うるかぬす。

しーの

第1話

 かのひとの手から造り出される無数の美しいものが大好きでした。


 わたくしが育った村は山陰とも山陽ともつかぬ端境の山奥にある村で、我が家は代々鉱山主として人々を取りまとめる御役目にありました。

 しかし、当主である祖父はもちろん父や叔父たち、一族の男たちの多くが生業とする場をわたくしは見たことがありませんでした。気の荒い人々の集う場に幼い娘を連れて行くのが憚られたというのもありましょうし、坑道はもちろん近隣もまた危険であったことは確かだからです。

 その代わりというべきか、わたくしは集落から少し離れた土地の屋敷で、一族の女衆らによって育てられました。そこで女たちは畑の世話をし、薬草や蚕を育て、糸を紡ぎ、機を織って暮らしていたのです。

 というのも、わたくしは父母にとって遅くに出来た娘で、そのため母は産褥の床で力尽き、そのまま帰らぬ人となったのだそうです。わたくしが生まれた時、一番下の兄ですら齢十五を超えていました。そこに生まれたばかりの赤子、しかも女児です。さぞかし皆、戸惑ったことでしょう。

 祖母はすでに亡く、兄たちも未だ妻を迎えていなかったので、わたくしは祖父の姉たる人のもとに預けられたのです。

 残念ながら屋敷にはわたくしと同じ年頃の子供はおらず、必然的に手の空いた者が交代で面倒をみてくれました。大抵は一族でも古株の老女たちです。たまに年長の娘たちや少年たちが相手をしてくれることもありましたが、わたくしは小さすぎて彼らの遊びにはついてゆけません。自然、屋敷の奥が活動の範囲となります。

 幼かったわたくしの世界は極端に狭く、ゆえにわたくしは成人した男を見たことがありませんでした。


 かのひとを見るまでは。


 幼い頃の記憶というものは、ひどく曖昧なようでいて、そのくせ妙にはっきりとしていたする。そんなものです。

 ですので、かのひととの出会いもそのひとつ。

 その頃、わたくしは手毬を転がしては追いかける、そんな遊びをよく一人で繰り返しておりました。それこそ猫の仔のように。

 屋敷には何棟かの離れと蔵があり、渡り廊下で繋がっていたので、ころりころりと転がる毱を追いかけては放り投げ、屋敷中をくまなく探索して回ったものです。

 その日わたくしはするすると転がり滑る毱を追いかけて、人気のない西北の廊下まで足を運んでいました。同じ敷地の内といえども人の出入りの激しい場とそうでない場があります。周囲を鬱蒼とした木立に囲まれ、森閑と静まり返ったその場所は、驚くほどに人の気配とは無縁でした。

 いま思えば、あそこは限られた家人しか立ち入ってはいけない区域だったのでしょう。わたくしは知らず一族の禁域へと足を踏み入れていたのです。

 母屋から外れた回廊の端に建つそれは、いかにも堅牢そうな土蔵でしたが、特になんの変哲もない土蔵でした。けれどもその時、錠がかかっていて然るべき扉が開いていたのです。

 急勾配のやけに長い階段を上り終えたわたくしは、いったいそこに何があるのだろうと扉の奥を覗き込みました。


 そこに。

 かのひとはいたのです。


 蔵の中は無造作に積み上げられた箱や長持で溢れていましたが、最初に目に入ってきたのはこちら側とあちら側を仕切る格子です。

 きっちりと組まれた格子の向こうの座敷。青々とした畳の上に大きなひとが座していました。わたくしは最初、毛むくじゃらの巨大な犬かと思い、喜んで声を上げて駆け寄っていったのです。

「わんわん!」

「……たわけた女童めのわらわじゃなァ」

 生まれて初めて聞いた大人の男の低い声というものに、わたくしはそれはもうビックリしました。

「わんわん、しゃべった」

「儂は犬ころではない」

「わんわん、ちがう?」

「違う」

 力強い否定の言葉にしょんぼりしていると、抱えていた手毬が落ち、かのひとのいる座敷へと転がっていってしまったのです。

「ヘェ……なかなかいい細工だ」

 その手毬はわたくしの母が残してくれた形見でした。

 桜や菊の花を直線だけで表現した幾何学的な文様を、色とりどりの絹糸で描き出した美しい手毬。かのひとは手の込んだ細工やからくりがお好きでした。そうした点がかのひとの興味を引いたのでしょう。

 ひとつしかない目をぎょろりと動かし、片手で拾い上げたわたくしの毱を仔細に眺めているかのひとの様子に、もしかしたら返してはもらえぬのかと次第に不安になり、格子の隙間から手を伸ばして訴えました。

「さくの、だよ!」

 そうだったな、と笑ったかのひとが胡座を解いて立ち上がった途端に。

 じゃらり、と。

 金属の擦れる、いかにも不穏な音が、わたくしの耳を打ちました。

 驚いたわたくしが音の正体を探して視線を向けますと、裾の短い筒袴から除くかのひとの脛の先で、耳障りな音を立てて自らの存在を主張するモノが目に飛び込んできました。

「わんわん、それ、なぁに?」

「あぁ、コレか。コイツはなァ……」


 枷と鎖だよ。


 じゃらり、と鎖が鳴りました。




 その日からわたくしはかのひとの元へと日参するようになりました。

ぬすさま」

 しっかりとした太い木の格子で仕切られてはいたものの、その頃のわたくしはまだ小さかったので、錠のかかってはおらぬ小窓から出入りできたのです。

 後々になって思い返してみるに、蓬髪に伸ばし放題の髭といった形のせいで、かのひとを犬と間違えたのだとわかります。その頃のわたくしの乏しい知識と経験では、大きな毛むくじゃらの生き物など犬くらいしか見たことがなかったからです。実際のところ、犬というより熊の方が相応しいのでしょうが。

 いずれにせよ、非常にむさくるしい形であったことは、当のかのひと自身も認めておられました。少しマシになっていったのは、わたくしが櫛を通すようになったからです。おそらく自分では犬の世話をしているつもりだったのでしょう。

 初対面の折、あれほどきちんと否定されたにもかかわらず、かなり後になるまでわたくしはかのひとを大きな犬だと思い込んでいたのですから。

 さて、かのひとが棲んでいたのは明らかに座敷牢といわれる類の場所でした。六畳二間ほどの座敷は、広々としたと称するには手狭で、せせこましいというには余裕ある空間ではあります。不思議なことに座敷は常に真新しい藺草の匂いがしていました。

 鎖のついた枷に繋がれていましたが、かのひとは一向に気にした様子もなく、日がな一日細かな手仕事に没頭し、外のことなぞ毛ほどの関心もお示しになりません。ことのほか手を動かす作業がお好きでいらして、おかげで蔵の中にはかのひとがお作りになったモノでいっぱいなのでした。

 かのひとは完成させてしまえば関心を失うようでしたが、それらを蔵から持ち出すには許しを得ねばなりません。当たり前の話ではあります。もっとも大抵の品は捨て置かれていましたが。

 ある時、それらの山のなかから小さな箱が転がり落ちてきました。

 わたくしの目の前に落ちてきた小箱は、いかにも手の込んだ美しい象嵌細工のもので、いわゆる秘密箱です。見たこともないきらびやかで精緻な意匠は、子供心にも強く惹かれるものがありました。

「主さま、これ」

「こりゃまた、お前、えらく懐かしい物を見つけてきたなァ」

 手にした箱をわたくしが差し出すと、自身の手のひらに乗せたかのひとは、遥か昔の己の成果をしげしげと観察していました。

 わたくしの両手には大きかった四角い箱は、かのひとの手の上では少しばかり小さく見えました。

「コイツぁ、昔々に儂が作った細工だ」

 かのひとが表面をするりと撫でると、ゆるりと箱が開いていきました。

 その動きの複雑怪奇なこと。いったい、どのような仕掛けなのか。昔もいまも、とても言葉では言い表せません。

 精妙な機巧からくりの動きは、子供の心をとらえるのには十分でした。

「欲しいのか?」

 こくこくとうなづいてみせますと、かのひとは頭を傾げてわたくしに告げました。

「空じゃぞ」

「さくのたからもの入れます」

 いっぱい。

 すると、かのひとは機嫌良く笑ったものでした。



 その箱が。


「およこし」


 嗚呼、わたくしの箱が。


「お返しくださいませ!」


 奪われる、なんて。



 十五の歳、わたくしは行儀見習いを兼ねて、元藩主さまである伯爵さまの御屋敷に奉公に上がりました。

 ご当主である伯爵さまを始め、一家の皆さま揃って開明的で進取のご気性であらせられ、そのような気風もあってか家令や執事の方々にも大変よくしていただものです。三年ほどお世話になった後には、家へ戻って一族の誰かに嫁ぐ予定でございました。

 けれども、そのような未来はやって来ませんでした。

 ええ、来ませんでした。

 すべての発端は伯爵さまの末の弟さまが外国からお戻りになったこと。

 若い頃から将来を期待されていた優秀な方で、そのため後継のない親族に望まれ、そちらの家を継いだのだとお聞きしました。兄である伯爵さまもご活躍には目を細め、陰に日向にとご支援なさっておりました。

 ご子息とご令嬢合わせて三人のお子様をお持ちでいらしたものの、しばらく前に奥さまを事故で亡くされたのだと説明がございました。

 わたくしは年齢が近いこともあり、お子様方のお世話を任されました。どのお子様も可愛くて賢い子達でしたが、上のご子息二人は悪戯盛りなこともあり、なかなかのやんちゃぶりを発揮してくださったものでございます。

 伯爵家のお嬢様も女学校で勉学に励むかたわらお子様方のお勉強をみたり、公園へ散策に連れ出したりと何かと気にかけておいででした。

 見ていて微笑ましかったのは、このご兄弟、お嬢様の前では紳士ぶっていらっしゃったことです。妹さまは「お姉様の前だから格好つけてるだけよ」と、こっそりわたくしに囁いていらっしゃいましたが。

 そうした日々で少しずつ元気を取り戻しつつあったところ、伯爵家に一つの縁談が持ち込まれたのでございます。喪も明けきらぬ時期にと伯爵さまも難色を示されたそうですが、残されたお子様のこともあると言われれば無下にもできません。

 お話はお嬢様のご学友のお一人の家からのものでした。何かの折にお見初めにでもなったのでしょう。叔父上への縁談を聞きつけたお嬢様が、お相手の名に少しばかり眉をひそめられたのは秘密です。

 きちんとお断りなさったはずなのに。

 執事や家政婦長の皆さんが、そう溢していらしたのを耳にしましたのも、わたくしがお子様方のお世話係であったゆえとのことかと思います。

 何かあっては遅いから。注意するようにとのお言葉でした。また、わたくし自身に危害があってもいけないとのお考えだったのでしょう。

 その方はよほどご執心でいらっしゃるのか、お子様方を通じて接触をこころみようとなさっていたのです。

 御屋敷の敷地から出ないように言いきかされ退屈を持て余したお子様方は、わたくしの故郷の話を聞きたがりました。元藩主のお血筋とはいえ、異国の地でお生まれになった彼らにとって、わたくしが語る故郷の話は摩訶不思議なおとぎの国のように感じられたのかもしれません。

 そうした話をしている時、わたくしの手にはいつも〝主さまの箱〟がありました。

 この箱を見た小さなお嬢様は宝石のような目をきらきらと輝かせ、「魔法の箱ね」と明るい笑い声を上げたものです。


 愛らしい小さなお嬢様。

 なのに、もう息をしておりません。


 どうして?

 

 どうして、こんなことに?


 わたくしは呆然としました。


 目の前にいる美しい女性は、どうしてこんなことができるのでしょう。

 奪われたわたくしの箱は、かのご令嬢の手に収まりました。

「ふうん、ただの箱ではないの」

 確かに美しい珍しい箱だけれど。

「子供の戯言ね」

 ご令嬢はあっさりと床上に投げ落とされたのです。

 わたくしは思わず悲鳴を上げました。


 でろり。


 壊れて開いた箱の中からシュウシュウと聞き慣れぬ音が漏れてきました。真っ黒な太い縄のようなモノが這い出てきたかと思うと、彼女の足に巻きついたのです。

 それは一見、蛇のようにも見えました。

 しかし……。

「あああぁぁっっ!」

 肉の灼ける音と共に絶叫が上がります。

 あまりも恐ろしい光景でした……。

 ぐねぐねと蠢くモノは高熱を発しているらしく、黒々としているにもかかわらず、全体が紅く赫く輝いていました。まるで高温の炉で溶けた金属が流れて暴れているようです。

 明らかな怪異。

 無数の黒い炎蛇に絡みつかれ、美しかった皮膚は見る見るうちに火膨れに覆われ、焼け爛れて崩れ落ちてゆきます。人間の肉の焼けるにおいが室内に漂い、悲鳴を上げてもがき苦しむ様は踊っているようにも見えました。

 恐ろしい、悍ましい……狂乱の舞です。

 目を逸らしたいのに逸せない。

「主さま」

 のたうつ女性の肌を這う墨のように黒い鱗の下から覗く赫。

 わたくしが昔よく見た色でもあります。

「応」

 空の箱から声がしました。

 懐かしい声です。

 目の前には煙管を手にした偉丈夫の姿がありました。

 わたくしの一族が祀る神。

 火の神、鉄の神、山の神である御方です。

 祖父や父といった一族の者たちは、かのひとをイチモク様とお呼びしておりました……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

うるかぬす。 しーの @fujimineizm

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ