墓前に花は供えない

ターレットファイター

1.星空をみあげて、ふたり。



 道の左右にねじ曲がった建物がずらりと並んでいる。どの建物にも灯りはなく、それは俺のいる旧街道沿いだけでなく、この辺り一帯すべてがそうなっていたから、夏の星空が嫌になるくらいはっきりとよく見えた。鬱陶しいくらい明るい明るい天の川のほとりでさそり座の心臓のアンタレスがひときわ赤く目につく。

 その星明りのもとで、流線型をした塔のシルエットがそこだけ星が消えたようにそびえ立っている。俺と、いま隣で歩いている戸呂を除けば周囲数キロの範囲内で唯一ねじ曲がらずに残っているものだ。

 見た目からすれば建物と呼ぶべきなのだろうが、本当に建物なのかはよくわからない。だが、この塔が地中から生えてくると、さほど時間を置かずに周囲数キロの建物や地面、そして生き物すべてが奇妙にねじ曲がったなにかにされてしまうことだけはわかっていた。時間が経つにつれて、その被害の範囲は拡大していく。政府はどうにかこれを食い止めようと試行錯誤し、とりあえずその予兆があれば住民を避難させるための制度を立案したりしているが、今のところその厄災を止めたり予防する手段は見つかっていない。

 それでも、幸いにしてどの厄災も発生してからある程度の時間が経過すると被害範囲の拡大が停止し、それと同時にそれまでの範囲内に立ち入っても体がねじ曲がられるようなこともなくなる。厄災のたびに逃げ遅れてそれなりの犠牲者が出るが、この国全体が、あるいは世界すべてがねじ曲がったなにかに支配される土地になってしまうことだけはないというのが救いだ、とどこかでコメンテーターが喋っていたのを聞いた記憶がある。

「……疲れた」

 被害範囲の拡大が停止したことを確認したのだろう。遠くから偵察のヘリのばたばたという音が聞こえてきて、そのヘリに見つからないようにするために、人気のないマンションのエントランスに侵入して腰を下ろすと同時に思わずそんなつぶやきが漏れた。なにせ地面もねじ曲がるから、ただ歩き回るだけでも面倒なのだ。おまけに、被害範囲が拡大している間はどんどんねじ曲がり具合が酷くなっていくから、歩いている間に足元の地面や建物がどんどん形を変えていって不安定極まりない。おまけに、なんだかよくわからない怪物も出てくる。

「ああ、まったくだよ……」

 どさりと俺の隣に腰を下ろした戸呂もそう言ってため息をついた。そういえば、あの塔を出てからここに来るまでお互い一言も喋らなかったな、と思い出すが、それさえもどうでも良かった。なにせ今回は、精神的にも肉体的にも疲弊させられた。

 俺たちは、あの塔が周囲を捻じ曲げていくのを止めるためにこの街に来ていた。どういう原理なのかはわからないが、初めてあの塔による厄災が起きたときに俺と戸呂はそれができることを知った。

 やることは簡単、俺か戸呂のどちらかが塔に触れば良い。それで、周囲一帯が捻じ曲げられていくのは止められる。

 ただし、どんどんと捻じ曲がっていくのが止められるだけで、捻じ曲げられた町並みやその中でよくわからない現代芸術みたいな形にされて息絶えた人間がもとに戻るわけではないのだけど。現に、すぐ外にはメビウスの輪みたいにねじ曲がったなにかの中にクラインの壺みたいにねじ曲がった大小様々ななにかが転がっている。たぶん、避難しようとする人たちを乗せたバスだったんだろう。他の街で、そういうふうに捻じ曲げられていく過程を目にしたことがあった。おかげで最近は公園や駅前で現代アートの彫刻を見るだけで嫌な気分になって仕方がない。

「ああ、そうだ。腕出せ、腕」

「腕?」

「怪我してたろ、お前」

 俺の言葉に戸呂は「ああ、そういえば」言われてようやく思い出したような顔をした。

 とりあえずの応急処置で巻かれたシャツを剥がし、バックパックの中に入れておいた救急セットから出した消毒液で傷口を洗う。

「こんなの、たいした傷じゃないさ」

「たいした傷だよ」

 どう考えても肘の下から二の腕まで、腕の肉がそれなりの深さで裂けている傷はどう考えてもそれなり以上の怪我だ。帰ったあと、どう病院で説明したものかいまから頭が痛い。

「だいたい、庇われた方からしたら、かばってくれたやつの傷をほっぽっとくなんて気分が悪いんだよ」

 何より、この傷は不意を打たれた俺を戸呂が庇ってくれたときにできた傷だ。戸呂がいくら平気だと言ったところで、どう考えても痛くないわけのない、俺を守ろうとしてできたその傷を放ったまま平気な顔をしてられるような精神性はしていない。

「なあ」

「なんだ」

「あれ、お前はどう思った?」

 戸呂の問いかけに思わず首を傾げる。あれとかそればかりではよくわからない――が、思い当たるものはあった。

「どうなんだろうな……たが、助かったのは確かだよ。少なくとも、あのおかげで塔にたどり着けたようなものだ」

 塔への途上で助けてくれたひとのことだった。

 こんなふうにめちゃくちゃになった街並みの中で生きていられるひとと出会うのは初めてではなかった。たぶん、俺や戸呂のようにそういう体質の人間なのだろう。そういう人間に助けてもらったことは今までに何度かあった。塔を止めて街から脱出したあとも、そうやって出会った人たちと連絡を取り合っているし、塔のできた街に行くときの手助けしてもらったりもしている。

 塔に行く途上で出会ったそのひとも俺たちが塔に行く手助けをしてくれた。だが、彼と連絡を取り合う機会はもう二度とこない。手助けをしてもらう機会も。

 彼は、俺たちをかばって死んでいた。彼がいなかったら俺たちはたぶん塔に辿り着く前にねじ曲がった電信柱に挟まれて死んでいただろう。

 そのことについて、今はまだあまり考えたくない。

 なんだかんだで塔を止めることはできたから、「このまちがこれ以上めちゃくちゃにされる前に、あいつを止めてくれ」という、彼が今際の際に言い残したお願いに応えることはできたけど、それでもやはり、まだすっきりしないものがある。

 結論めいたものを出したい気持ちではなくて、とりあえず事実だけを並べると戸呂もその気分はわかったらしく、「そうだな」と頷いた。

 厄災の拡大が本格的に停止したことを確認したのだろう、何機ものヘリが飛ぶ音が外から響いてきて少しうるさい。ああ、この音は偵察機も飛んできているらしい。偵察用の特殊なカメラを使って、地図作成のための空中写真を撮っているのだろう。偵察機にはそんな機能もあると前に助けたひとに教えてもらった記憶がある。

「なあ、もしさ、ああやるしかないってなったとき、お前はどうする」

 偵察機の轟音が過ぎ去ると、戸呂がぽつりと呟いた。

「俺は、……ああはできない」

 なにか言いかけて、それから首を振って考え直してから口を開くと、あとは自分でもびっくりするくらいすらすらとその問いかけに対する答えが出てきた。

「いま、目の前にあるのが最後の一つだとわかっていたらそれでもいいかもしれない。でもあれが最後の一つだという保証はどこにもないだろう? だから、俺はせめて自分の命だけでも守れるようにすると思う。俺はどうにか生き延びて、目の前にあるのも止めたい。そうしないと、その次が止められなくなるから」

 今のところ、この厄災を止められるのは俺と戸呂しかいない。

 捻じ曲げられた街の中でも、ほかの一切合切と一緒に捻り潰されることなく生き残っていた人たちが少しはいたあたり、探したら俺と戸呂みたいな力を持ったヒトはもっといるのかもしれないが、すくなくとも今のところは二人しかいない。

「……そうだな」

 戸呂はなにか考えているような様子で頷いて、迷いのない口調で断言した。

「僕は、そうなったら自分の命を使うと思う。それが必要なことだったら、間違いなく」

「……お前、俺の話を聞いてたか?」

「うん、聞いてた。つまり、命をそこで使ってしまったら、その後を止められなくなるからしない、だろう?」

「だったらな……」

「でも、僕らはふたりだ。二人で一つでも、一人でもない」

 俺の言葉を遮って、戸呂はそう言った。

「それにきっといつか、ふたりだけじゃなくて、もっと色んな人も一緒になって、だれかが斃れても、この灯火を拾いに来てくれるようになる。一人だけ遺していくなんてことも、きっとなくなる」

「……そうだな」

 なにか言い返したいような気持ちがしたが、戸呂の言うことは確かにその通りだった。そうなれば、もっと早いうちに厄災を止められるようになるかもしれない。

 この厄災で捻じ曲げられて、前衛的な彫刻みたいにされてしまうひとも減るかもしれない。たまたま出会っただけの俺たちにあとを託して犠牲になってしまうひとも、いなくなるかもしれない。

「うん、そうなるといいな」

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