第11話 ノクティス迷宮探査戦 - Phase 3:反物質砲《ペニテンシア》

 自分の不注意でQP仲間が死んだ。戦争は嫌いだ。いつも誰かが誰かのために死んでいく。QPが死ななければ、死ぬのは自分だった。

 見たことのないタイプの相手に判断を間違えた。それは仕方のないことだと、分かっている。仕方のないことだと、思いたかった。だから自分の身代わりになったカドリガが壊されて、落ちた機体の破片から緋色が混じった液体が流れ出てきたのを見ても、コンラートはを飲み込んだ。


「馬鹿野郎!! ちゃんと連携取れ!!」


 光に包まれたカドリガが、崩れるように焼け落ちた。誰かが自爆する姿を見るのは初めてだった。瞬間的に頭が沸騰した。見ていたはずだ。身代わりに飛び込んでくるカドリガの姿を見ていたはずだ。それを言ってはいけないとわかっていたが、抑えが効かなかった。それは自分のせいで死んだQPへの冒涜だった。

 本当はのだ。その非難はユウにではなく、自分に向けたのかもしれなかった。


「お前のせいでまた死んだんだぞ!!」


 そんな事を言っている場合ではなかった。触手は自爆の衝撃によって根本付近から弾け飛び、今度こそ巨大な肉塊は苦悶するように身を捩っている。初めての有効打だった。続けなければ意味がなくなってしまう。だがユウがトリガーを引くべきその砲身は薄青い光を溜めたまま、沈黙を保っていた。


『だって、そんな……シエロはちゃんと避けて——』

「それがわかってんのがお前の頭ン中だけだったからこんな事になってんだろうが!!」


 攻撃ではなく心情を吐き出したユウに、コンラートは怒鳴り返す。

 返す返すも、そんな事を言っている場合ではなかった。闇が凝った穴の中から、蛸のような形状の巨体がまろびでた。無数に散りばめられた眼球がぎょろぎょろと忙しなく動き、その視線が地に落ちたカドリガを捉えるとがばりと覆いかぶさる。触手が波打ち、少し離れた所に落ちた別のカドリガの残骸を貪っていた小型をまとめて掬い取った。捕食を逃れた小型が、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 バラバラに散った小型は、その逃れた進路上にいるアヴィオンにそのまま襲い掛かった。


『ユウさん!!』


 シエロが機体を捻りながら、相棒の名を呼ぶ。その機首から、紫電の閃光が迸った。1発だけの虎の子の陽電子砲が迫る小型を消し飛ばし、巨体の頭を少し削って闇に消えていく。激しく振り回されている触手がゆっくりと降下中だった照明弾を地面に叩き付け、光が消えた。

 

『あ、違————』

「畜生、頼むよしっかりしてくれよおい!」


 新たな照明弾で闇を払う。続けてヘイムダルの手前まで迫った触手にミサイルを撃ち込んだ。爆風が触手とヘイムダルを煽る。時間稼ぎにしかならないのは分かっていたが、コンラートが今とれる手段はこれだけだった。残弾を示す数字が2になる。

 

『……ユリア』


 ぽつりと、ユリウスの声が妹の名を呼ぶ声が聞こえた。上に逃れられないヘイムダルの前に立ちふさがるように、カドリガが動く。触手が迫る。残り2発のミサイルをすべて一番近い触手の根本に叩き込んだ。切断は叶わなかったが、弾かれたように跳ねた触手はどさりと地に落ちた。びくびくと震えるそれは、飛び交う小型を握りこんでみるみる再生していく。もう弾の出ないトリガーをガチャガチャとやりながら、コンラートは叫んだ。

 

弾切れだウィンチェスター!! 残弾照明弾フレア1!」


 そう言った自分の声が絶望に塗れているのを自覚した時だった。涼やかな少年の声がインカムに流れ込む。


『緊急事態なので、艦長には内緒にしてくださいね』


 ハーメルンの砲身から、光が尾を引いた。ミサイルの鮮やかに目を惹く曳光でも、レーザーの鋭い輝きでも、陽電子砲の貫くような閃きでもない、弱弱しい光。それは静かに、優しく触手の端に触れた。


 ——閃光。


 触手が消し飛ぶ。


「——は?」


 陽電子砲に匹敵する威力だった。理解できずにただ目の前の光景を見下ろしているコンラートの視界に、再び光が尾を引く。本体を狙ったその光は新たな触手に阻まれたが、光に触れたそれは再び消し飛んだ。


『次で核をっ、……はーっ……出します』


 ハイドラの声に、長い吐息が混ざる。手負いの獣のような、押し殺した重い、重い吐息。唖然としているコンラートのアルテミスの前に、クピドのカドリガが割り込んだ。弾切れになったアルテミスに向かってきた小型を撃退しながら、クピドが沈んだ声で言う。


『あれが反物質砲ペニテンシアですよ。ハイドラ君の体にはアザトゥス体が混ざってる。あれはハイドラ君の体からアザトゥス体をむしり取って、それを素材にアザトゥス体の反物質を作って打ち出す砲弾です』


 尾を引く光を見つめるコンラートの表情が強張った。懺悔ペニテンシア。罪を自覚し、悔い改め、償う一連のプロセスをそう呼ぶ。彼の脳裏を、幼い頃連れられていった教会の光景が掠めた。


(あなたの罪を認めなさい)


 まだ命のやり取りが、そこかしこで起きていなかった幼い日の記憶だ。遊び半分で石を投げていたら、小鳥を打ち殺してしまったあの日。自分の手が引き起こした事態に震えていた彼の目を見つめて、神父はそう言った。


(ごめんなさい。もう二度とこんなことはしません)


 罪を告白し、過ちを繰り返さないと誓った。


(祈りなさい。それが償いになる)


 お祈りなんていつも適当にしていたのに、あの日は本気で祈った。祈りを終え、強張った顔を上げた少年に、神父は厳かに告げた。


(君の罪は赦された。現代に生きることを幸運に思いなさい。かつては償いのために鞭で己を打ったのだから)

 

 それは小鳥の命を軽々に扱った少年への戒めを兼ねた、ささやかな脅し文句だったのだろう。だがそれは幼い少年コンラートの心に深い楔を打った。海馬の奥底深くに沈んでいたその記憶が、こうして今呼び起こされるまでに。


 光は次々と尾を引いた。反物質は、対となる物質と接触した時に対消滅を起こす。原理は陽電子砲と同じだった。対消滅によって産まれる巨大なエネルギーが、見えないあぎとに齧り取られるように巨体から肉を次々と抉っていく。

 押し殺すような重い吐息に、時折低い呻きが混じった。懺悔ペニテンシアと名付けられたシステムにその身をむしられながら、少年ハイドラは償い続けている。


「……畜生」


 喉の奥から零れ出た低い呟きは、ヘルメットの内に篭った。数日前、自分は何と言って彼をなじったのだったか。ハイドラの声が蘇る。


(ぼくは贖罪のためにここにいる)


 こんな、やり方で。お前に何の罪がある、と海馬の底で目覚めた幼い自分が叫んでいる。償いが必要なのは俺の方だ。しようもない劣等感で父を殺した。軽率な判断でQPを殺した。それを棚に投げ上げてユウをなじった。何を知ろうともせずにお前をなじった、俺の罪はどうしたらいい?

 クソったれなシステムを作った奴に、そのクソったれたシステムにクソったれな名前を付けた奴に、吐き気がするほどの殺意を覚えた。


「畜生………………」


 だが罪にまみれた自分には、それを糾弾する資格はなかった。


 * * * 


 核が顔を出した。その巨体に反して妙に素早く動く、蛸のような付属肢のせいで核を露出させるのに随分と弾数が必要だった。

 深く、意識して出来るだけゆっくりと息を吸う。顎が震えた。右腕から感じるはずの痛みは深くなりすぎていて、今や脊椎を刺すような刺激へとなり果てている。


「……替えよう」


 独り言ちて、トリガーの脇のボタンを押す。ガコンと音を立てて、左腕が手首だけを残して機械の中に呑まれた。こんなに乱発するのは久しぶりだ。戦闘の経験はもう両の手の指では足りないほどにあったが、こんなに大きな個体は初めて見たように思う。


 孔を開く。彼の腕に空いた無数の孔。そこにはカドリガを絡めとった肉と同じ性質の触手がひそんでいる。

 自分の一部でありながら時に言うことを聞かないそれは、孔から顔を出すのを嫌がるように皮膚の下に潜り込んだ。出ろ、と強く念じる。それは真っ赤に焼けた鉄の塊に手を伸ばす行為に近い。そうしようという意思があれども、竦んでしまう生命の抗いだった。

 そろりと顔を出した触手を、機械が感知する。間髪入れずに冷たい金属肢が触手を捕らえた。強い力で孔から引きずり出され、そのまま引き千切られる。腕から首へ、脳天へと痛みが突き抜けた。一度ならず、二度、三度とそれが繰り返される。


 膝が笑い出すが、操縦には関与しないので放っておいた。トリガーボタンの感触を確かめる。痛みを止めるために麻酔を使えば操縦ができなくなってしまうから、これは仕方のない事だった。

 悍ましいほどの痛みの中にあっても、指の感覚は明瞭だ。異生物の混ざった体は、異常なまでに痛みに強い。あるいはそれは、かつて幾度も自分を殺そうと苛烈にこの身を苛んだ母の与えてくれた恩恵なのかもしれなかった。与えられた名ペニテンシアの意味を知った時、不思議とすとんと胸の奥に落ちてきたのを今でも覚えている。

 

 黄金きんの瞳はただ獲物を静かに見つめている。足をすべて捥がれ、肉の塊になり果てたそれは、抉られたすべての断面でぼこぼこと肉を沸き立たせているが、その再生速度は目に見えて落ちていた。

 引き千切られた触手が装填室チェンバーへと投げ込まれ、反物質へと加工されるのを待つ。再び深く息を吸って、吐いた。装填完了を告げる、どこか気の抜けた音のアラームが鳴る。

 

 照準を合わせる。息を吸う。照準を遮るように飛び込んできた小型を、カドリガのレーザーが薙ぎ払った。飛び方だけで原型クピドなのが分かって、ハイドラは微笑んだ。


「ありがと」

『……こっちの台詞』


 少し不貞腐れたような彼女の声。あとで怒られるかな、と思いながら雑な動きでトリガーを引いた。少しくらい外しても構わない。どうせ3発撃ち切らないといけないのだ。反物質は安定性が低く、長期に保持しておくことができない。

 巨体が肢をなくした体躯を捩るが、反物質砲の淡い光は容赦なくそれをぶち抜いた。大きくえぐり取られた肉の塊の中には、みっちりと核組織が詰まっている。一昨日シキシマからもらった薄皮饅頭を思い出した。大概核というものは体の中を逃げ回る程度には小さいものだが、ここまで比率が大きいものは見たことがない。

 念のため映像記録を回しながら、第二射。もがいていた巨躯の――ほとんどを消し飛ばされてもう巨躯とは言えないかもしれない――動きが緩やかになり、かすかな痙攣のみが残る。三射目。巨大な蛸は、僅かな肉屑へとその姿を変えた。


 次の瞬間。インカムにどっと音が流れ込んだ。


『——してください。異機種編隊コンポジットEエコー、こちら管制室フリプライ。応答してください。捜索隊Aアルファ、こちら管制室フリプライ。応答してください。異機種編隊コンポジットEエコー、こちら管制室フリプライ。応答してください――』


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