第10話 ノクティス迷宮探査戦 - Phase 2:エンジェルズ・フラグメント
『探索ルート
倦怠感の強い空気を纏った狭い待機室の中に、艦内放送が響き渡った。
「お! やーっと見つかったか!」
ライナスはそう言って破顔すると、手に持っていたカードの束をテーブルの上に投げ捨てた。その手札を見たケイが、「あーっ!」と声を上げて顔を顰める。
「ちょっとライナス、ブタじゃないですか! ここで勝ち逃げはずるいでしょ!?」
「バーカ終わりだ終わり! 聞いたろ、仕事の時間だ!」
「あーもー! じゃあ賭けは無効ですからね!」
そう言ってケイはフルハウスが揃ったカードを投げ捨てる。その隣にそっとフォーカードを見せつけるように置きながら、ルイスが無言でぽんとケイの頭を叩いた。ちなみに賭けていたのは夕飯のデザートである。
「見つかって良かったですね。あ、回収ありがとうございます」
「はーっ、楽しかった! さ、お仕事お仕事」
子供たちからカードを回収して、テーブルの上の山と共に揃えながらユウは器用にバングルのホロモニタを覗き込んだ。
「俺達の機は……左翼格納庫かな。行こうか、
* * *
フェニックスと異なりアルゴノートの格納庫は横っ腹が広く開くタイプで、広い格納庫には何機ものアヴィオンがずらりと並んで停まっている。待機室から格納庫に駆け込んできたパイロットたちは整備兵たちに誘導され、指定されたラインに沿って自分の機へ向かって走った。
クピドとハイドラが駆けていく先に、見慣れない姿の機体を認めてユウはわずかに目を細めた。結局まだ、二人の機体を見せてもらっていない事に気付く。ハイドラが向かう先の機体に搭載された、見たことのない兵装に整備兵としての好奇心が疼いたが、ぐっとこらえて相棒のもとへ駆け寄った。
「ユウさん、ボディカムを着けましょウ」
コックピットに滑り込んだユウに向かって、シエロは開口一番そう言った。今日の
「嫌だよ……ケイさんにVRゲーム入れてもらったんじゃないの?」
溜息交じりにそう答えて、ハーネスのバックルを止める。エンジンを始動してしまえば、あとはシエロ任せだ。のんびりと作戦マップを眺めながら出撃を待つ。出撃準備完了の報告を終えたシエロが、落ち着いた声で騒ぎ立てた。
「待機中ってゲームしてても通信切れないじゃないですカ!? 皆さんが楽しそうにポーカーしてる音声聞きながら私だけ一人でゾンビ撃ってて! 疎外感! わかりまス!?」
「いや滅茶苦茶遊んでるじゃん……」
「せめて映像が見たイ! ユウさんの手札眺めて煽りたい!」
落ち着いたトーンの女性の声でこれを捲し立ててくるものだから、違和感がすごい。
「嫌な参加の仕方だな……」
そう言ってユウが渋面を作った時、管制室からの切迫した通信が飛び込んできた。
「こちら
「……っ!?」
* * *
移動中のアルゴノートの横っ腹が開き、銀の機体が次々に火星の空に吐き出されていく。輸送艦であるアルゴノートよりもアヴィオンのほうが移動速度が早いので、2部隊が先行することになったのだ。
『こちらシキシマ。シエロ隊各機、聞こえるか』
「こちらハイドラ。通信状態は良好です」
「クピドでーす。ちょっと音質がざらついてるけど聞こえてます」
「ユウです。こちらも少しノイズがありますね」
「アルテミス、コンラートっす。通信良好! 聞こえてます」
即席で
『カドリガ1小隊を先行させている。ポイントは移動中に作戦マップに転送した通りだ。まずはヘイムダルと護衛のカドリガを探してくれ。イドゥンは追って向かわせる。会敵しても無駄撃ちするなよ』
「
それからこれは厳守してもらいたいのだが、とシキシマは続けた。
『ハイドラ、反物質砲の使用は禁止だ。いいな』
「え……」
インカム越しのハイドラの声は、困惑した表情が見えると錯覚するほどに動揺した色をしている。
「お言葉ですが艦長、
『駄目だ。それからその呼び名も今後は禁止だ。いいか、君は第……大隊に……ザザッ……こちらのや……守……ぞ』
ハイドラの反論をぴしゃりと遮ったシキシマの声が、突然ひどいノイズに塗れた。
『すみません、よく聞こえません。
内容を聞き漏らしたハイドラが反復を求めたが、アルゴノートからの応答はない。慌ててユウも割って入った。
「こちらユウ。艦長、応答してください。艦長!」
『……、……………』
「くそ、だめか」
ユウは苛立ったように膝に拳を叩きつける。試しにサブチャンネルに切り替えてみたが、アルゴノートとの通信は復活しなかった。砂混じりの風が、キャノピーを叩く。
シエロのインジケータライトが瞬いた。
「アルゴノートにはまだアヴィオンも残っていまス。
「……っ、そうだな」
そう言われてユウは操縦桿を握り直した。操縦はシエロの担当だが、特に進路を変える時は握っていないと落ち着かない。シエロの操作で動く操縦桿に腕を委ねていると、クピド機からの通信が入った。
『ユウさーん、クピドです! 先行してる
『こちらカドリガ
ユウはちらりと
「1分あれバ着きます」
「こちら
* * *
陽は傾き始めていた。先行するというカドリガ
「
追って続いたアルテミスから、コンラートが声を掛けた。夕日が差し込んでくる入口付近より奥は薄暗く、構造物のシルエットが僅かに見て取れる程度だ。一度サーチライトを左右に動かしてから、ユウは答える。
「ありがとう。頼む」
「オッケーちょいまち。弾種切り替えっからな……よし撃つぞ」
ぱん、と花火のような音がして照明弾が撃ちあがる。岩肌が剥き出しの天井近くに打ち上げられた小さな太陽のようなそれは、ゆっくりと降下しながら辺りを照らし出した。幅200メートルほどのプラントの内部は、至る所が崩れて砂に埋まっている。割れたタンクや破損した掘削機、折れた鉄骨の間を、アヴィオン各機は自転車ほどの速度でゆっくりと進んだ。
「各自、死角になっているところをよく探して。……だいぶ荒れてるな」
『戦闘の痕跡はありますけど、砂で埋もれてますね。過去のものでしょうか』
ハイドラがそう言った時だった。照明弾の光の当たらない奥のほうで、ゆらりと影が動く。
「止まって」
レーダーに反応はない。ユウは慎重に、闇の中へサーチライトを向けた。
「
近距離無線と
『ユウさん、
クピドが言う。彼女はこう言いたいのだ。露払いには消耗品を使えと。ユウは答えず、唇を噛んだ。
「コンラート、
『3発だ』
心臓の鼓動が激しい。凝った闇の向こうが恐ろしかった。だがこうして停滞している間にも、反重力システムは機体のバッテリーを蝕んでいく。この先戦闘になれば、電子兵装主体のこの機体にとってバッテリー残量は命の残量にも等しい。
「進みましょウ。任せてください、機動には自信がありマすから」
低く滑らかな、落ち着いた女性の声でシエロが言う。ユウはぎゅっと一度目を瞑り、覚悟を決めた。
「引き続き俺達が先行する。コンラート、いつでも撃てるようにしておいて」
『おう、任せとけ』
「シエロ、行こう」
銀の機体が再び前進を開始する。照明弾はもうすぐ地面に落ちようとしていて、アヴィオンの進む洞窟の奥には闇が一層深く凝った。
「ユウさん、レーダーではなく前を見て」
レーダーを睨みつけているユウに、シエロが言う。無意識に指がトリガーに掛った。
「いやな予感がシます……来た!」
ぐうっと、操縦桿が動く。その動きに合わせて、反射的にトリガーを引いた。暗闇の奥から飛び出してきた肉の塊を、レーザーの白い光が貫く。
「おいおいおいおい! 俺のレーダー死んでんのか!?」
レーザーによって核を焼き切られ、黒く焦げた断面を晒してごろりと転がった小型アザトゥスを見て、コンラートが困惑したように叫んだ。
敵の接近を知らせてくれるはずのレーダーは、沈黙を保っている。操縦桿を握る腕が、ぶるぶると震えているのが分かった。ぎゅう、と掌に力を籠めてそれを抑え込みながらユウも叫ぶ。
「
「まだ撃たないデ!」
闇を払おうとしたユウの指示を、シエロが遮った。
「シエロ!?」
「あっちの壁にわずかに光が当ったのが見えタ! この奥で戦闘している可能性があります!」
シエロの言葉にユウは目を見開いた。次の瞬間、がくん、と強く体を揺さぶられる。
「すみませんガ全部避けていくので後続の方、処理を頼みます!」
キャノピーの真上に擦れて血の痕を引きながら、肉の塊が通り過ぎた。本当に機動だけで全部避けていくつもりらしい。トリガーに指は掛けているが、次々と現れる小型を完全に避けていく機動で飛ぶ機体の射線は定まらない。
キャノピーの表面を流れていく肉片を見て顔を歪めながら、ユウは祈るような気持ちで
「応えてくれユリウス……!」
機体が急旋回してくの字に折れた区画を通り過ぎた時、インカムの内側でノイズが耳を叩いた。
『……か!? こちらヘイ…ダル、聞こえるか!?』
「ユリウス!」
「ユウさん、上!」
シエロに言われて目線を上に向ける。べったりと血にまみれたキャノピーの向こう、吹き抜けのようになっている崖の半ばに、ヘイムダルと2機のカドリガが見えた。浮いたまま動かないヘイムダルの周りで、カドリガが近寄ってくる小型に火炎放射を浴びせている。
とにかく生きていそうな彼らを見て、ユウが僅かに表情を緩めたその刹那。激しい衝撃が体を揺さぶり、頭が沸騰したように熱くなった。一瞬視界がブラックアウトし、激しい耳鳴りが鼓膜を刺す。
頭の芯が抜けていきそうな感覚。覚えのあるその感覚に、ユウは頭を振った。死角から襲ってきた巨大な太い触手を、シエロが回避したのだ。ぶくぶくとした肉の瘤を表面にいくつも並べたようなその触手が、ずるずると闇の中へ戻っていく。
『大丈夫かユウ! 喰らえこの野郎!!』
一拍遅れて広場に到着したコンラートが、触手の戻っていく闇の中に向かってミサイルを解き放った。続けて照明弾を撃つ。
ぱっと広場の奥の空間の暗闇が払い除けられた。照明弾を浴びてなお奥に闇を凝らせたその穴の中に、ぐるぐるととぐろを巻いた巨大なアザトゥスが姿を現す。触手の奥の本体部分と思われる箇所にミサイルの直撃を受けたそれは、苦悶するようにとぐろをぎゅっと縮めたあと、爆発的な勢いでその触手をアルテミスに向かって伸ばした。
『——は?』
理解できない危機には、人間は危機感を発揮できない。迫る触手を見てただ間の抜けた声を上げたコンラートのアルテミスの前に、銀の閃きが飛び込んだ。アルテミスを狙っていた触手は、ボールを投げられた犬のように咄嗟に飛び込んできたカドリガのほうへ絡みつく。
軋む音すらなく、ばぎん、とただ一つ大きな音を立ててカドリガはコックピットの中央からへし折れた。カドリガをへし折った触手は、興味を失ったように拘束を解く。滑り落ちた
『上がってこい!!』
呆然としているユウとコンラートをの耳を、ユリウスの怒鳴り声が引っ叩く。さっさと状況を理解して勝手に上昇を開始していたシエロの後を追って、アルテミスも上空に舞い上がった。正気を取り戻したユウが、インカムに怒鳴る。
「全員、広場に入ったら即上空に上がれ!」
『わたしが火炎放射で牽制します! ハイドラ君先に行って!
飛び込んできたカドリガの1機が、青い炎を吹いた。触手が一瞬怯んだ隙に、
『やらせるかよ!!!』
そう吼えたコンラートがミサイルを解き放つ。オレンジの光の尾を引いて飛び出したそれは、カドリガを絡め取ろうと勢いよく放たれた触手に触れて爆発を引き起こした。肉の雨が降り注ぐ。その血と肉片に赤く濡れたカドリガは爆風に煽られて大きく体制を崩したが、それが幸いした。直前までカドリガのいた空間を、新たな触手が凪ぐ。
先端を激しく損傷した触手が、戻りながら脈打ち再生していくのを見て、コンラートが舌打ちをする。
『くそ、破壊力が足りねぇ上におまけまで出てきやがった』
ユウは谷底を見下ろした。残された2機カドリガのは飛び出すタイミングを逸したらしく、まだ広場の手前に留まっている。
「カドリガ2機はその場で待機してくれ。こいつを何とかしないとまた犠牲が出る」
『
ユリウスに追随していた、
『機体にアザトゥス体が付着しています。除染しますのでその場を動かないでください』
ありがとう、と応えるや否やキャノピーを炎が包みこんだ。血と肉が炙られて、細かな灰になっていくのを眺めながら、ユウはユリウスに声を掛ける。
「ユリウス、無事でよかった。状況は」
『
「バッテリー残量は?」
『……25%』
ユウは眉根を寄せた。
この空間は上部が開いているのに何故留まっているのかと思っていたが、下部スラスターの故障と聞いて納得がいった。反重力装置は重力加速度を打ち消してくれる装置であり、それ単体での上昇や降下はできない。
さらに反重力機動モードは、バッテリー残量が10%を切ると墜落防止のための緊急降下フェイズが開始される。猶予はさほど長くはない。
「あんま悠長に構えてられないな……」
駄目元で
「コンラート、ミサイルの残りは?」
『5発だな。照明弾は2発』
待機中に確認しておいた、
(反物質砲……)
先程のシキシマの言葉を思い出す。だがシキシマは使うなと言ったのだ。ハイドラは納得していないようだったが、厳守と言うからには使わせるべきではないだろう。
ユウはフライトインジケータを確認する。反重力機動下では、撃てる陽電子砲は1発きりだ。
「シエロ。見えてる部分を陽電子砲で消し飛ばしたらあそこ通れると思うか?」
「怪しいですネ。あの奥に何本隠しているかわからない」
ふよふよと寄ってきた小型をレーザー砲で対処しながら、ユウは「だよな……」と唸った。
向こうではクピドが試しにと言わんばかりにレーザー砲を触手に向けて放っているが、光学兵器で穴を開けられた触手は再生しながら大したダメージもなさそうな動きを続けている。
「せめてあいつの射程がわかればなんとかなりそうなんだけど」
「距離を取って降りてみましょうカ?」
独り言のつもりだった呟きに反応して、シエロが問う。ユウは返答に詰まった。危険な役回りだ。ごくり、と唾を飲み込む。
「……出来るか?」
「なんとかしましょウ」
他の機に連絡を入れようとして、ユウは手を止めた。クピドはカドリガに行かせろと言うだろう。
(私が撃ちます!)
不意に、
「……行って、くれ」
「承知」
『あ、おいユウ待て何してんだ!』
「あいつの射程の確認! このままじゃジリ貧だろ!」
『やめろ戻れ!』
照明弾は地面に落ちようとしていた。上からではわからなかった闇の奥が照らされる。その見える限りに、蠢く肉がみっちりと詰まっていた。震える指をトリガー掛けっぱなしにして、微細な動きを見逃すまいとそれを凝視する。目が合った。触手の奥から、無数の目がこちらを見ている。瞬間、ぎゅっととぐろが縮まった。ユウの指がトリガーを引いた。
レーザーの光が閃く。真っ白なその光は、横合いから飛び込んできたカドリガの翼と共に触手の先端を切り落とした。
「クソッタレガ!! 何で入ってきタ!!」
シエロが珍しく悪態をつきながら上空に舞い上がる。
後方ではカドリガに触手が巻き付いている。先端を切り飛ばしたせいか、その力は機体を押し潰そうとしているもののまだ破壊には至っていないようだった。陽電子砲のトリガーボタンを握り込む。ゲージが増えていく。
急旋回して、再び射線に触手を、その奥の肉の集積を捉えたときだった。カドリガを中心に光が膨張し、閃光が辺りを包み込む。爆風に煽られて機体がよろめいた。
「な————にを……」
絶句しているユウを、コンラートの声が怒鳴りつけた。
『馬鹿野郎!!! ちゃんと連携取れ!! お前のせいでまた死んだんだぞ!!』
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