第13話 純色と混色


 夜の帳はすっかり下ろされ、彩の地クローマは夜の装いに様相すがた変容えていた。地平と昊をくっきりと現した常闇の樹林もりをイーリスはひとり、駆け抜けていた。休むこと無く、ひたすらに。

「……くっ」

 木の根に足を取られ、イーリスは蹴躓いた。焦燥した心が足許を愚かにしていたらしい。イーリスは悔しげに地を拳で叩くと、すっくと立ち上がり、彩の地クローマの神殿のある方角ほうこうを睨め付ける。

 (こんな速度じゃ、手遅れかもしれない)

 イーリスは下ろしていた髪をひとつに纏め上げ、馬の尾のように垂らす。数回深く呼吸をすると、イーリスは覚悟を決めた。

 (必ず、救ってみせる)

 いや。きっと――……






「あんたら、いつもこんな派手なとこで生活してんの?」

 

 小さな宝石の瞬く星昊に、澄んだ少年の聲が溶ける。白と黒の柱で彩飾の施された神殿のすぐそばの、始まりの泉カスレフティスほとり。手足を縄で縛られて坐らされているクスィフォスは一本の柱に繋がれていた。煌々と揺らぐ松明の光に照らされて、艷やかな濡烏に走る白銀の刃が輝いている。その傍らに聳え立っていた送者ディミオスのひとりが一喝する。

「おい。混色ハオスの分際で純白の王イリョスに対して失礼だぞ」

「はん、知るか。あんたらの信仰は俺には関係のない」

「貴様……!この地に生じられたのもあのお方のお陰なのだぞ!」

「止しなさい」

 

 ぴしゃり、と女の聲が白装束の聲を遮断さえぎる。背を真っ直ぐと伸ばし、たおやかに歩行あゆんで、真白の女がクスィフォスの目前まえへ立ち留まった。仏頂面のクスィフォスはその黒曜石オブシディアンを揺らすことなく純白の巫子イリオファーニアを見据える。

「あんた、誰だよ」

「わたくしは純白の巫子イリオファーニア。双つ星のうち、純白の星に仕える者です」

「ああ、あんたが」

 

 彩の地クローマで双つ星の巫子を識らぬ者はいない。それがたとえ混色ハオスであったとしても。昊から稚児ゾイーを迎える漆黒の王セリニの巫子と、昊へ民を送る純白の王イリョスに仕える巫子。ふたりの巫子は合わさって双つ星の遣いであり、雨烏シーネフォを呼ぶことができる。

 純白の巫子イリオファーニアはまじまじとクスィフォスを見詰め、ほう、と息を付いた。

 

「この白銀さえなければ、漆黒の巫子セリノーフォス足り得る髪をしているというのに。それにこの顔貌。混色ハオスにしておくには勿体ない」

「そりゃ、どうも。……で、俺はなんでこんな処に連れてこられた上、繋がれてるわけ?」

 クスィフォスの物言いに、純白の巫子イリオファーニアを囲む白装束の者たちが青筋を立てて長槍を構えた。されど片手を上げて制し、純白の巫子イリオファーニアが静かに続ける。

 

「あなたには、わたくしの軍勢を幾度も退いたとされる女人が訪れるまで此処にいてもらいます」

「つまり、イーリスを釣るための餌だと」

「……そうなりますね」

 クスィフォスは小さく舌打ちした。イーリスの足を引っ張ることだけは避けたかったというのに、この有様さまだ。その上、ご丁寧に縛り上げられているわけだが、縄が身體にできた傷に触れてじくじくと傷んで仕様がない。而も血も不足していて、威勢を張るので精一杯だ。

 逃げる隙を伺うも、白装束の者たちが周囲に必ず張っていて、そもそも不審な動きを赦さない。クスィフォスはお手上げとばかりに嘆息し、柱に寄り掛かった。

 

「こいつ……舐め腐りやがって」

 クスィフォスが柱に凭れかかっているのを見て、白服が舌打ちした。純白の巫子イリオファーニアの命令が無ければ、あの長槍でひと突きしていたに違いない。クスィフォスは何となしに純白の巫子イリオファーニアに尋ねた。

「あんた、なんでイーリスに会いたいわけ?」

「……なぜ「会う」と考えるのですか?」

「いや普通、殺すだけならこんな処まで呼ばないだろう。どうせあんたが会ってみたいだとか連れて来いだとか無茶振りして、こいつらに俺を運ばせたんだろ」

純白の巫子イリオファーニア、この生意気な餓鬼を始末させてください!」

 堪えきれなかったらしい。白服のひとりが切実そうに聲を張った。貌を真赤にし、静脈を浮き立たせている。それでも純白の巫子イリオファーニアかぶりを縦に振らない。あまりに哀れで、クスィフォスは思わず鼻で嗤った。純白の巫子イリオファーニアはこほん、とひとつ咳払いをする。

 

「本来、混色ハオス純色アグノスに適う筈がないのです」

「は?俺も何人かはしたぞ」

「あなたは黒を持つ混色ハオスだから別です。白や黒を多く有する混色ハオスは限りなく純色アグノスに近いですから。故にあなたは美しく、強いのですよ。特にあなたは、純色アグノスでも見ないほどの美形」

 クスィフォスは実に厭そうに貌を歪めた。見ず知らずの女に容姿を褒められてもちっとも嬉しくないのだ。寧ろ寒気を感じるくらいだ。クスィフォスが辟易とした表情いろを貌に浮かべているのを気に入らないらしく、白装束の数人が眉間の皺を増やしているが、純白の巫子イリオファーニアは矢張り彼らに動くことを赦さない。

「けれど、話に聞く女人は凡庸な髪色。それはあってはならぬことなのです。故に、直接この目で見て事態を知りたいのです」

 純白の巫子イリオファーニアの言葉に、クスィフォスは眉根を寄せる。 

「知ってどうすんだよ?」

「それは、見て判断することです」

 

「そうかい。直ぐ殺すと云われないとは嬉しいね」

 

 矢庭に、クスィフォスの背後から凛とした女の聲が響き渡った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る