を潤ませる。
「よぉおましたなぁ、ええ子や。かいらしいなぁ」と言う静の目も潤んでいる。
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