第10話 ダイモス攻略戦 - Phase 1:前哨戦
――アヴィオンにもバリアが欲しいですぅ……
そんな泣き言を言っていたのは、フライトバディのラニだったか。カチカチとコックピット内のつまみを調整しながら、ナギは下がり眉の相棒の台詞を思い出していた。障壁だとか、シールドだとか。ギルバートと一緒に観た数々のサイエンス・フィクション映画の数々に、当たり前のように鎮座していた守りの薄膜は、アヴィオンを覆ってはいない。
「あんなこといいな、出来たらいいな……」
たまには子供らしいものを観ろ、と押し付けられたジャパンの古いアニメーションの主題歌を口ずさみながら、ナギは一人きりのコックピットの中でくすくすと笑いをこぼした。そういえばあのやたらと便利な青ダヌキも、まだ実現してはいない。だがあの便利なタヌキがいてなお、主人公は意地悪な友人たちにしょっちゅう泣かされていたのだから、現実とはもっと過酷でしかるべきなのかもしれなかった。
「
「ヤタガラス
「照準補助担当はボクだけなんだからコールしなくてもわかるでしょ? 何事も省エネが大事なのさ。
通信はいつも完結な言葉で手早く済ませる筈の管制室スタッフがあえて使う丁寧語には怒りが滲んでいる。だが肝心のナギはちくりと釘を刺されたことを意にも介さず、一方的に通信を切断した。
待機を命じられたナギは手持ち無沙汰にフライトコンソールを眺めることにした。コンソールのインジケータは、陽電子砲が残り2発であることを示している。ポストアポカリプスのハードコアなサバイバルホラーですら、もう少し残弾に余裕があるに違いない。これが戦略シミュレーションであると考えれば妥当なのかもしれないが、1人称視点でこなすにはあまりにも心許ない数字であった。
ヤタガラスはレーダーシステムも兵装も、全て電力消費で賄われている機体である。現在の電力残量では2発撃てる陽電子砲も、照準補助を続けていれば1発になり得ることは十分にある。内燃機関がある程度発電を賄ってはくれるが、それも大して期待出来るほどの発電量ではない。やはり現実は過酷だな、と思ってナギは笑った。
レーダーに灯る白点は、巣の周りを穏やかに動いている。防衛個体はその名の示す通り、専守防衛だ。不用意に近付き過ぎたり、攻撃したりしない限りは襲ってこない。まるで蜂の巣だな、とナギは思う。女王蜂が蜂を産み続け、働き蜂が餌を獲る。巣を突かない限り殺し合いは起きないが、巣を壊さなければ餌は食べられる一方だ。世界は生存競争で回っている。
ぼんやりと思考を巡らせながら白点を眺めていると、レーダーに味方機を示すマークが現れた。イコライザが跳ね、近距離無線特有のノイズ混じりの音声がヘルメットのインカムから耳に流れ込む。
「おいナギ、ちゃんと回線開けとけよ」
「ひとり時間は静かに楽しみたいタイプなんだ。ギルが来たし、開けますよっと」
傭兵時代に砂漠で何日も野営した時、毎朝起きるたびにブーツを引っ繰り返してサソリを追い出していた時のギルバートのうんざりした顔を思い出す。今、絶対同じ顔してるなと思いながら回線を開けると、ヘイムダル
「ダイモスに対し全艦相対速度固定完了。照準補助を開始せよ。これより作戦行動を開始する!」
「おっけー。照準補助開始するよ」
作戦行動開始の合図に合わせ、ギルバートの乗るガーゴイル1号機を先頭に、ガーゴイルとアルテミスの混成部隊が巣に向かって動き出す。穏やかに巣の周りを動き回っていた白点が、敵機の接近に気付いて動きを変えた。
「
先頭を行くギルバート機の砲身から閃光が迸り、異形の肉で覆われたダイモスの地表に喰らいつく。地表面に張り付いたアザトゥス体が弾け飛び、ぽっかりと暗い口を開けた穴からは複数の防衛個体が飛び出してきた。
混成部隊は即座に機首を翻した。
「
グングニルの主砲が火を吹いた。混成部隊の真後ろの空間を大口径の圧縮陽電子砲が薙ぎ払い、追い掛けてきた防衛個体を消し飛ばす。
「生き残りがいるよ。グングニルの方にも行った。ヘイムダル、グングニル側の捕捉よろしく」
「
再反転した混成部隊の陽電子砲が
アザトゥスを無力化する方法は主に2つある。1つは核の破壊だ。アザトゥスは高い再生能力を持つが、その体の中には中枢組織が存在しており、中枢組織を破壊することで再生と活動を停止させることができる。もう1つの方法は体組成組織を一定割合削ぐことだ。多少の損傷はあっという間に周囲の体組成組織を使って塞いでしまうが、質量自体を増やすことはできないようで、一定割合の体組織を消し飛ばしてしまえば再生は停止する。
陽電子砲は対象の対消滅を引き起こす。防衛個体は、サイズだけを見れば小型に分類される。小型相手であれば、アヴィオン搭載の陽電子砲でも十分な質量を消し飛ばすことができた。
体組成の大半を消し飛ばされ、グロテスクな中枢組織を晒している防衛個体は、悶えるように小さく震えている。
核が破壊されていないアザトゥスは、再生は停止するが活動が停止するわけではない。周囲に取り込める体組成がある場合はそれを取り込み、再び再生することも可能だ。だが、高速でアヴィオンを追撃してきたその速度のままに体組成の大半を消し飛ばされてしまえば、もはや僅かな方向転換すらも叶わない。
仲間を探すように震えながら広がったアザトゥス体に鱗の守りは既になく、柔らかな肉の塊にミサイルが食い込んだ。
「
「
「なーんかヤな感じ」
補給を受けた
肉の地表面は大きくえぐり取られ、やっと所々に本来のダイモスの姿である岩肌を晒していた。度重なる艦砲射撃により大穴が空き、地表面の下にある巨大な空洞の存在もまた露わになっている。アサクラは地表面にはおおよそ10メートルのレゴリスが積もっていると言っていたが、どうやらそれはすべてこの巨大な巣の腹の中に納まってしまったようだった。
* * *
「やっと落ち着きやがったか」
何度目かの補給を受けながら、ギルバートは疲れたように息を吐いた。
最前線から少し下がった位置には、補給機であるイドゥンが待機している。ずんぐりとした機体から生えた複数のロボットアームが俊敏に動き、補給口のハッチを開いてバッテリーモジュールを挿し替えていた。
「多いですねー。さすが巣って感じっス」
「他人事みたいに言いやがって」
近距離無線で投げかけられた、のほほんとした様子のおしゃべりに思わず舌打ちをすると、「すみません、今回は随伴してないんでいまいち緊張感が」としょげた様子の返事が返ってきた。
イドゥンはアヴィオンの一つに数えられるが、その実態は手の生えた小型の
「攻略戦は初めてか?」
「ハイっす」
素直な調子で返ってきたその声は随分と若いものだった。戦況有利で味方に損害はなく、防衛個体の出現が止まったことでローテーションも止まった今、戦歴が浅ければ雑談の1つもこぼしたくなるのも無理はない。思わず舌打ちしてしまったことに少しの後ろめたさを感じたギルバートは、少しばかり雑談に応じることにした。
「こいつは前哨戦さ。防衛個体ってのは尖兵だ。奴らにとって大量生産が可能で、幾らでも使い捨てられるのが防衛個体だ。今やってんのはほんの最初の小競り合いにすぎん」
「でも結構大穴空いてません?」
「お前、蜂の巣に1個穴が空いたら
「いや……スンマセン」
「スズメバチの駆除と同じだ。まずは中にいるやつを
「今はそのストックが尽きた状態ってことッスか」
「いや、それはないな。出芽が作る
「大型ってあの、月面研究所にいたでかいやつですか」
「あれは防衛個体でもないのに鱗持ちの特殊体だったから手こずってたが、あれでも出芽より一回り小さいやつだぞ。フォボスの悪夢じゃ大型が駆逐艦を喰っちまったって話もある」
「うへぇ。それでグングニルが近づかないんだ」
引きつった表情が見えるかと思うような声色に、ギルバートが苦笑した時、管制室から戦線復帰を求める通信が入った。
「悪いが話はここまでだ。心配しなくてもしばらく仕事はたっぷりあるぞ。頑張れよ」
補給部隊から離れ、ギルバートはガーゴイルのバーナーを吹かす。ローテーションの待機位置に戻ると、
キラリと輝く光の粒が、ぱっと散ったように見えた。2機のアルテミスが、サイドバーナーを吹かせっぱなしにして激しく回転しながら戦列を離れていくのを見て、ギルバートは反射的に操縦桿を握る。
「
宇宙空間で戦闘機動を行うアヴィオンには、
「
離れていくアルテミスを追って、回収機が飛び出した。制御を失ったアヴィオンは格好の餌食だ。アザトゥスに喰われれば兵装を奪われる。そうさせないために、たとえパイロットの存命が絶望的であろうと可能な限り回収を行う必要があった。
「畜生が!
アルテミスを追うワルキューレに背を向け、
先程までの防衛個体は追ってくるだけだった。アザトゥスは、特に小型のものについては体当たりで攻撃してくるものが多い。現在、艦隊はダイモスに相対速度を合わせているためその速度を見失いがちだが、ダイモスの公転速度は秒速で約1.35キロメートルである。時速に換算すれば4800キロメートル毎時を超えるその速度エネルギーは莫大だ。いかに宇宙空間での戦闘機動に耐えられるよう作られたアヴィオンとて、同じような体積のものにまともにぶつかられてはひとたまりもない。当然アザトゥスの方とて無事では済まないのだが、先程ギルバートが使い捨てと揶揄した通り防衛個体の基本戦略は物量作戦だ。彼らはその損害をものともしない。だから、前哨戦は追いつかれさえしなければいい。
———その、はずだった。
「生体針!!」
無数のきらめきがガーゴイルを襲う。ギルバートは咄嗟にレーザー砲の出力を近距離扇状型に切り替えて薙ぎ払いつつ、回避行動を取った。鱗と同じ素材で構成されたその針は、鋭く細長い形状に変化した故に光の拡散力を失い、ほとんどがレーザーによって塵となる。運悪くレーザーを拡散させて生き残った針が翼に突き刺ささり、ドスンという鈍い音がコックピットにまで響いてきた。
「お前ら生体針なんて撃てる体だったのかよ! 小細工しやがって!」
悪態をつきながらひたすらレーザー砲の発射と回避を繰り返す。陽電子砲は撃てなかった。敵味方入り乱れすぎていて射線が通らないのだ。
「とにかく下がれ! グングニルの射線だけでも通せ!」
ギルバートが怒鳴る。グングニルの射線さえ通れば少なくとも追撃の群れは消し飛ばせる。
何度目かになる生体針を
真っ白なレーザーが束になって防衛個体に襲いかかる。目論見通りまばらになった鱗はレーザーを拡散しきれず、その光は肉を穿って穴を開けた。エネルギーを受け止めきれなかった肉体が、内側から弾け飛ぶ。
「ハゲたやつを狙え! レーザーが効く!」
あちこちでレーザーが閃いた。防戦一方だったアヴィオンは反撃の手段を得て、次々と防衛個体を撃破していく。やっと数的優位を取り戻し、ほっと胸を撫で下ろしかけたその時だった。
眩い閃光が一瞬視界を覆い、目の前を横切った
「ちっ……くしょうが!
「違うギル! 避けて!」
「……っ!?」
マイクに叩きつけた戦死報告に、ナギの叫びが被さった。咄嗟に操縦桿を引いて機体を捻ると、目を眩ませる閃光と共に第2射が翼を掠めた。
「
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