バレンタイン・デッドエンド

MIROKU

バレンタイン・デッドエンド

 剴(がい)と翔(しょう)は秘湯混浴温泉へ来ていた。


 硬派な剴とチャラ男な翔は、遠い親戚になる。


「……で、兄貴。いいだろ、たまには温泉も」


「まあな。いい湯だ……」


 剴は湯に浸かりながら答えた。翔より剴の方が数カ月早く産まれたので、兄貴と呼んでいる。


「でも混浴なのに、女どころか男すらいねえぞ…… この旅館、俺たちしか客いねえじゃん」


「それは秘湯だからだろう。知る人ぞ知る秘湯が満員御礼とは想像しにくいな」


「くはー、なんだよ混浴だから期待したのによー」


 などと、剴と翔が湯に浸りながら話していた時だ。


 建物の戸が開いて、浴場に人影が現れたのは。


「うわあー、すごーい! 雪が降ってるー!」


 胸にバスタオル一枚巻いただけの美女が、ちらほら降り注ぐ細雪(ささめゆき)を見つめて感動していた。


 長い緑色の髪を持つ欧州系の美女は、ギテルベウスという。


「これがジャパンの温泉なんですねー」


 もう一人、こちらは全裸の女性であった。


 黒髪ショートヘアーに、細身の肢体だが、豊かなバストが堂々とせり出している。


 彼女はギテルベウスと共に秘湯混浴温泉に来たゾフィーである。


「ほ、ほおおおお!?」


「やだ、ちょっと男がいるじゃないの!」


「混浴ってそういう意味ですよ?」


「早く言ってよ、そういうのは! って、前くらい隠しなさいよ!」


「……は! 兄貴が鼻血吹いて湯船に浮かんでいるー!」


 男二人と女二人は、こうして雪山の秘湯混浴温泉で出会ったのだった。






 剴と翔、そしてギテルベウスとゾフィーは宿の大広間で食事中だ。


 部屋は別々に取っているが、温泉宿側の気遣いで、四人は宴会場で食事中である。


 テレビもあるし、カラオケもある。三十人でも余裕の宴会場を貸し切り状態とは、気分は悪くない。


「ハシってどうやって使うのよ?」


「しょーがねーなあー、俺が教えてやるよ」


「ち、ちょっと、隣に来ないでよ! い、いやらしい事する気でしょ!」


「いや、そんなつもりはねえよ。ギテルベウスさんだっけ? 怒った顔もかわいいじゃん」


「んな……! か、かわいいより綺麗って言われる方が嬉しいんだけど!」


 ギテルベウスと翔は会話が弾んでいた。二人は席を寄せ、翔がギテルベウスにハシの使い方を教えながら食事を進める。


「は、ハシの使い方がお上手だ」


「はい、そ、そう言われると嬉しいです」


 剴とゾフィーの二人は、食卓で向き合いながら食事していた。


 宿から出されたのは白米にシジミの味噌汁、そして旅館自慢の鍋物だった。


 珍しい猪肉を用いた牡丹鍋を、剴とゾフィーはハシでつついているというわけだ。


「美味しいですね〜」


 ゾフィーは始終ニコニコして剴を見つめていた。翔に言わせると「嫁に来る気マンマンじゃねえか?」というほど、熱い眼差しだった。


 剴はゾフィーの視線に圧倒されっぱなしだ。翔と同じく大学二年生、所属する応援団ではすでに中心人物となっている剴。


 そんな剴はゾフィーの眼差しに圧倒され、浴衣の盛り上がった胸元に見とれ、先程拝見してしまった一糸まとわぬ裸身を再度脳裏に浮かべて悶絶する。


 今や絶滅危惧種の清純硬派男子、それが剴という男だった。


「みなさん、お待ちかねえ!」


 その時、部屋に入ってきたのは旅館の老婆であった。


「なんだよ、ババア?」


「お客様、お酒をお持ちしましたよ」


「あら、気が利くじゃない。ちょうど欲しかったのよ~」


 ギテルベウスは満面の笑みだ。彼女とゾフィーは、お酒も飲める年齢だ。


 場はまるで合コンの様相となっていた。いや、剴とゾフィーはお見合いのようではあるけれど。


「ところでお客様、うちの旅館は出るんですよ」


「ん、何がだよ」


「ゾンビが」


「おいババァ、なめんじゃねえぞ!」


 翔はむせながら老婆にツッコミを入れた。


 ゾンビの出る秘湯混浴温泉宿など、心霊スポットどころか一種の魔界ではないか。


「ゾンビが出るってどういう事だ!」


「若いお二人様、お酒もカラオケもダリオカートもありますからね」


「う、うむ」


「お部屋も準備しておきますから…… 寝具は一組、枕は二つ」


「もう、おばあちゃんったら!」


 翔のツッコミを無視して老婆は剴とゾフィーと話している。すでに仲人の気分なのだろう。


「ほうら、ちゃんと準備しましたからね」


 老婆はにこやかに隣の部屋の襖を開いた。寝具は一つ、枕は二つ。新婚初夜のような、ある種の厳粛さが漂っていた。


「まあ……」


「さ、まずはお食事でも」


「ち、ちょっと! アタシはベッドがいいんだけど!」


 ギテルベウスは頬を朱に染め、老婆に注文した。


 特殊な場には魔物が住んでいる。


 道場や競技場に潜む魔物は、挑戦者達の運命を左右する。


 この秘湯混浴温泉に潜む魔物は、出会ったばかりの男女を百年の恋に引きずりこむ。


 剴とゾフィーはもちろん、ギテルベウスも、ツッコミ役の翔すらも恋の魔力に引きずりこもうとしていた。


 その時だ、旅館の玄関の方から、騒がしくもおぞましいうめきが聞こえてきたのは。


「まったく、いいところなのにねえ」


 老婆は懐から取り出した大型拳銃(デザートイーグル)の安全装置を外した。これなら象だって殺せる。






 デザートイーグルの銃口が火を吹いた。


 旅館の玄関ドアを突破したゾンビの頭部が爆(は)ぜる。


 発砲したのは、旅館の女将の老婆である。


 今は背筋まっすぐに、全身から発するのは凜とした殺気である。


「カッコいいのはいいけど、なんでゾンビが出てくんだよ!」


「どけ、翔!」


 翔を押しのけ、剴が前に出た。彼は旅館のお土産コーナーで売られている木刀を一本、手にしていた。


 ――あー、うー。


 玄関ドアを突き破り、緩慢な動作で旅館に侵入してきたゾンビに向かって、剴は斬りこんだ。


 真っ向から打ちこんだ木刀の一閃が、先頭のゾンビの頭部を砕く。


 踏みこみながら剴は木刀を横薙ぎに振るった。二体目のゾンビの頭部も爆ぜた。


 薙いだ勢いを殺さずに、剴は頭上に木刀を振り上げた。


 そして三体目のゾンビの頭部を打ち砕く。僅か数秒の事だ。流れるような鮮やかな剣技であった。


「カッコいいー! 素敵ー!」


「いや、まあ……」


 ゾフィーの発言に、剴は湯気が出そうなほどに顔を赤らめた。デザートイーグルを手にした老婆も、そんな二人を微笑ましく見つめていた。


「ラブコメやってんじゃねえよ!」


「なんでゾンビが混浴温泉にやってくるのよ!」


 チャラ男な翔と、化粧の濃いギテルベウスがツッコミに回る。


 ホラー映画などでは真っ先に死ぬポジションだが、そんなキャラがツッコミ役とは珍しい。


「まだ来るぞ!」


「今夜は眠れそうもありませんね、お客様」


「大丈夫、私がついてます!」


 剴と老婆、それにゾフィーの三人は楽しげである。


 翔とギテルベウスの二人は、旅館の玄関ドアを突き破って侵入してくるゾンビの群れに、顔を蒼白にしていた。







 ゾンビと戦う、それは貴重な経験である。


「くたばりや、○×△□野郎!」


 旅館の女将はゾンビをデザートイーグルで撃ち倒す。


 女将の話によれば、この秘湯混浴温泉宿に現れるゾンビは、悪霊の類らしい。


 バレンタインに報われぬ思いをした人々の無念が、半ば実体化して現れるという事だ。


「なんじゃそりゃー!?」


 決死の形相の翔は、不動明王真言を唱えた。するとゾンビ達は、次々と消えていった。


 翔は寺の跡取り息子である。今は金髪ロン毛のチャラ男だが、大学を卒業すれば頭を丸める事になっている。


 文化祭執行部にして生徒会にも所属する翔は、大学では文化系クラブの統率者だ。


「やだあー、ネイルが剥げちゃったー!」


 ギテルベウスはフライパンを振り回してゾンビを撃退していたが、自慢のネイルアートが剥げた事にマジ泣きしていた。


「はい、剴さん!」


 浴衣の裾を乱しながら、ゾフィーが替えの木刀を剴に手渡した。


「うむ!」


 剴は折れた木刀を手放し、ゾフィーが差し出した木刀を手にしてゾンビの群れに斬りかかる。すでに二人は阿吽の呼吸、長年連れ添った夫婦のようだ。


 翔の遠い親戚である剴は、神社の息子だ。神代から伝わる武術の遣い手でもある剴は、大学では体育会系クラブの代表も務める。


 神社を継いでも頭を丸める必要はないが、女に興味がない事を両親が本気で心配していた。


「今、大事なのそれ!?」


 ギテルベウスは発狂寸前だ。ゾフィーと剴に嫉妬しているようでもある。


「当たり前だろ、俺は家継いだら丸坊主なんだぞ!」


「あんたに聞いてないわよ!」


「あらあら、お二組とも仲が良いわね」


 旅館の女将はデザートイーグルをホルスターに納めた。ゾンビの群れは、ようやく全て退治する事ができた。


「ババア、酒だ酒!」


「お酒がなかったら、アタシは耐えられないわ!」


 翔とギテルベウスは半ば発狂しながら女将に酒を注文した。


 剴とゾフィーは顔を見合わせて笑い、翔らと共に大広間に戻った。


 そして二組の男女は大いに飲食し、カラオケで歌い、ダリオカートを楽しんだ。


 いつしか夜が明けた――


   **


 剴と翔は日常生活に戻った。そして、この日はバレンタインデーだった。二人は大学の食堂にいた。


「あれから一週間か……」


「ゾフィーさんからメールあったかい?」


「ああ」


 剴と翔はランチを共にしていた。


 剴は次代の応援団団長、翔は次代の文化祭執行部部長。


 体育会系のトップと文化系のトップ二人が、遠い親戚とは面白い話である。


「あの二人、東京に住んでたとはなあ。俺、次の日曜にギテルベウスとドライブ行くぜ」


「交通事故に気をつけろよ」


「兄貴は何にもねえのかよ?」


「う、うむ、ゾフィーさんと日曜日に映画でもと」


「硬派な兄貴も女の尻に敷かれる時が来たな」


「うるさい」


 二人は食事を終え、大学のキャンパスに出た。


 秘湯混浴温泉でゾンビに遭遇したのは、遠い日の幻のようだった。


 だが、それを記憶から削除できないのは、ギテルベウスとゾフィーのせいだ。


 欧州系の美女二人は、剴と翔と深く結びついたのだ。


 恋人になったというわけではないが、剴と翔の生活の一部になってしまっていた。


「あのー」


 剴と翔の前に、チアリーダー部の女性が数名、群がった。


「こ、これもらってください!」


 と、彼女達はラッピングされた包みを剴と翔に押しつけるように手渡して去っていった。


「そういや今日はバレンタインだったな」


「う、うむ」


 剴は翔と顔を見合わせ苦笑した。


 ゾンビ騒動を経てから、二人には明るいオーラがまとわりついていた。


 剴の硬派な面(おもて)には優しさが、翔の軟派な面には厳しさが宿った。


 そのせいか、剴と翔は以前にも増してモテるようになったのだ。


「だ、大胆な……」


「兄貴は五個、俺は三個か」


 その時、二人は大学の正門の方から突き刺さるような視線が向けられているのに気づいた。


 ラッピングされたチョコレートを抱えたまま剴と翔が視線を向ければ、そこにはゾフィーとギテルベウスが立っていた。


「あ、やべ……」


「ちょっとアンタ! 何よ、それ!」


 翔の側へギテルベウスが歩み寄ってきた。彼女もまたラッピングされた包みを持っていた。


 それは翔への手作りチョコレートだった。


「違ーえよ、これは俺のファンからの……」


「アンタにファンなんかいるかっつーの!」


 翔とギテルベウスは口喧嘩を始めた。翔もギテルベウスも相手を憎むような様子ではなく、どこか微笑ましい痴話喧嘩であった。


 だが、剴とゾフィーは違っていた。


「ゾ、ゾフィーさん……」


 五個のチョコレートを抱えた剴は蒼白であった。


 対して、彼を見つめるゾフィーは微笑していた。


 しかし、それは氷の微笑であった。ゾフィーの剴への愛情は、嫉妬心から一瞬にして凍りついたのだ。


 突然、空は曇り出し、遠くから雷鳴すら響いてきた。


 剴は空中に現れた白いモヤを見た。


 それはバレンタインに報われなかった人々の、悲しみの怨念であった。


 その怨念がゾフィーの元に集まり、更に彼女へ吸収されていく。


「……許さない」


 氷の微笑を顔に張り付かせたまま、ゾフィーは剴へ殺意の波動を向けた。





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