第16話 空の翼は籠の外

『第二水素反応炉撃破! 全隊戦線下げ、旗艦主砲での掃討戦に入る!』

「お、やっとかー」


 また一機鹵獲機キャプチャーを消し飛ばしたナギは、片手を操縦桿に残したまま狭いコックピット内でぐぐっと体を伸ばした。きぃんと一瞬耳の奥が高い音で満ち、すぐに音が戻ってくる。


『……ギ、ナギ! 聞いてます!? 無茶ばかりしないでください、心臓が保ちませんってば!』

「んー」


 音が戻った途端にきゃんきゃん噛み付くラニの声に面倒臭そうに目を眇めて、操縦桿を引いた。補給機イドゥンの方へ向けて進路を取る。


「補給してくる。もーちょい墜としたいな」

『ばか! 下がるんですよ! 補給機イドゥンだって戻るところです!』

「えー。前線から戻ってくる奴らの露払いをしておこうってこの優しさが分からないかなぁ」

『絶対そんなこと思ってないでしょ!』


 くつくつと喉を鳴らしてスピードを上げる。「ちょっと!」とラニが喚いているが放っておいた。どうせあのフライトバディは補給が必要なほど撃ってはいまい。

 フルスロットルでヤタガラスを駆りながら、ナギはきょろきょろと周囲とレーダーマップに目を走らせた。そろそろ一度ギルバートを茶化してから行きたいところだが、先程から姿が見えない。

 補給作業を終えてロボットアームを収納しようとしている補給機イドゥンの奥に割り込む。


「ストーップ。こっちにも補給よろしくう」

『げっ、ナギさん』


 離脱しようとしていたイドゥンのオペレータが嫌そうな声を上げた。聞こえなかったふりをして尋ねる。


「ねぇギル見なかった?」

『え……情報まわってないんですか、ギルバートさん、さっき主砲に巻き込まれて……あだ!』

『おいバカ、その話は出すなってさっき通達あったんだよ!』


 ナギはぱちくりと紅い目を瞬かせた。

 

「は? なに、ギル死んだの?」

『え、いや、あの、そのまだ生死までは……』

「ふーん」


 ゴトン、とバッテリーモジュールを替える重い音が機内に響く。紅い目が、レーダーマップの上を無数に泳ぐ光点を眺めた。


「主砲ねぇ。ドジだなー」

『ナギ……』


 追いついてきたラニのヤタガラスが隣に並ぶ。コーヒーを零した事に言及してでもいるかのように軽い調子で言うナギの名を、ラニが気遣わしげに呼んだ。

 補給完了を告げるアラームが鳴る。「さんきゅー」といつもと変わらない声を投げかけて、ヤタガラスは再び戦場へとその嘴を向けた。


 * * *


 新型高機動戦闘攻撃機HSU-01が駆け抜ける。陽電子砲は使わない。進路を拓くだけならレーザー砲で事足りた。要は捕まらなければいいのだから。

 HSU-01_CIELO――CIELOの名を与えられたそれは全てのくびきから解き放たれ、それでも真っ直ぐに旗艦とりかごを目指していた。


 白銀の機体は天敵から逃げるツバメのように、滑らかな軌道で迫る肉塊達を回避しながら進んでいく。急制動を駆使して敵を翻弄し尽くすのがシエロの得意とするところだったが、今はそんな事をしようものなら相棒ユウの命がどうなるか分かるものではなかった。

 躱した敵を後に続く部隊に押し付けている自覚はある。だが今優先すべきはそちらでない事だけは明白だった。

 回線にはひっきりなしに自分に宛てられたと思われる会話が流れ込んでくる。だがその全てがノイズでしかなかった。処理能力はすべて操縦に割り当てて、言語処理を黙殺する。


 前方に避けきれない塊が見えた。鹵獲機キャプチャーを核として群れをなしている群体だ。あれを躱していくとなると相当に負荷を掛ける。苦い気持ちで陽電子砲をチャージした。ど真ん中を撃ち抜く。電力残量がごっそり減った。だがそこを抜けていくには、陽電子砲が開いた道は少し心許ない。


『シエロさん、そのまま真っ直ぐ』


 涼やかな少年の声で発された短いその言葉は、かろうじて処理されて届いた。群体の目がぎょろりと動く。ざわり、とさざめいた肉の塊が、一斉に進行方向を変えた。

 

「感謝しまス」


 追い立てられた鰯の群れのような動きをみせる群体の横をすり抜け、すべてを押し付けたハイドラに短く礼を告げてさらに進む。電子空間に浮かんだインジケータは陽電子砲をもう撃てない事を示していた。

 警告音が響く。フェニックス——味方旗艦の主砲発射警告だ。射線は逸れているので黙殺する。十数秒の後、閃光が外部カメラの視界を一瞬覆った。


 レーダーが赤の光点てきを捉える。真っ直ぐに向かってくるそれは肉塊を引き連れてはいないようだった。回線にノイズが流れ込み、イコライザがざわめく。

 

『帰ろう……カエろう、がえ……りタい、帰、ラなけ、れ、バ……』


 向かい来る肉塊から突き出した砲門が、薄青く輝いた。発射に合わせて横回転して陽電子砲をかわす。そのまますれ違い、速度を急激に緩められないせいで背後を取られた。断続的に飛んでくるレーザーを避けながら残弾の使途を計算する。回路を焦燥感がチリチリと焼いた。旗艦に戻るにはまだ距離がある。


『やっほー』


 突如、閃光が背面カメラを真一文字に横切った。赤い光点が消失する。斜め後方から高速で迫ってきたヤタガラスが、視界の前に躍り出た。その尾翼で黒い犬が牙を剥く。

 

『そこの穴開き棺桶クン。エスコート要らなーい?』

「碌でもない呼び名をつけなイで下さい。要ります」

『よしきた。ついてきなー』


 敵群を噛み散らす狂犬の後をついていく。凄まじい勢いで加速と減速を繰り返しながら、陽電子砲も使わずに道を切り開くナギ機を呆れたように眺めた。自分AIやQPシリーズならいざしらず、生身でやる動きではない。

 狂犬の手綱を握ることはとうに諦めたらしい僚機のヤタガラスは、背後に陣取り時折こぼれてくる撃ち漏らしの対処に当たっている。ようやく処理能力を言語処理に回す余裕が出てきて、通信の内容が一時メモリに入ってきた。


救急医療機ナイチンゲールを回して貰えました! ランデブーポイントを転送します! ……ナギ、ナギ旗艦に戻るよりこっちのほうが早いから! こっちです!』

『はいはい。五月蠅いなぁラニは』


 レーダーマップに灯った、オレンジ色に輝くマーカーが光輝に見えた。あと少し。はやる気持ちを押さえつける。

 機内カメラに映ったユウはピクリとも動かず、項垂れたヘルメットからは表情や顔色をうかがい知ることが出来なかった。だがバイタルモニタの心拍を示すグラフは、その心臓が徐々に動きを緩やかにしていることを示しつつある。

 

 防衛線に躍り込む。救急医療機ナイチンゲール搬入口リアエントランスを開いて待機していた。衝撃が掛からないように緩やかに減速しながらその横に滑り込む。搬入口リアエントランスから命綱セイフティテザーをたなびかせたオペレーターが飛び出してきたのを見て、急いでキャノピーを開いた。蜘蛛の巣状の罅が広がって欠け落ち、宇宙に透明な欠片をわずかにばらまく。

 オペレータは無言でコックピットに滑り込んだ。素早くユウの右前腕のコンソールからバイタルを確認し、ハーネスのバックルを手際よく外していく。カメラ越しにただそれを見ている事しかできないシエロは、おろおろとした様子で尋ねた。 


「……大丈夫ですか、ええとその、状態は……間に合い、ましタよね?」

『ちぃとショック状態になっちゃいるが……ま、死にゃしねぇだろ。安心しろ、よく連れてきたな』


 オペレータは顔を上げず、てきぱきとユウの体を担ぎ上げながら答えた。担ぎ上げられた拍子にヘルメットの中身がカメラに映る。酷く蒼褪めたその顔に、存在しないはずの胸がきりりと痛んだ。


負傷者WIA確保! 引いてくれ!』


 オペレータがユウを担いだままコックピットを飛び出し、機内カメラから姿を消す。命綱セイフティテザーを手繰られて、二人は吸い込まれるように搬入口リアエントランスの中へと入っていった。扉が閉まり、すべてが見えなくなる。


『シエロ、良く戻ってきた』


 イコライザが跳ねた。音声パターンはシキシマのものだ。緊張感が溶け落ち、ぼんやりとした声で応答を返す。


「艦長サん。……当たり前でしょう」

『ようやく応答したな。何故逃げなかった』

「何故……?」


 何を言われているのか理解ができなかった。目覚めた直後の絶望がメモリにリフレインする。記憶が飛び、意識が戻ったかと思ったらユウの絶叫が電子空間を揺さぶっていた。

 ノイズにまみれた映像が電子空間にひらりと落ちる。串刺しになった手足、自らの手でそれを切り落とし、それをすべて捨て置いて自分シエロのために残った僅かな時間を使い果たした相棒ユウの姿。

 そんなに薄情なだと思われているのか。激情が回路を駆け上がる。


「私が! 私がこの人を見捨てるわけがなイでしょう!?」


 メモリの奥、ストレージに溜まった情報がぐるぐると渦を巻いた。自分は絶対にユウを裏切らない。曖昧な情報は絡み合って、融け合って、ただ一つの結論へとり合わされていく。

 外部カメラを、定期的に閃光がよぎった。そのたびに照らし出される小惑星の欠片達を見ながら、感情を消した声が呟く。


「大体。逃げるってこんナ中途半端なところで、補給もなしにどこに逃げラれるって言うんです。次元潜航ワープがお約束のSF映画じゃあるまいし」

『長距離の単機航行は経験があるだろう。君は一人で月まで来たと聞いている』

「……何の、話です?」


 チカチカと瞬くように、認識と演算が途切れた。まただ。。ぐるぐると、の中で数字が踊る。

 混迷を掻き分けるように、底が抜けて明るい声が響いた。


『やあシエロ、ごめんね。ノブの勘違いだよ』

「勘……違い……?」


 そ、とアサクラは笑う。


『今日は色々あったからさ、一般人パンピーのノブは頭がごっちゃになってるんだよ』

一般人パンピー言うな』

『ほら仕事してきて司令官、まだ戦闘中でしょ。こっちは天才に任せといてね』


 楽しそうな、それでいて一欠片の薄闇を溶かしたような声がイコライザを揺らした。軽薄に揺れるその波は、何故か穏やかに激情を溶かしていく。


『そんな事より調子が悪そうだねぇ。一度戻っておいで。ユウの事も心配でしょ?』

「……わかりました」


 掴もうとした違和感は、するするとの間を滑り落ちて消えていった。シエロは静かに旗艦へと進路を取る。

 ここまでエスコートしてくれていたヤタガラスは、もういなかった。




――——————

お読みいただき、ありがとうございます。


次回の更新は7/12です。

それではまた、次回。

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