第4話 異機種編隊《コンポジット》

 生活区の端に位置するその小さなブリーフィングルームは、あまり使われる機会がなかったためか、置かれた机や椅子に薄く埃を積もらせていた。


「埃っぽいわね」


 咳を一つこぼしてそう呟くユリアに、男3人は頷いた。


 シキシマから連絡があったのは昨日の事だった。


「ユウ、先日言った通りお前には引き続きシエロに乗ってもらう事になったわけだが、今後は火星で合流する特殊機体のメンバーと異機種編隊コンポジットを組んでもらおうと思う」


 特殊な事情を抱えたメンバーだから、大隊メンバーとの顔合わせは少しずつ行いたいのだと言う。まずはユウと歳が近くて仲の良い者を何人か引き合わせたいとメンバーの選定を任された結果、双子とコンラートが同席することになった。ちなみにナギも誘ったのだが、そちらはにべもなく断られてしまっている。

 椅子の埃をはたいていると、ブリーフィングルームの扉が開いた。


「すまない、待たせたな」


 そう言いながら入室してきたシキシマの後に続いて入ってきた“新人”を見て、コンラートがあんぐりと口を開けた。


子供ガキじゃねぇか」

 

 未成熟な背丈に、華奢な手足。どう贔屓目ひいきめに見積もっても10歳程度の男の子と女の子だった。彼らに続いて入ってきたアサクラが、後ろ手に扉を閉める。


「今はこんな小さな子まで戦場に行かせることになってるんですか」


 そう言ったユリアの声には怒気が滲んでいる。苛烈な感情を露わにした青い瞳を、アサクラが覗き込んだ。


「怒らない怒らない。軍の規定は変わってないよ。志願も徴兵も15歳以下は禁止されたままだ」

「じゃあなんで――」

「びっくりさせてごめんなさい、お姉さん」


 食い下がろうとしたユリアの手に、小さな手がそっと触れた。


「わたしは戦闘用試作型クローンType_QP、シリアルナンバー01といいます」

「……え?」


 女の子が言った言葉に思考が追い付かず、ユリアは間抜けな声を出す。面食らった様子のユリアに、女の子はぺこりと頭を下げた。ふわふわの栗毛が揺れる。


「こう見えても正規パイロットです。アヴィオンにはちゃんと乗れます。安心してください」


 戦闘用試作型クローン、という単語がユウの記憶を引っ掻いた。ユウは複雑な表情をしてシキシマを見る。


「以前お聞きした、アサヒナさんのクローンですか? 火星で実験が進んでるって……」

「そうだ。近年のパイロット不足は殊に深刻でね。我々が前に進むには、彼女たちの手も借りざるを得ない」

「何よそれ……より悪いわよ……」


 ユリアが青い顔で呟いた。その肩にそっと手をかけたユリウスと、相変わらず空いた口が塞がらない様子のコンラートも難しい顔をしている。重くなった空気を振り払うように、Type-QPと名乗った女の子はぱたぱたと両手を振って見せた。


「皆さん、そんな顔しないでくださいよ~! ほらわたし、えーっと……そう! 培養槽を出て半年になりました! 0歳児のQPをよろしくお願いしますねっ」


 沈黙が満ちた。「い、今のはクローンジョークですよぅ……?」とQPが慌てて言葉を重ねてくるのがなおもまた痛々しい。

 その沈黙を破ったのは、涼やかな女性の声だった。


「よろしクお願いしますね、QPさん。私は新型高機動ハイ・マニューバ戦闘攻撃機の機体制御用AIユニットモジュールのHUS-01_CIELOト言います。気軽にシエロと呼んデくださいね」


 QPの表情がぱぁっと明るくなった。半割りの乾電池のようなボディのRAMに駆け寄ると、小さな手でぺたぺたとその表面をなで回す。


「あなたがシエロさんね!? お話伺ってます。お姉さんだったとは思いませんでした! ご本体は機体に?」

「はい、異機種編隊コンポジットを組むと伺ってまスよ。格納庫も同じになるはずですから後でお見せしましょウね」

「わぁ、是非お願いします! ふふ、私も機体制御に頭を繋ぐんですよ。操縦桿使わないで操縦するの、お揃いですね! カドリガのことも見てくださいね!」

「ええ、もちろン」


 穏やかな声でQPと会話しながら、シエロはマニュピレータで相棒ユウの尻を引っ叩いた。


「痛った! 何するんだよ」

「貴方達ね、いかにも良心を痛めてますって顔をしてますけドね。こんな小さい子に気を遣わせてる事については、これっぽっちも良心が痛まないんでスか? あー恥ずかシ先輩のくせに」


 ボイスライブラリの入れ替えによって以前より滑らかになった言葉が、鋭い切れ味で“先輩”たちのハートを抉った。シエロと会話していた時は花が咲いたような笑顔を見せていたQPが、そうっと見上げるように寄越した視線に耐え切れず、全員が掌で顔を覆う。

 いち早く正気を取り戻したのはユウだった。シエロのマニュピレータの端をそっと持ったまま僅かに体を竦ませているQPの前にしゃがみ込み、目線を合わせて話しかける。


「ごめん、QP。改めて、こいつの相棒で今回君たちと異機種編隊コンポジットを組む予定のユウだよ。よろしくね」


 QPの表情が再びぱっと明るくなった。


「はい、よろしくお願いします!」

「俺はコンラート。アルテミスに乗ってるぜ。よろしくな、嬢ちゃん」

「ユリアよ。こっちは兄貴のユリウス。ユウの同期で、ヘイムダルに乗ってるわ。よろしくね」

「よろしくね、QPちゃん」


 口々に自己紹介してくる先輩たちに嬉しそうな表情を向けてから、QPはちらりとシキシマの後ろに視線を送る。


「あの、わたしだけじゃなくて」


 全員がはっとした表情でシキシマの方を見た。クローン云々の衝撃で、もう一人の存在は全員の頭からすっぽりと抜け落ちていた。シキシマの陰で静かに佇んでいた彼は、その視線に気付いてシキシマを見上げる。シキシマが小さく頷くと、そろりと前に進み出た。


「初めまして。ぼくは試験運用中の高火力攻撃機ハーメルンのパイロットです。ハイドラといいます。よろしくお願いします」


 そう言って男の子はぺこりと頭を下げた。乱雑に切り落として荒く束ねた印象の、長い赤髪が揺れる。頭を上げて全員の顔を見たその目は、透き通るような金色をしていた。

 その幼い体躯を見て、コンラートが首を傾げる。


「お前もクローンパイロットなのか?」

「いえ、ぼくは」


 そう言ってハイドラは、服の袖に手を掛けた。細い指が袖口のボタンに掛ったのを見て、シキシマが慌てて止めに入る。


「おいハイドラ、よせっ!」


 だがシキシマの手が届くより早く、ハイドラは袖をぐっと捲り上げた。ひゅう、と喉が渇いた空気を吸い込む音が、狭いブリーフィングルームに幾つか響く。


 それは見慣れた光景だった。だがこの生活区で見てはいけない光景でもあった。


 少年の腕には、無数の孔が空いていた。睫毛まつげのないまぶたのようなそれが、少し痙攣しながらゆっくりと開く。生々しいいろを覗かせる孔から、そろりと肉の触手が顔を出した。

 シキシマが渋い顔で眉間を揉む。


「ハイドラ……今日は黙っておけと言っただろう」

「ごめんなさい、シキシマ艦長。ですが、これを隠しているのは誠実ではありません。驚かせてすみません、皆さん。ぼくは、混ざりものアザーティです」

 

 透明感のある少年の声が、その声色に似つかわしくない大人びた口調で響く。触手が音もなく孔に戻っていき、ハイドラは袖を元に戻した。


「……ざっけんなよ」


 短い沈黙を破ったのは、コンラートだった。瞳を憎しみに燃やした男が今にもハイドラに飛び掛かりそうになっているのを見て、ユウとユリウスが慌てて両脇から抑え込む。


「ふざけんじゃねぇ! そいつはアザトゥスじゃねぇか! パイロットだぁ? 舐めたこと抜かしてんじゃねぇぞ。何のつもりだよ!」

「やめなよ、コンラート」

「お前ら何も思わねぇのかよ! お前らだって家族殺されてんだろうが。受け入れられるわけねーだろ畜生!」


 射殺すようなその視線を、ハイドラは真っ直ぐに見つめ返した。


「皆さん、コンラートさんのお怒りはごもっともです。ぼくは贖罪しょくざいのためにここにいる。共に戦うことを許してはいただけませんか」

「澄まし顔で何抜かしてんだコラ、贖罪だぁ? なら今すぐ俺がぶち殺して償わせてやろ――」

「ねぇコンラート」


 まくし立てるコンラートとハイドラに間に、音もなくアサクラが割って入った。薄闇を溶かし込んだような濁った瞳にじっと見つめられ、コンラートが気圧されたように口を噤む。


「昔話をしよう」


 アサクラは倦んだ微笑みを見せるとコンラートから視線を外し、ゆっくりと部屋の中を歩き始めた。


「むかしむかし――そう、1年ほど前のことです」


 童話のような語り口で、アサクラは話し出す。


「家族をすべて喰われた娘が、アザトゥスに犯された挙句に一人の息子を産み落としました。墮胎も叶わず家族の敵であるアザトゥスの子を産んでしまった娘は、生まれた息子を憎み、何度もそれを殺そうとしていました。しかし何をやっても息子は死なず、娘は徐々に発狂し死に至りました」


 絵本を読み聞かせる父親のような、穏やかな声が壮絶な内容を語る。アサクラは演劇役者のように大きく手を広げた。


「娘が死んだ翌日、息子は産まれて初めて外に出ました。『殺してください』と、初めて会った人に開口一番そう言った彼は、軍に保護されることになったのです」


 コンラートの全身から力が抜けていくのを感じて、ユウとユリウスは抑え込んでいた腕を解く。コンラートは力なく座り込み、赤髪の男の子を見上げた。酷い動揺と混乱を滲ませたその視線に、ハイドラは眉を下げて微笑んだ。


「母はぼくが殺したようなものです。そして父は皆さんの家族を殺した種族です。ぼくは償わなくてはいけません。あなたの怒りを忘れないで。それは正当な感情なのですから」


 コンラートは答えなかった。憎悪の焔が消えた視線が、ハイドラを外れてくうを彷徨う。怒りの感情をどこへ置いたらよいのかと探しているかのようだった。

 たっぷりの沈黙の後、コンラートは自分の膝に視線を落として呟いた。


「……すんません、退室していいスか」

「構わない。事前に伝えておくべきだった。すまなかったなコンラート」

「いえ。失礼します」


 のそのそと立ち上がったコンラートは、そのまま誰とも視線を合わせず部屋を出ていく。扉の閉まる音がして、シキシマが大きく息を吐いた。

 ハイドラが申し訳なさそうな顔で言う。


「すみません。勝手なことをして」

「……いや。君の知性に胡座をかいた私の責任でもある。もっと密にコミュニケーションを取るべきだったな」

「……あの」


 ユウが声を掛けると二人は振り向いた。

 自分よりも激昂している者がいると、人間は案外冷静になれるものらしい。コンラートを押さえている間に生活区で見せられた肉のいろに対する恐怖や動揺はすっかり消え失せ、ユウの胸にはただただ申し訳なさが満ちていた。


「ごめん。その……辛い話をさせてしまって」


 ユウは少し言葉を探したが、結局出てきたのは当たり障りの無い謝罪でしかなかった。だが当のハイドラは悲壮感のない柔らかな笑みを返す。


「ぼくの生い立ちはその……インパクトがあるので、落ち着いて頂くには丁度いいんです。アサクラさんが話してくださらなければぼくがお話していたと思います。ぼくのように理性の抑えの効く混ざりものアザーティは滅多にいないとエリュシオン第二研究所の研究員も言っていました。コンラートさんの反応は至極当然で、ぼくのほうこそ、いきなりお見せしたのは配慮が足りませんでした」


 その表情と声色からは、無理をしているのではなく本心からそう思っている事が伺える。おおよそ10歳やそこらの子供のものではない理知的なその印象は酷くちぐはぐで、ユウの心を冷たい手が撫で上げた。

 終始落ち着いた様子のハイドラに、ユリアがおずおずと声を掛ける。


「ねぇ、さっきアサクラさんが1年前って言ってたけど……」


 目の前の少年はどう見ても赤ん坊ではなかった。1年前に産まれたと言われると、計算が合わない。ハイドラは当然の疑問とばかりに、鷹揚に頷いてみせる。


「正確には10ヶ月前ですね。QP風に言えば、ぼくも0歳です。ぼくの体はだいたい1ヶ月で1歳分成長するので」

「ちなみに精神の成長はさらに早くてねぇ。その子は君たちと同じくらいの精神年齢だよ」


 自分で聞いておいて絶句しているユリアに向かって、ハイドラは穏やかに言う。


「そんな顔をしないで。僕は人間の埒外の生き物です。心を砕いて頂く必要はありません」

「いいや、それは違うね、少年」


 やんわりとした否定の言葉は、絶句しているユリアの兄によって即座に否定された。それまで賢者のような印象で佇んでいた少年は、少し驚いたように瞬きを繰り返す。初めて外見相応の表情を見せたハイドラに、ユリウスは指を突きつけた。


「君はこの隊に来た。俺たちの帰る場所はこの隊だし、あー、大隊の奴らはみんな家族みたいなものなんだよ。俺はユリアのお兄ちゃんだが、ええとその、今日からはそう、お前のお兄ちゃんでもある! まあその、確かに君は人とはちょっと違うかもしれないけどさ、どうせぴったりおんなじ人間なんて居やしないんだ。だから……その、遠慮はするな。兄ちゃん達と仲良くしよう」


 一生懸命言葉を探しながら喋るユリウスが、肘でユウの脇腹を小突く。呆気に取られていた風のユウは、「あ、え」と単語にもならない声を出した後、ユリウスをまじまじと見て言った。


「ユリウスが大隊のみんなを家族だと思ってるのは知らなかった」

「ちげーよ今それ言う必要あるか!?」

「いや、うん。ごめん。……ハイドラ、俺もその、君とは仲良くしたい」


 ハイドラは不思議なものを見るような目でユウとユリウスを見上げている。ユウは膝を折って、手を差し出した。ハイドラはきょとんとした様子で、その手を見て首を傾げる。


「……?」


 その反応から握手という概念を理解していない事を見て取って、ユウはぽりぽりと頭を掻いた。


「ええと、これは握手と言って。互いの手を合わせて、軽く握ることで友情や信頼を示すんだ」


 ハイドラは自分の手とユウの手を交互に見た。躊躇うように数回自分の手を握ったり開いたりしたあと、おずおずとユウの手に細い指先で触れる。触れた瞬間に逃げようとしたハイドラの小さな手を、ユウの手がするりと包み込みんだ。


「そう、こんな感じで手を握るんだ。これで、俺たちは友達だって約束するんだよ」

「友達……」


 ハイドラはその単語を確認するように小さく呟いた。小さな手がきゅっと柔らかな圧を掛けると同時に、ユウの指先に暖かく濡れた感触が触れる。


「これでも?」


 そう言いながらハイドラは握り合ったままの手を少し捻った。少年の小さな手の甲が上向きになり、ユウの指の下からきょろりとした目玉が覗く。ユウは一瞬びくりと肩を震わせたが、握った手は離さず濡れた眼球の上から指を慎重にどけた。

 ユウは空いているほうの手を顔に持っていき、自分の眼球に指で触れて顔をしかめる。


「うわ、これは……ねぇちょっと、痛くなかったの?」


 そこに目が存在したことではなく、眼球に指で触れてしまった事に言及されたハイドラは面食らったような顔をした。拍子抜けした声で、小さく答える。


「いえ……大丈夫です」


 手の甲で驚いたようにまん丸に開かれた瞳孔と目が合ったので、ユウは興味深そうにそれを覗き込んだ。


「すごいな。それ、どう見えてるの?」

「画角の違うカメラの映像を重ねたような感じになりますね。見にくいので普段は使いません」


 ベッドの下に飴玉を落とした時が一番役に立ちましたね、と言ってハイドラは笑った。

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