清田いい鳥の読書感想文

清田いい鳥

「ソロモンの指輪」コンラート・ローレンツ

 動物、というか魔獣の気持ち、どころか言ってることがわかる主人公(後述します)を作っておきながら、私は動物の気持ちなどわかりゃしない。


 多少なりとも理解したほうが良い、そしてなるべく専門家からの見解が欲しい、と思い手に取ったのが読んだ動機です。コンラート・ローレンツ著「ソロモンの指輪」。


 著者の彼は初っ端から、俺は動物を使った実験と称したイタズラを通して動物の生態を語る自称専門家がムカつくんだよ、という批判パンチから話を進めておられます。か、辛口〜。でもそういうの、私好き〜。


 アンド、動物ガチ勢としてのその熱量確かに受け取りましたという気分になり、これは良書であると判定しました。ローレンツさん、アンタ本物だよ。アンタ稀代の動キチだよ(手放しに誉めています)。


 しかもその批判パンチのあとはさらに動物のこんなとこがイヤだった、という思い出話。くっ、右フックのあとの左ストレートか。休む暇もねえ。やるじゃねえか。


 でもね、真っ暗な中でちらりと頭を出した日が、みるみるうちに闇を取り去ってゆくあの空のように、その困った話から動物たちへの強い執着と愛情話に移るんですね。自然と、ごく当たり前のように。


 どうしようもなく家を荒らしに荒らす動物たち。しかし彼らが彼を敵ではないとみなし、いつでも出ていけるのに部屋をうろついてみたり(そんで荒らすんですが)、素の顔と生態を惜しげもなく見せてくれる一種の寛容さのようなところに彼はグッときてるようでして。


 なんか、保護先から来た懐かなかった猫がとか、怯えた犬が、っていう話はもちろん感動しますよね。でも特になんの約束もなく連れて来はしても、そこでの自由は互いに保証されている。ただただ一緒にいるだけである。


 いつでも出ていけるから、出て行ったきりの子もいれば、ちゃんと帰ってくる子もいる。その関係性も良いというか。猫や犬は家族として迎え入れた以上、外に出たがってもほいほい出したりできませんから。飼い主としての責任がね。


 ていうか、ヒデーんですよそのイタズラが。彼の学生時代に家にいたおサルちゃんなんか、本箱の鍵を開けて数冊の本を取り出しビッリビリに破り、そのあと水槽突っ込んだせいで水がモワモワになってイソギンチャクが迷惑被ってたり。


 またその水槽に電気スタンドをぶっ込むかつ蓋を割り、プラグ繋いでたせいで電気系統ショートしちゃって、家帰ったら明かりつかないんだけど、とか。彼は彼なので、ここまで手間をかけたことをするおサルがスゲェ、高くはついたけどな、という感じでしたが。ブレねーなー。


 彼は後に結婚されているので、やはり奥さまの困り事も必然的に増えちゃうわけ。干したシャツのボタンをオウムに全千切りされたり、ハイイロガンが寝室に入って寝てく日々だったり。そんな災難に見舞われても一緒にいてくれる奥さまへの感謝が、動物エピソードが始まる前の冒頭にしっかり綴られておりました。


 そういう感謝を忘れないとこがとても素敵だよ。アンタいい男だし、最高の奥さまじゃないか。羨ましい限りだよ。




 何も毛の生えたものだけが動物ではございません。彼の原体験としての水生生物の捕獲と飼育のことに話は移る。人間が管理したアクアリウムと管理不要の自然再現の何が違うか、難しいのか、という話。


 彼はとかく管理や支配ではなく観察と理解をしたい人なので、人間が干渉した水槽は無機質な檻と何が違うのだろうと疑問を呈し、自然を切り取った箱庭とはどういうものかをここで教えてくれています。


 そこで思い出しました。小さい頃に行ったどこかの水族館で、私一番のお気に入りだったある展示。自然の姿をなるべくリアルに再現してあるあの一角。好きだったんです。まるであった場所からそのまんま全部を持ってきて、それを半分に切って断面を見せてくれているようなあの水槽。


 ずっと見ていたいと思いました。まあ子供のことですしキチ度も低めだし、電気ウナギも見たかったので移動はしましたが。そういう一角から離れないのが後の彼や、さかなクンさんになるんでしょう。


 しかし、ありのままの状態に魅せられる、そのままであればあるほどいいんだよな、というポリシーは私も持っておりますので、ローレンツさん私もちょっとわかるよ、と彼の肩を叩きに行きたくなりました。もう地上にはいらっしゃいませんが。手紙を出しても読んでいただけないのが悔しいです。


 ありのままの姿を間近で見たい彼は、ヤゴの食料捕獲の恐ろしい姿も見逃しませんし、ヤゴから成長したヤンマもそのまま逃がしてやります。捕まえて籠に入れるなんて彼はしないから。そのときの一文をご紹介します。


 ──みるまに翅をかためてゆく体液が、こまかく枝分かれした翅脈のすみずみまで高圧で送りこまれてゆく様子は、じつにみごとなものだ。さあ、窓をあけてやりたまえ。そしてきみのアクアリウムのお客さまに、彼の人生の幸せと結果を祈ってやりたまえ。──


 燃えるような愛の目線を注ぎ続けたヤンマを静かに送り出す一文。私、涙を滲ませました。この本で、しかもこんな冒頭で泣くとは思わなかった。


 だって、彼は一匹のヤンマのことを我が子のように想ってるのに、送り出すときは実にあっさり。彼は動物たちを愛しているけど、とかく邪魔をしないんです。人間の都合を押し付けたいと思ってない。


 手は出さないけど目は離さない。彼らのためには自分が余計な介入してはならないとはっきり分別をつけていて、自分が見られない、ヤンマのその後のことまで想っている。


 まるで理想的な親のような姿勢です。多分、私は渇望している大きな母性を見て涙した。そう思います。我が母は悪人ではありません。ひとりの人間ですから、そりゃ悪いところも良いところも内包しています。私は総合的に母が好きですし尊敬もしています。


 でもね、子供ってワガママなもんですから。私の性質のせいもあり、母性というものに対しての憧れに似た渇望はいくつになっても手放せない。ですから、それを目の当たりにするといつも泣いてしまいます。


 母を宇宙に例えた人の気持ちがわかる気がする。外でどんな困難に襲われ傷ついてしまっても、そこに帰れば大きな手が支えてくれる、支えてくれるとわかっている、あの安心感。それを彼の目線から感じ取りました。彼はそこまでじゃないよキミ大袈裟だよね、って笑うのかもしれないですが。




 彼は『飼いやすい』動物についてもここで教えてくれています。専門家どころかノーベル生理学医学賞取ってらっしゃるお偉い様なんで、もっと上から目線でもいいと思いますが、一度突き抜けた人はまだそこに達していない、達せないであろう下々共に優しかった。


 そもそも動物というものは、飼うと『動物が』やっていけない種類と、『君が』やっていけない種類に分かれる、と。


 だから動物に何を求めているのか。君のタイムスケジュールにちゃんと合っているのか。飼いにくい品種をあえて選ぶ、それは腕試しのつもりなんじゃないのか。それが許されるのは科学的な研究目的の場合じゃないのかと。


 彼は動物に対する解像度が恐ろしく高いので、人間に『慣れた』動物の姿をただの生物的な反射なのか、同類に対する愛着と同様なのか、よくわかっています。


 つまり、飼い主に対して餌を求めているだけなのか、構ってくれと求めているのか。なので一口に鳥、といってもこれにしとけ、これは期待に応えられないぞ、これは雛から育てなさい、これは成鳥になっても大丈夫、と事細かく教えてくれています。


 他にもこれは飼育条件が難しすぎて、飼い始めたときからすでにゆっくり死なせているだけになるぞとか、悪いことは言わないから健康な子にしておきなさいとか。


 そして章の最後、彼は飼育を避けよと言ってるわけじゃない、自分のように失敗して失望してほしくないだけだ、理解できた瞬間の感動は素晴らしいぞ、と慌てて布教を開始します。


 うーん、まさに動キチ。清濁併せ呑み切った者だからこそ、初心者目線に立つ余裕が生まれるのであろうか。彼は動物たちを妄想で擬人化しないところがいいんですよ。人間的にはこういうことだと表現はするけど、あくまで表現方法として利用しているだけ。予測ではなく事実をわかりやすくするために工夫している。その情熱をもって。


 ちなみにおすすめペットとしてハムスターを挙げてくれていたのでテンション上がりました。あれはいいものですよ。環境を整えるのが難しくない上に、あっけらかんとそのまんまな姿を見せてくれる。


 あんまり可愛くて頬とかスリスリ寄せてると、嫌がって顔押してきたりしますけど。ごめんよ。つい。可愛くて。


 ちなみにペットの定番、イヌと人間のことにもちゃんと触れています。ネコは人間が気を回さずともネコのままだからか、特に深くは触れられていませんでした。


 ジャッカル系とオオカミ系の、主従関係の違いはとても興味深かった。ジャッカル系はとても従順だけど、でも永遠の子供みたいなもんだから……とか、オオカミ系は主を主と認めたら一生涯、だけどその主がいなくなっちゃったら……という話。


 不慮のことなら仕方ありません。でも、飼うと決めたなら飼育が難しい種たちのように、絶対最後まで面倒見る覚悟がないと駄目だよなと思いました。それは私がイヌを迎え入れない理由のひとつでもある。




 この本は翻訳版です。重版を経て文庫版になり、その初版は1998年。なので、どうしても情報としては古くなる。しかし、解説の日敏隆氏はこう述べています。


 ──変わったのは学問であり、つまりわれわれの見方である。動物たちそのものは何一つ変わっていない。──


 新情報としては『使えない』かもしれない。しかし、人間の勝手な妄想を膨らませることなく、非常に優れた観察眼を通して見た世界を伝えてくれた彼の努力の塊ということも何一つ変わらない。


 まあ私が誤解されないよう心配せずとも、動物の行動という分野を学問として確立させたお方ですからね。頑張れば取れるもんじゃないですから。ノーベル賞って(遠い目)。


 で、動物は変わりませんので、本を刷っちゃったあとにわかったこともあったみたいで。アクアリウム勧めたけどさ、夜中に水槽割れちゃって大変な目に遭ってとか、ハムスターにいろんなもの噛じられてさあ、とか。


 知らんかったんかーい、と一瞬思えど、私が当たり前として頭に入れている常識を解明してきたのが彼らなわけで。一生頭上がりませんわ。


 ちなみにこのガジガジ事件を徹底調査していたとき、彼の奥さまがハムスターの巣の中に『重大な罪を告発する証拠』を見つけたそうです。絨毯の繊維。しかもペルシャ絨毯。いいやつです。姐さん、これ完全にやっちゃってますよ。こいつクロですよ。


 奥さまは彼と違う種のイヌを飼っていたとき、あんたのイヌはこういうところがー、という文句を言っている(彼も君のイヌだってー、と言いかえし応酬している)ので、ただただ黙って傅いてる男に都合の良い女性というわけではなかった模様。


 うーん、いい夫婦ですな。そんな彼らには息子さんがおり(あの家で育てきるのは大変だっただろう)、物理学に進まれました。立派だなあ。奥さまも彼ももう、地上にはおられない方ですが。


 きっと、先立った動物が迎えに来てくれたことでしょう。その中に絨毯噛り犯のハムスターはいるかなあ。あいつらちょっとアホだからなあ。さっさと転生済みかなあ。


 そしてあの持ち前の観察眼をまた発揮していることでしょう。これは次に活かすべき、あんたも好きねえ、とか言い合ったりして。




拙作の18禁BL小説

「人に好かれない僕が獣人の国に転移したらおかしいくらいモテた話」

アルファポリスで公開中

https://www.alphapolis.co.jp/novel/386275749/483730243

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