第2話 ラム・パーティ
——
食堂の注文カウンターにどどん、と掲げられたその手書きの文字を見て、ユウはんんと唸った。
火星は羊肉の名産地である。
かつて火星にテラフォーミング計画が持ち上がった際、家畜の出すメタンガスを利用して火星の温室効果を高める実証実験が行われた。 実験に伴い、牛と比較して
周りを見回せば、同僚たちは次々とラムチョップや煮込み料理の乗ったトレイを持ってテーブルへと向かっている。香ばしい脂の香りがそこかしこから漂ってきて、ユウの胃袋がぐう、とその存在を主張した。
「来たね、ユウ! 大活躍だったそうじゃないか。仕入れが忙しくて、ここんとこ顔見れてなくてすまないね」
「ナタリアさん」
注文カウンターから覗き見える厨房の中ほどから、火柱が上がった。フランベされたブランデーと脂の香りが鼻をくすぐる。豪快にフライパンを揺すっていたナタリアは、香り立つその肉を手早く皿に盛り付けると、キビキビとした動きでカウンターにやってきた。
「はいよラムチョップあがり! メイ、あんたのだよ」
待ちわびた顔の隊員に向かって皿を押しやると、ナタリアはカウンターにもたれかかって肘をついた。濃い桃色に染められたポニーテールが一束、カウンターに落ちる。
ナタリアは艦隊の胃袋を支える炊事班の班長だ。食べ盛りの若輩兵たちからは、台所の女神として崇められている。
ナタリアは化粧っ気のない顔に人好きのする笑みを浮かべて、メニュー表と自分の顔を交互に見ているユウに注文を促した。
「さあ、何にする? 肉? 魚? 立役者なんだろ、そこに書いてなくてもなんでも好きなもの作ってやるよ」
「ラムパーティなんだろ? 羊がいいな」
「はいよ! 火星羊のいいのを仕入れたんだ。アンタ骨付きが好きだったね? ちょっと待ってな」
軽く手を上げて、ナタリアが厨房の奥に消える。ユウは辺りを見回した。あちこちで白い皿の上に肉の花が咲いている。絵画のように垂らされた、艶めくソースが美しい。ごくりと喉を鳴らしたユウを見て、シエロが尋ねた。
「お好きなんですカ、羊」
「好きだよ。ラムチョップは大好物だ」
そう答えてユウはカウンターに背中を預けた。無意識に鼻をひくつかせているその姿を見て、シエロが「匂い機能……」と控えめなアピールをしてきたが、ユウは気づかないふりをした。
好物の到着をそわそわと待ちながらも、あえて厨房の方を見ないようにしていたその背中を、皿の感触がつんと突く。ユウはぱっと顔に喜色を浮かべて振り返った。
白い皿はみっちりと肉で埋まり、盛り付けからは余白という概念が消え失せている。他の皿では美味しそうに掛けられていたソースは、ごついグレイビーボートに並々と注がれ、別添えになっていた。
大層立派なその塊肉から8本の骨が飛び出しているのを見て、ユウは頬を引き攣らせる。
「あ……ありがとう」
精一杯笑顔を作った。ナタリアは部活帰りのハイスクール生の息子に夕食を出す母親のような顔でニコニコしている。
「あんたパイロットに復帰したんだろ? しっかり食べてもっと筋肉つけな」
ユウは黙って小刻みに頷いた。トレイを持ち上げる。重い。
「ああ、ちょっと待った」
そそくさとその場を立ち去ろうとしたのに、呼び止められた。ユウは緩慢な動作で振り返る。ナタリアがちょいちょい、と手招きした。
「ごめんよ。忘れてた」
余白のほとんど存在しないトレイの上に、ナタリアは無理やりライスの皿をねじ込んだ。大盛りだった。
* * *
ユウは空席を探して彷徨っていた。ずっしりと重いトレイに、あちこちから突き刺さる視線が痛い。今日みたいな日に限って、ユリアもユリウスも同伴していないのだった。
せめてこの不安定なライスだけでも持ってくれないかとシエロに打診したが、無視された。さっき知らんぷりをした仕返しなのか、鋼鉄のボディに宿る相棒はそっけない。
「よーう、英雄!」
「うわ!?」
突然背後から伸びてきた腕が首と肩に絡みつき、ユウは重いトレイを抱えてつんのめった。滑り落ちたライスの皿を、シエロのマニュピレータが器用にキャッチする。一応気には掛けてくれていたらしい。
「ちょっとライナス、困ってますよぉ」
ニコニコと嬉しそうな顔でこちらを見てくる筋肉だるまに困惑していると、パタパタとこちらに駆けてきた華奢な少年が眉を下げてそう言った。少年の呼ぶ名に、回線に時折響いていた怒声と先程掛けられた声がリンクする。
「ライナス……イージスの?」
抱え込まれた腕の下から見上げるような形でそう問えば、ライナスは笑顔をにっと深くして「おう!」と答えた。
「席みつかんねーのか? 俺ら丁度3人でさ。よければ英雄サマにご同席を願えれば、なーんて」
「ユウでいいですよ。席なくて困ってたので、喜んで」
「っしゃ! 1名様、ごあんなーい。退いた退いた、英雄サマのお通りだぞ!」
マイクも無いのに朗々と響くその声に、さぁっと人波が
「お前は距離の詰め方が雑すぎるんだ」
振り下ろした手刀をそのままに、怜悧な瞳が
「ルイス〜。なにも叩かなくてもいいだろ〜」
「言って止まる相手になら俺だってそうするがな」
「ユウ君、こっちこっち」
目つきの鋭い痩躯の男に叱られているライナスをよそに、少年がちょいちょいと手招きする。ジャケットの置かれた4人席にトレイを降ろして、ユウはようやく一息ついた。
「いやぁ、ごめんね強引で。あっ、僕はケイ。アンカー乗りだよ。よろしくね」
ケイと名乗った華奢な少年は、そう言って人懐こい笑みを浮かべる。ユウは挨拶を返そうとして言葉に詰まった。敬語を使うべきか否かで悩み込む。
知らない顔だが、見た目は随分若そうだ。オセアニア支部にいた同期の顔は皆覚えている。他支部の同期か、後輩か。はたまた先輩なのか。コンラートの事があったので、ユウは妙に慎重になっていた。
「よろし——」
「お前すげぇ量食うな!細っこいのに!」
返事を返しかけた時、ライナスの声がその語尾をかき消しながら被さってきた。
「いや、これはナタリアさんが……」
会話が中断されたことに内心ほっとしながら、正直食べ切れなさそうなのだという事を伝える。「なるほどなあ」と頷いて、ライナスはケイのシャツの首筋を引っ掴んだ。
「じゃー、みんなで食おーぜ! ビールでも貰ってくらぁ」
「ちょっとなんで僕まで!」
「お前いつも途中で野菜欲しいって言うだろー。ついでにサラダでも貰いにいこーぜ」
「いやちょっと苦しっ、わかったわかった分かりましたぁ! 行くから離して!」
ぎゃいぎゃいと騒ぎながらカウンターへ向かった二人を呆然と眺めていると、椅子を引く音がした。振り返れば、一人残った男が引いた椅子に向かって顎をしゃくる。
「まあ座れ」
「……ありがとうございます」
落ち着かなそうな面持ちで椅子に腰を降ろしたユウに、男は無表情で「すまんな」と告げた。ユウはふるふると首を横に振り、その怜悧な顔を眺めて躊躇いがちに口を開く。
「ええと……」
「ルイスだ」
「ルイスさんは、行かなくても?」
ルイスは表情を動かさないまま、顎を撫でた。ちらりと目だけをカウンターの方向に向け、小さく肩を竦める。
「いいんだ。どうせ死ぬほど来るぞ」
「……?」
* * *
「ナタリアちゃーん、ビール2杯くれビール!」
ご機嫌な様子の(この男は大抵ご機嫌なのだが)ライナスからの
「アンタ酒だけ飲む気かい? ちゃんと腹になんか入れなよ」
「へへ、ユウのラムラックのご相伴に預かろうかなってさ」
そう言ってニコニコと骨付き肉をかじるようなジェスチャーをしてみせたライナスに、ナタリアはため息を吐く。
「なんだい、立役者から肉を取ろうってか? ユウに食わせてやんなよ。ライナス、アンタ体でかいんだからどうせたんまり食うんだろ」
ちょっと待ってな、と言って厨房の奥に引っ込んだナタリアを、ライナスはキョトンとした表情で見送った。ケイが何かを察して、そろりとその背に隠れる。ほどなくして戻ってきたナタリアの右手には黄金色の液体が並々と注がれたジョッキが2つ握られていた。左手の皿が重々しくトレイに置かれる。Tボーンステーキであった。
「お、旨そ~」
ふわりと鼻をくすぐる脂と香辛料の香りに、ライナスは破顔した。食べきれないから一緒に食べよう、という前提でここに来たことをもう忘れている。
ずしりと重いトレイを軽く持ち上げると、「野菜も食べな」ともう1枚トレイを渡される。そこに乗せられた、大きなパエリア鍋を思わせるサラダボウルのサイズを見て、流石のライナスも顔を引きつらせた。押しの強さに実家のかーちゃんの顔が頭をよぎる。
「ケイ」
「ハイッ」
そろり、とライナスの陰に隠れたまま退散しようとしたケイを、ナタリアは目ざとく見つけた。返事だけは元気よく返したケイは、そーっと足を後ろに引きながら、両手を顔の前に立ててゆっくり首を横に振る。
「いやナタリアさん……、あの、僕はその、ノンアルでいいので、飲み物だけで」
「そんなだからアンタは筋肉足りてないんだよ、ケイ! ほらトレイ!」
「わー、ごめんなさい!」
台所の女神は、艦隊の
重そうなトレイを手に戻ってきた相棒たちを見て、ルイスは片眉を上げてユウに一言、「な?」と言うともう一度肩を竦める。
トレイが置かれ、4人掛けのテーブルに載った肉の量は3倍になった。
「イヤ、ナンデダヨ」
ずっと黙っていたシエロが無機質な声で、ツッコんだ。
* * *
「へーっ、お前さん7期生なのか!
肉を囲んでアイスブレイクから始まった会話は、いつの間にかユウ自身の話題へと変化していた。
Tボーンステーキをぺろりと平らげて、結局ラムラックの切れ端を齧っているライナスが、大げさに驚いて見せる。ナタリアさんの見立ては正しかったんじゃないかな、と思いながらユウは「はぁ、まぁ」と曖昧に頷いた。
ライナスはごくりと喉を鳴らしてビールで肉の切れ端を流し込むと、「なぁなぁ!」と身を乗り出してくる。
「新人で英雄サマたぁ、大したもんだ! フォボスの悪夢の話って噂話ばっかだろ? ぜひご本人の話を聞いてみ――いだだだ!」
「やめないか」
“フォボスの悪夢”の単語が出た瞬間にさっと青ざめたユウの表情を見たルイスが、すかさずライナスの耳を引っ張った。
「千切れる! 千切れ」
「お前は、セナを助けられなかった時の話をしてくれって言われたら喜んで話すのか?」
ルイスの言葉に、すっと空気が冷える。ぴたりとライナスが口を噤んだ。
「知りたかったら自分でレポートを読め。お前の酒のつまみにしていい話じゃない」
底冷えのする声に、ユウの背中まで冷たくなる。その表情の微妙な変化に気付いたケイが、耳を掴んだまま無表情で淡々と言葉を紡ぐルイスの手をそっと引っ張った。
「ルイス、それくらいにしてあげて。ユウ君がびっくりしてますから」
耳を真っ赤にしたライナスは、大きな体を小さくしてすっかりしょぼくれてしまっていた。ケイは振り返り、眉を下げた優しい表情で肩を竦める。
「ユウ君、ごめんね。ライナスも悪気があったんじゃないんだ」
「すまん」
「ごめんなぁ……」
口々に謝られたユウは、良い人達だな、と素直に思う。強張っていた表情をふっと緩め、肉の皿を指で弾いた。
「何の話です? まだまだお肉ありますよ」
「お前ぇ〜〜いいやつだなぁ〜〜」
ちょっと格好つけた台詞をキメて見せたユウに、ライナスが抱きついて頭をぐりぐりと撫でた。筋肉に締め上げられてユウが「ぐぇ」と苦しそうな声を出す。
「私ノ相棒を絞め殺さナイでくださいヨ」
「ん? おお、悪ぃ悪ぃ」
マニュピレータが太い腕を引き剥がす。照れたように頭を掻いているライナスに、ユウは尋ねた。
「皆さんはいつから
「うーん? ありゃいつだ? ルイス覚えてる?」
「アヴィオンは……第3次北米大陸合同戦役あたりからか? 俺とライナスは
「おお……懐かしのファイターよ」
そう言ったライナスが懐かしそうに眼を細めたのを見て、ユウは軽く瞠目する。旧世代戦闘機時代のパイロットが生き残っているのは知ってはいたが、実際に会うのは初めてだった。
アヴィオンが実用化されるまでに、空軍パイロットはそのほとんどが死んでしまったと聞く。嫌なことを思い出させたかもしれない、とユウは眉を下げた。長い戦争のせいで、経歴の話にはあちこちに地雷が埋まっている。
「……すみません」
「訊かれるぶんには構わない。俺達にはもう、青褪めるような感情も残っちゃいないしな」
ルイスはそう言って、弟にでもするかのようにユウの頭をぽんと軽く叩く。相変わらずの無表情だが、その手は暖かかった。ユウは軽くルイスに頭を下げながら、ちらりとケイを見る。ケイがその目線に気付いて微笑んだ。
「あ、僕? 僕も同じだよ。僕は
「え!?」
今度こそユウは驚愕した。懐かしそうな顔でニコニコと笑っているケイはどう見ても同い年かそれ以下に見えたからだ。第三次北米大陸合同戦役がいつ頃だったか詳細には把握していなかったが、旧国軍の軍人上がりだとすればその軍人歴は5、6年は軽く超えてくるはずだった。
動揺して目を右往左往させているユウをみて、ライナスがにやーっと笑う。
「なーユウ、こいつ幾つだと思ってたよー? しょーじきに言えしょーじきに」
「ええ……、いや、正直いえば、行ってて同い年かと」
「ユウ君、幾つだっけぇ……?」
「18です……」
「行ってて、って言ったな? 初見の感想を言いたまえよ」
「いやその、16くらいかなって……ナギみたいな早期育成パイロットなのかなと……」
「ぶっ……うっはははは!」
耐えきれなくなったライナスが吹き出す。ケイがテーブルに手を突いて勢いよく立ち上がった。カトラリー同士がぶつかる音が響き、皿の上で骨が踊る。
「16!? それ、僕の実年齢より10歳も低いんですが!? 僕16歳なんですけどぉ!? あいや違う! 26歳!」
「あはは! し、死ぬ! あは、あははは、ぼく16さい、ぶははは!」
ケイは顔を真っ赤にしてラムラックの骨をライナスに投げつけた。ひょいとそれをキャッチして、ライナスはなおも笑い転げている。ちらりとルイスを見れば、こっちもそっぽを向いて微妙に肩を震わせていた。
ちょっと涙目になっているケイを見て、ユウは必死に笑いを押し殺そうとする。
「す、すみませ……ふふ、いや、ホントすみません」
無理だった。笑いを含ませた謝罪に、ケイは頬を膨らませる。童顔がますます子供っぽさを増すが、本人は気付いていなさそうだった。
「いいですよーだもー。慣れてますぅー。いいもん、僕はシエロ君とお話するもんね」
「私はコンパニオンアニマルじゃないデスよ」
ふくれっ面のままシエロのほうににじり寄ったケイだったが、そのシエロも反応はつれない。
「わぁドライ〜……」
「AIナノデ〜」
アイスブレイク時の自己紹介以降、ほとんど話の輪に入ってこなかったシエロのインジケータライトは紫に点灯している。外向きのカメラを切ってVR空間を見ている事を示すそのライトを見て、ユウはシエロがちょっぴり拗ねている事を理解した。
「シエロ、——」
「そぉんなクールでドライなとこも僕は好きですけどぉ。これは君にもいい話だと思うんだよな〜」
フォローしようと呼んだ相棒の名に、ケイのにこやかな声が被さった。シエロのインジケータライトが、ぱつんと紫から緑に切り替わる。カメラアイの駆動音が控えめに鳴った。
カメラアイが自分を見たのに気付いたケイがにこりと笑う。バングルのコンソールを幾つか操作すると、ホロモニタを呼び出してそこにずらりとアプリケーションのパッケージを並べた。
「じゃーん! ねぇねぇ、どう?」
「……何ガ?」
可愛らしい少女が描かれた大量のパッケージを見せられて、シエロは困惑している。ライナスが呆れたように言った。
「ケーイ。お前の
「むぐ……。これはねシエロ君、ボイスライブラリです。今の合成音声じゃ味気ないでしょ。どうです、ちょっと試してみない?」
「何ですっテ」
RAMのタイヤが格納され、畳まれていた脚が伸びる。車高がぐっとあがり、カメラアイがじーっとホロモニタを覗き込んだ。
「この淡音ユキちゃんはなかなか可愛い声でねぇ。大人っぽい感じがよければこっちの詠言ツムギさんとか——」
「説明よりサンプル聞かせてくだサイ、サンプル」
(食いついてる……)
ジョッキの冷たいグリーンティをちびりとやりながら、ユウは意外な気持ちでその姿を見ていた。とにかくあの箱から出してやりたい一心で無骨なRAMにリンクさせてしまったが、もう少し外装にも気を使ってやるべきだったのかもしれない。
「サンプル渡しておくね。良かったら今度音声ライブラリの入れ替えお付き合いしますよ。調きょ……いや調整もした方が良いし」
ケーブルを繋いでサンプルデータを流し始めたケイの口から出てきた物騒な言葉に、ユウがぴくりと反応する。
「今、調教って言いませんでした?」
「いやその、界隈だと音域調整を調教って言ってぇ……」
「変な事しないでくださいね……」
「心配すんなー、ユウ。たしかにそいつは2次元性愛の激しい
「ちょっと! 公共の場で人の性癖大声で語るのやめてくれません!? あと機械系はべつに嫌いじゃないですからね!」
「エ……ナニそれ
否定した勢いで余計な事を口走るケイから、シエロがちょっと距離を取る。データ転送中のケーブルがピンと張った。
「墓穴掘ってるぞ、ケイ」
「いや違いますよ! 君にってわけじゃなくてぇ、あーもー!」
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