第8話 夜の迷宮に消えた船

 火星駐屯地所属の輸送艦アルゴノートの狭い兵員輸送室には、同じ顔をした少女がずらりと並んで座っていた。そこに交ざるようにして座ったライナスは、落ち着かなさげにその巨躯を縮めてもじもじとしている。


「プライマリ・スクールの修学旅行にでもぶち込まれた気分だぜ……」

「しっかりしてくださいよ。救助隊レスキューがいないなんてあり得ん、って言いだしたのはライナスでしょ」

「そうだけどよぉ……」


 彼らを乗せたアルゴノートは現在、ノクティス迷宮に向けて進行中である。

 火星の赤道付近にはマリネリス渓谷と呼ばれる長大な谷が存在し、その底には豊富な水資源が眠っている。人類はそこから水資源を採掘することで火星への進出を果たした。そのマリネリス渓谷の端であり、火星都市エリュシオンを擁したタルシス台地の西側には、ノクティス、つまり夜の迷宮と名付けられた更に深い谷が存在する。

 ライナスは隣でバングルのホロモニタを表示しているケイの手元を覗き込んだ。


「随分ごちゃごちゃした地形だな」

「採掘プラントの復興か……」


 反対側からルイスもホロモニタを覗き込みながら顎を撫でる。ガタイのいい男二人に左右からぎゅうと挟み込まれたケイは、すごく嫌そうな顔をした。


「ちょっとお。二人とも、ご自分の手元で出してくださいよ!」

「「めんどい」」


 ケイは深い溜息を一つ落とすと、色々な事を諦めてホロモニタに視線を戻した。尺付きの地形データは、幅30km、深さ6kmに達する幾つもの谷が、約1200km(イタリア半島と同程度の長さ)に渡って交差しながら広がっている様子を映し出している。

 

『各自、データは確認しているか。これよりブリーフィングを始める』


 インカム越しに流れてきたシキシマの声に、男たちは若干居住まいを正した。


『現在ノクティス迷宮において、昨年の侵攻で被害を被った水資源の採掘プラントの復興作業が進められている。その復興作業員と資材を載せた輸送艦が、護衛機ともども行方不明になった。火星基地より捜索隊が組まれたが、そちらとの連絡も途絶えた状態だ』


 地形データにはマーカーが2つ点灯している。輸送艦隊と捜索隊の最終通信地点を示すその光点が、互いに離れた位置にあるのを見てケイは眉をひそめた。


『諸君らの任務は輸送艦とその護衛機、および捜索隊の捜索と、原因の排除だ。状況から戦闘が予想されるが、ミイラ取りになることは許さん。ノクティス迷宮に到達の後、先発隊にて捜索を開始する。ブリーフィングは以上だ。諸君らの健闘を期待する』


 ホロモニタに視線を落としたまま、ケイが言う。


「広いなぁ。骨の折れそうな仕事ですね」

「なぁに、俺らには番人センチネルもついてる。すぐ見つけてくれるさ」


 少し離れていた所に座っていたユリアが、他人任せなライナスの言葉を聞いて顔をしかめた。


「折れるわよ……骨……」

「あは、何日かかかるかもね〜」


 ユリアの隣では、ナギが呑気にそう言って笑った。緩く束ねた白い髪が揺れる。


 応援要請があったのは、ユウ達の異機種編隊コンポジットと、早期警戒機ヘイムダルだった。だが現在、兵員輸送室にはユウ達と双子の他に、ナギと救助隊の3人、さらにコンラートが座っている。彼らに加えて、クピドと同じ顔の少女たちが20人。それが今回の作戦の参加人員だった。


 天使の欠片エンジェルズ・フラグメントと呼称されるクローンパイロット達は、専用に調整された量産型カスタム戦闘機カドリガに搭乗する。天使の欠片エンジェルズ・フラグメントは低コストでの量産のため、その成長は少女の段階に留められていた。少女の体躯で扱えるように調整された機体カドリガは、その低コスト性ゆえに一種のみしか用意されていない。

 アヴィオンが投入される戦闘機戦は通常、多彩な機種で互いを補う戦術が取られる。対してクローン達の戦いは物量戦だ。QPシリーズの投入される戦闘には、救助機も医療機も存在しない。


 最近入り浸っているケイの部屋までユウがシエロを回収しに行った際、そこで管を巻いていたライナスはその事実を知っていたく腹を立てた。腹を立てたその勢いで艦長室に乗り込んでいき、仕事中の艦長シキシマ相手に救助隊の必要性を滔々とうとうと説いた。指揮権がないからと渋い顔をして見せたシキシマの隣で、アサクラがあっさりと火星側から指揮権を捥ぎ取り、救助隊も投入される運びとなったのだった。

 その騒ぎを聞きつけたナギが、「暇だから」の理由で自分も作戦に捻じ込んだ。「捜索なら哨戒機も居たほうがいいでしょ」の言は、後添えだった故に取ってつけた感この上なかった。ちなみに彼のフライトバディのラニはまだ病床のため、単機での参戦である。


 ユウはブリーフィング用に配信された資料をスクロールした。ノクティス迷宮の採掘プラントは、迷宮と呼ばれるその複雑な地形の各地に巨大な構造物をばら撒いている。フォボスの悪夢起因の大規模侵攻の際、このプラントは大きな被害を受けた。攻略戦が終わった後、残党狩りと定期哨戒は行われていたようだが、このどこかにまだアザトゥスが巣食っているのだろうか。

 交信ログを眺めて、ユウは首を傾げる。


「戦闘ログが一切ないのが気になるな」

『どちらも突然連絡が途絶えタようですね』


 インカム越しにシエロが応えた。アヴィオン各機は現在、アルゴノートの格納庫の中だ。兵員輸送室にRAM作業用補助ユニットを置く余裕はなかったため、ユウの相棒は久々の箱詰め状態だった。

 

「何かにぶつかったとかじゃねぇのか? 少し前まで砂嵐が酷かったろ」


 コンラートが口を挟んだ。現在、シエロの通信音声はユウだけでなく全員に聞こえる状態になっている。

 火星という星は年に1度程度、局地的な激しい砂嵐を起こす。今年は1週間と少し前、つまり第13調査大隊がダイモス戦を終え火星に到着した頃に運悪くそれを引き当てた。ユウはここ数日の天候を思い出しながらログを眺める。


「連絡取れなくなったの、昨日って書いてある。昨日なら砂嵐はもうほぼ落ち着いてたよ。それに爆発四散でもしない限り、通信も友軍識別信号IFFもまとめて消えるなんてことはないと思うけどなぁ」


 ユウがそう返すと、ナギが思い出したように手を打った。


「こないだのダイモスさぁ、生存信号ハートビート偽装してたじゃん? 通信妨害とかできるようになったんじゃないの?」


 QPシリーズとハイドラ以外のその場の全員が、辟易とした表情を作った。


「こいつらはジャミングとかしてこねぇとこが唯一の良いトコだったのによ〜……。旧戦闘機ファイター時代を思い出しちまうぜ。ステルスとかついてねぇだろうな」


 ライナスはそう言って口をへの字に曲げる。ステルスの影響をもろに受ける早期警戒機乗りのユリウスは引きつった苦笑いを見せた。


「いや流石にそれは……」

「ありそ〜」


 1人だけニコニコしているナギが楽しそうに肯定したのを見て、コンラートはため息をついた。


「フラグ乱立してんじゃねぇよ、お前ら……」

「悪い事は考えといたほうがいいと思うけどな〜。コンラートの好きな死にゲーと同じだって」

そういうトコ死にゲーまでカバーしてるお前が俺はこえーよ、ナギ……」

「若けぇ奴のことはもうよくわからんなぁ」


 そう言ってぽりぽりと頬を掻くライナスに、「あれは世代違いじゃなくてジャンル違いですよぉ」と呟きながら、ケイは静かに前を向いて座っている少女達を見回した。

 

「それにしても、お嬢さんたちは皆随分落ち着いてますねぇ。大丈夫?」


 一番近くに座っている少女にそう声を掛けると、少女は機械的な動作で振り向いた。


「はい。ノクティス迷宮での任務のため移動中です。ブリーフィングの内容に不明点はありません」

「いやあ、そうじゃなくてぇ、不安だったりとかは……」

「不安とはなんですか?」


 質問に質問を返して、少女は感情の感じられない瞳をゆっくりと瞬かせる。不安とは何か、と抽象的な問いを返されて、ケイは眉を下げた。


「えぇー……?」


 困惑した様子のケイに、クピドが言う。


「この子たち、情緒データは刷り込みインプットされてないんです。あと本能的な恐怖の部分には感情マスキングが掛かってるので、怖がったりもしないですよ」

「君はずいぶん感情豊かな感じがするけど……」

「わたしは試用品の試作品プロトタイプなので~」


 そう言って笑ったクピドの表情に悲壮感はない。ケイの隣でそれを聞いていたルイスが、珍しく表情を歪めた。


「研究所ってのは随分なところらしいな」

「そうかもしれませんね。でもこの子たちエンジェルズがいないと火星の防衛は立ち行きません。初陣で怖がってるクローンをケアしてあげる余裕は火星にはないんです」


 クピドの表情からは笑みが消え、幼い顔には静かな諦観が浮かんでいる。


「わたしたちの寿命はそう長くはありません。親もなく生まれて、行先は戦場。わたしたちは歩兵ポーンです。替えの効く捨て駒です。情緒はないほうが幸せかもしれないですよ」

「自分の事を捨て駒だなんて言うもんじゃない」


 怜悧な瞳がクピドを睨みつけたが、原型オリジンの少女は臆さない。


「それじゃあ、わたしたちの代わりに、家族がいて、これまでと、これからの人生がある人達が死ねばいいですか? あなたが2000人のQPの代わりに火星を守ってくれますか?」

「……それは」


 言い淀んだルイスを見て、クピドは表情を和らげた。


「ちょっと意地悪を言っちゃいましたね。ごめんなさい。今日来てくれたルイスさんたちが、最良ベストを取ろうとしてくれてることは嬉しいんです」


 ルイスは黙り込んだ。世の中最良ベストの選択肢が取れないことはごまんとある。突然始まったアザトゥス侵攻の開始以降それは特に顕著で、彼はその事をよく知っていた。

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