第4話 瀬名とアン

「瀬名様、今日はどうしますか?」

「うーん、サツキにもシャーロットにも頼むことがないんだよねぇ。基本的に堕落して、ゴロゴロする予定だよ?」

「そうなんだ!じゃあ、私は外で遊んでこようかなぁ~」


 何も用事がないとわかると、シャーロットは一目散に飛び出していった。その姿をサツキは手間のかかる妹を見守るかのような、優しい表情で見ながらそっと視線を瀬名の方に戻した。


「瀬名様、申し訳ありませんがアンに会ってあげることはできますか?もう三日も瀬名様に合うことができていなくて、だいぶ落ち込んでいました」

「もうそんなになるのか、早く行ってあげないといけないね。了解だよ、じゃあ今日はこのカビ臭い、寝心地の悪いベッドじゃなくて、あっちのフカフカのベッド寝ようかな」

「そうしたほうがよろしいかと」


 言いながらポンポンと叩く瀬名のベッドは、お世辞にもきれいだとは言えない。ベッドというにはその形を保ってもおらず、廃材で作られたフレームに、緩めに張られた布。布とはいっても継ぎはぎだらけであり、所々カビも生えているし、破けてもいた。


 地べたから少し距離をとって眠ることができれば、それで大丈夫。そんな感じの作りにだった。


「そうと決まれば、さっそく会いに行こうか。ちょっと着替えるから待っててね」

「はい」


 瀬名はそれまでのゆったりとした動きから一転し、パパッと移動をすると、地面に隠してあるケースから数枚の衣服を取り出した。


 上下ともにしっかりとしたつくりの衣服であるが、どちらかというと女性向けの衣服。中性的な顔つきで、腰まで黒髪を伸ばしている瀬名がその服を着こめば、どこぞの令嬢のようにすら見える。


「いい加減、別の洋服を買うべきかな?」

「......いい、いえっ!絶対にそんなことは必要ありませんっ!」

「そう?」

「もちろんですっ!!」


 興奮した様子でサツキは瀬名の発言を力強く否定した。ここにはいないが、シャーロットがいても同じような反応をしただろう。

 瀬名はそんな様子のサツキに疑問符を持ちつつも、「サツキが言うならいっか」と特に考えることなく了承を示した。

 この男、自分のことに関してはとことん無頓着であった。


「それじゃあ、行こうか」

「はいっ!」


 瀬名の準備が終わるころには、サツキの興奮も収まっており、二人は城壁に囲まれた都市内部に向けて足を進めた。


 外から見れば仲の良い美人姉妹のようにも見える、というのは瀬名だけが知らない話である。






「瀬名様っ!!」

「やあ、アン。相変わらず、元気そうで何よりだよ」


 アンと呼ばれた少女は、瀬名を見るいや否や全力疾走でその胸元に飛び込んだ。


 元気そうというにはあまりに元気すぎるが、その少女は真っ黒なドレスに身を包み、靴は高いヒールを履いている。これで堂々とした佇まいを維持できていれば、立派な権力者のように見えるが、今は瀬名の胸元に顔を埋めて首を振っている。ただの犬である。


「今日はどのような用件で来られたのですか?」

「アンに会いに来たんだよ。ほら、少しの間あっていなかったから」

「うれしいですっ!」


 ギューッと抱き着く力を強めるアンに、瀬名はまるで子供をあやす様にその頭を撫でた。ゆっくりと、その時間を大切にするように撫でる。


 アンは一生続いて欲しいと思えた時間だったが、「コホン」というサツキの咳払いで幕を閉じることになった。


「あっ、ごめんなさいね。サツキ」

「いえ、アンが一番大変ですからね。それに、任務とは関係なく三日も瀬名様と合流できなかったのです、そうなるのも仕方ないですよ」

「この生活は悪くないけれど、そこだけが問題なのよねぇ」


 しみじみと呟くアンに対して、サツキは大きく頷くことで肯定の意を示した。埃っぽいだけではなく、カビも生えている瀬名の居住場所と、明るく隙間風もないこちらの暮らしのほうが圧倒的に良いことは疑うまでもない。


「それで、アン」

「どうかなさいましたか、瀬名様」


 一段と低い声で呼びかけた瀬名に、アンはそれまでの態度を一変させて瀬名と向き合った。背筋を伸ばし凛とした表情をするアンは、まさしく深窓の令嬢。一瞬で意識を切り替えた。


 実際に彼女は社交界においては、注目の的であった。人間離れした美貌に、サツキ以上に発達した肢体は、数多くの異性を魅了し、同性からも一夜を共にしないかと声をかけられるほど。彼女の才覚は、商人としていかんなく発揮され、その口車に

、その美貌に、多くの人間が躍った。


「以前の情報もミスがなく、本当に優れた情報だったよ。ただ、少し気になったことがあってね」

「気になったことですか?」

「ああ、どうやら探偵の中には学院の生徒が一人混ざっていたようなんだよね。彼女、何者かわかる?」

「少々お待ちください」


 アンは瀬名の発言に一瞬だけ表情を歪めたものの、すぐにいつもの澄ました表情に戻すと、すぐさま別室に移動した。サツキもソソクサとそのあとを追いかける。

 瀬名は部屋の中央に置かれているテーブルに腰かけると、そのままウトウトと眠り始めた。


「瀬名様、お待たせいたしました」

「申し訳ありません、少し時間がかかりました」

「いや、かまわないよ」


 パチリと、瀬名が瞳を開いた。同時に部屋に戻ってきた二人は、胸元にいくつかの資料を抱えており、その内の一つを瀬名に差し出した。


「ごめんね、焦らせたようで」

「いえ、問題ありません。それで、彼女についてですが―――」


 アンは極めて平坦な声で、次々と調べた結果を報告していく。アンが瀬名に伝えた情報は、一般に出回っている内容と相違なかった。

 瀬名に手渡した資料のほうにも、特別記述するような案件は記載されていなかった。


名前は、レナ・オーガス。

天才と呼ばれ、勉学と武術ともに優れた才能を見せている。勉学では、僅か8歳で論文を書き、世界を震撼させた。武術方面でも優れており、誰一人殺すことなく、100人以上の犯罪者グループを単独で逮捕して見せた。

使用武器は刀とオートマチック銃。機械人形を10体も同時に操作することができる。


「なるほど、統治層のそれも超有名どころじゃないか」


 オーガストといえば、日本を実質的に支配している人間が持っている性である。日本にいて、知らない人間はいないだろう。スラム街の人間でも、アンタッチャブルとして知られている。


「出生だけではなく、才能にも恵まれているようですね」

「そうみたいだけど、才能の上に茣蓙かくタイプではないようだ。こういう手合いが一番面倒なんだよなぁ。一応、警戒だけはしておくとしよう」

「承知いたしました」


 こうして、「死神」である黒神瀬名は、表世界の希望の光であるレナ・オーガストの存在を初めて認知して、警戒するのであった。


 瀬名は、ある種の核心を感じていた。自分と敵対したとき、まず間違えなく壁になる存在であると。


「まぁ、今日はオフデーと決めているから、仕事の話をするのはこれくらいにしておこう。アン、ベッドを借りてもいいかな」

「もちろんですっ!久しぶりに、一緒に寝ましょう!」


 先ほどまでのピリついた、緊張した雰囲気は一気に弛緩して、二人は意気揚々とベッドのある寝室に向かっていくのだった。


「ちょ、私も忘れないでください!!」


 サツキは抱えた資料を放り投げて、慌てて二人を追いかけるのだった。

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