第二章 複製の天使と悪竜の落し子
第1話 葬送
「なあユウ、ネクタイこれでいいのか?」
「いいんじゃないかな……。俺もあんまり自信ない。あ、ユリウス後ろのとこ襟が立ってるぞ」
「そう言うお前は隊章ついてねーじゃん。だーから脱ぐ時そのまんまにしとけよって言ったろ」
「おっと、忘れるとこだった」
フェニックス内の自室で、男二人は慣れない軍制服を互いにチェックし合っていた。
ぱりっとしたその制服を着る機会はそう多くはない。作業用のツナギと軍支給のトレーニングウェアを愛してやまない二人には、少々荷の重い作業だった。
「遅れるわよ」
ドンドン、と扉が叩かれる。二人は慌てて裾の辺りを申し訳程度にはたくと、軍帽をひっつかんで部屋を出た。
ユリアの青い瞳が、二人の頭から爪先までをじろじろと無遠慮に見回した。ユリウスとユウが居心地悪そうに
「兄さん」
「何でしょうか親愛なる妹よ」
「……寝癖」
ユリアの細い指が、ユリウスのピンピンと跳ねた後ろ髪を弾いた。ユリウスは曖昧に笑って、寝癖を軍帽に押し込んだ。
「ユウ」
「はい」
「ほっぺにインクがついてるわ」
ユウは目を瞬いた。慌てて頬を手の甲でこする。手の甲に薄いインクの染みが伸び、勢い余ってワイシャツの袖口を汚した。その袖口を上着の袖に押し込むと、ユウもまた曖昧に笑った。
何となくしょんぼりしている二人にため息を一つ落として、ユリアは踵を返した。
「行こう。みんな、待ってる」
* * *
その丘には、一面に白い花が咲いていた。陽光ライトに照らされて、一年中穏やかに晴れた日を再現しているその場所には、巨大な碑が立っている。
白い花の咲き乱れる丘を裂くように伸びた道を、人間が収まるには少々大きすぎる棺を担いで歩くのは、グングニルの生き残りだった。
トリアイナの艦砲射撃で、グングニルはその乗員の殆どを失った。水素反応炉の1基が砲撃を免れたことで、あの後どうにか戦域を離脱することはできたらしい。だが生き残りは両の手の指で足りるほどだという。
ゆっくりと進む棺は、やがて碑の前に辿り着く。敬礼のポーズを取ったまま微動だにしない第13調査大隊の面々の前で、棺に掛けられた真っ白な布が取り払われた。
シキシマとツェツィーリアが進み出る。二人は棺の前で軍帽を取ると、静かに瞑目して黙祷を捧げた。アザトゥスによって文化も宗教もその垣根を取り払われてしまった現代において、祈りを捧げる神職は存在しない。ただ仲間の祈りだけが、その魂を送っていく。
短い黙祷を終えると、シキシマとツェツィーリアは頷きあって棺の蓋に手を掛けた。静かに開かれたその棺の中には、名前が刻まれた黒く輝くプレートと小さな小箱が、ぎっしりと詰まっていた。敬礼を崩さない隊員たちの列から、すすり泣きと嗚咽が漏れた。
シキシマが振り返る。
「送ってやってくれ」
短くそう告げて、彼は棺の前を離れた。隊員たちが敬礼を解き、ゆっくりと棺に歩み寄る。名前の刻まれたプレートは、アルファベット順に並べられていた。索引のようになってしまった戦友たちを、みな緩慢な動作で探し当てていく。
「ユリア、ユリウス」
ユウと隣り合って知り合いの名を探していた双子に、栗色の髪の女性兵士が声を掛けた。その顔に見覚えがなかったユリアが首を傾げる。彼女は黙って1枚のプレートを差し出した。そこに刻まれた名前を確認したユリアの表情が、泣き出しそうなものに変わる。
「……あなたは」
「はい。こうして顔を合わせるのは初めてですね。ヘルヴォル
ユリウスが静かに歩み寄り、そっとプレートに触れた。「すまなかった……」と小さく呟いた兄の手を、ユリアがぎゅっと握る。カレンの頬を、一筋の涙が流れた。
「先輩の最期を見届けてくれた貴方達と、一緒に納めたいの。いいかしら……」
ユリアは一つ鼻をすすると、目元を乱暴に拭って頷く。妹の背中をそっと支えて、ユリウスもまた頷いた。
断りを入れて碑の方へ歩みを進めた3人を見送って、ユウは再び棺に目を向ける。ぎっしりと詰まっていたプレートはいつの間にかまばらになっていた。
まばらになったその中に整備班の顔馴染みの名前を見つけて、ユウはプレートを手に取った。グングニルに配属された彼と、火星についたら名物の羊肉を食べに行こうと些細な約束をしていたことを思い出す。トリアイナの艦砲によって跡形もなく消えてしまった彼の名残は、ひんやりと冷たい無機質なプレート1枚で、もうその約束は果たせない。
幼い頃、祖父の葬儀で「おじいちゃんをどうして埋めちゃうの?」と聞いたユウに、亡き母は復活して天国に行くとき、体がないと困るから失くさないように埋めるのだと教えてくれた。アザトゥスとの戦争が始まって以来、体は残らないほうが多くなってしまった。天国はずいぶん寂しくなったのだろうな、とぼんやり考える。
小さくなってしまった友人を大事に掌に捧げ持って、ユウも碑に向かって歩く。碑の前には、同じようにプレートを携えた仲間たちが並んでいた。葬送の列には、時折小箱を抱えた者が混じっている。片手に納まるほど小さなその箱の中に入っているのは遺骨だった。
侵食の懸念があるため、戦死者はすべて火葬される。その遺骨は家族に返還される決まりになっていた。ここにいるのは運よく遺体が残って、そして運悪く引き取り手のいない者たちだった。
かつてはそれらも個別に葬られていたのだ。白い花に埋もれたその下には、ぎっしりと墓標が並んでいる。増えていく死体の数に墓地の整備が追いつかなくなった頃、この巨大な合同碑は生まれた。
作られた青空に向かって聳え立つ碑が、開かれる。背面に扉を備えたその碑の中には、数えきれないほどのプレートが納められている。まるで天国行きの名簿のようだった。体がなくてもここに名前があれば、天国に行けそうな気がした。そのリストの末尾に友人を加えていく戦友を、ユウはじっと見つめている。
「火星に来ると、葬式ばかりね」
いつの間にか隣にはユリアが立っていて、彼女はぽつりとそう呟いた。
「そうだね。みんなあの中だ」
ユウはそう返すと、自分もまた天国行きのリストの末尾に友人を加えた。友を送った仲間たちが、一人また一人と花の丘を下る坂道を降りていく。
「帰るか、ユウ」
帽子を目深に被ったユリウスが、涙の色に滲んだ声で尋ねた。ユウは小さく頭を振ると懐から小さな小箱を取り出す。
「俺はもう少しここにいるよ。リサのところに来るのは、久しぶりだから」
「そうか」
二人分のプラチナブロンドの髪が遠ざかっていくのを眺めながら、ユウは花畑に座り込んだ。碑の前にはプレートを捧げ持つ仲間の列がまだ続いている。一人になれるのはもう少し先のようだった。
* * *
タイヤの軋む音がした。次いで聞こえた、控えめなカメラアイの駆動音に、ユウは振り返る。
「こんにちハ」
シエロとリンクした
もったりとした素材の布の端には、見慣れたマークがついている。それは
喪に服そうとしてくれたシエロの気持ちが、嬉しかった。
「やあ、シエロ」
ユウは短い挨拶を返すと、再び碑に目を向けた。シエロはその手の中で弄ばれている小箱に目を留める。
「それハ?」
「これは……」
ユウは口を開きかけて、少し考え込んだ。なめらかな布が貼られたその表面を一撫でしてから、静かにその蓋を開く。カメラアイのズーム音がひっそりと響いた。
「後悔ってやつ、なんだと思う」
箱の中には蹄鉄を象った、華奢な細工のネックレスが納められていた。
「……ダイモスで恋人が、亡くなったのですカ」
ユウは悲しい目をして微笑んだ。
「違うよ。恋人ではなかったし、もう1年も前の話だ」
棺が丘を下っていく。葬送の列はいつの間にか途絶えていた。
ユウは立ち上がり、ゆっくりと碑に歩み寄る。無数の名前が刻まれた碑の前には、数え切れないほどの花束や、飲食物が供えられていた。
碑の前にある小さな石の台座にバングルを
碑に納められた無数のプレートに刻まれた名を、全て刻んでおくことは物理的に不可能だ。ここに名前がある者は、納められたばかりのものと、申請されて呼び戻された者たちだった。
ユウはこの碑のシステムが嫌いだった。今リサの名前が現れた分、読めないほど高い位置にあった誰かの名前が消えたのだろう。消えてしまった名前の存在を示すのは扉の中のプレート一枚だ。扉の閉まった暗闇の中に閉じ込められて、そのまま誰の記憶からも消えてしまうような気がした。
「リサ・アーノルド……」
隣で、ぽつりとシエロが呟いた。合成音声で発せられたその声からは、機械のように感情が抜け落ちているように思えた。カメラアイが、忙しなくズームとズームアウトを繰り返す音が響く。
「シエロ?」
ユウが怪訝そうな顔で相棒を見た。カメラアイの駆動音が、ピタリと止んだ。
「いえ、何でモ」
「……」
ユウは数度まばたきを繰り返した。だが相棒がそれ以上何も言うつもりがなさそうなのを見て取って、碑に視線を戻す。
「リサ」
ユウは静かな声で言葉を紡いだ。
「最終試験が終わったら、渡そうと思ってたんだ」
そう言いながら、ユウは小箱をそっと碑の前に置く。上向きの、蹄鉄を象ったペンダント。幸運を逃がして離さない、魔除けの守り。
「君のしあわせを、願ってた」
伝えてしまったら、消えてしまう気がして、怖かった。
「こんな事になる前に、伝えるべきだったよな」
後悔を言葉にすると、ずっと背中に
「俺は君のことが好きだったんだよ」
未来永劫一方通行なその告白が、そよ風ひとつ吹かない空気の中に溶けていく。それ以上何も言わず、ユウは黙って碑の前の小箱を拾い上げるとその蓋を閉じた。
「置いていかないんですカ?」
シエロが尋ねる。
「食べられる物と枯れる物以外、残してっちゃいけないことになってるから」
何もかも最後まで渡せず
「それでハ、私がこれヲ」
収納スペースからマニュピレーターが引き出した小さな花束は、少し花弁が折れていた。片方のマニュピレーターが、周りの花束から
慎ましく確保したそのスペースに花束を置くその手つきは、ひどく優しいものだった。
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