第9話 白ウサギは災禍の夢を見る 

緊急警報エマージェンシー緊急警報エマージェンシー。火星第2衛星ダイモスにて、"巣"を発見。アヴィオン全隊、出撃準備せよ。総員戦闘配備。繰り返す——」


 艦内にはけたたましいアラーム音が鳴り響き、赤い光が壁や床を踊りまわっている。

 

(クソ、何なんだ次から次へと)


 搭乗機であるガーゴイルの格納庫に急ぎながら、ギルバートは小さく舌打ちした。


 またナギに置いていかれたのだ、とナギのフライトバディであるラニに泣きつかれたのはつい先程のことだ。

 ナギはこと戦闘という分野においては、他に類を見ない天才だった。傭兵団にいた頃は、銃を持たせてもナイフを持たせても、瞬く間に使いこなして見せたものだ。軍に召し上げられてアヴィオンに乗るようになってからもその才能は遺憾なく発揮され、今ではいっぱしのエースパイロットである。

 だがその戦功とは裏腹に、ナギはいっぱしの問題児でもあった。言うことを聞かず、協調性がなく、マイペースで独りよがり。ナギはしばしば命令違反を起こすが、そのたびに戦功を上げるのだからタチが悪い。


 現在の防衛軍にはエースを営倉にぶち込むほどの余力はなく、戦功の数も手伝ってナギはいつも目こぼしをされている。

 代わりにそのケツを拭かされているのがギルバートだった。18歳の時、10歳のナギを拾ってからギルバートはずっとナギの親代わりだ。今ではすっかりお目付け役扱いされていて、何か問題を起こすたびにこちらに報告が来るのが日常と化していた。

 今日ばかりは少し灸を据えてやろうと探し回っていたところ、医務室から出てきたナギを発見したのであった。


「ボクを置いて朝ごはん食べちゃったギルじゃん。やっほー」


 こちらの事情を知ってか知らずか、笑顔で手を振るナギに、ギルバートの眉の端がひくついた。


「哨戒に一人で出るなって何度言えばわかるんだ」

「まーたラニが告げ口したの? もー、済んだことで怒らないでよ」

「ラニのことだけじゃねぇよ。艦長から聞いたぞ、出芽個体と交戦したって」

「そーなのそーなの。撃墜1スプラッシュ! すごいでしょ」


 ぶい、と指でサインを作ったナギの頭を、ギルバートは軽くぽかりとやる。


「馬鹿野郎。危ねぇつってんだよ。出芽なんてのは撃ち漏らしたら最悪死ぬんだぞ。バディもいない状況で倒せたのだって運がよかっただけ――」

「ラニを待ってたら間に合わなかったんだよ」


 ぼそり、と。そう呟いた声は冷え切っていて、瞬間的にギルバートの背筋を冷たいものが駆け上がった。紅い瞳はギルバートを見ているはずなのに、その視線は彼の体を突き抜けて、遥か彼方を見ているようだ。

 ナギはふとした瞬間に、このような表情をする時がある。普段は飄々ひょうひょうとしたふざけた態度を取っているのに、突然天敵を見つけた野生動物のような、張り詰めた空気をまとうのだ。それは大抵、ろくでもないことが起きることの前触れだった。

 一瞬言葉を失ったギルバートの肩を、ナギはぽんと叩く。氷華の色を搔き消して、紅玉の瞳が微笑んだ。


「じゃ、ボクはそろそろ行くよ。またね、ギル♡」

「おい待て、生活区画は反対だぞ」

「いーのいーの。どーせすぐ仕事だよ。ギルも支度しときなー」


 呆気に取られているうちにすたこら、という表現が的確な足取りでナギが格納庫区画に消えていく。アラーム音が響き渡ったのは、その直後のことだった。

 

 ろくでもないことが起きているのは明白だった。ギルバートは暗鬱な気持ちで手早く出撃準備を整えると、コックピットに掛けられた梯子が外されるかというタイミングで飛んできた出撃命令に深い溜息を落とした。


* * *


「控えめに言って最悪の状況だね」


 ヘイムダルからの高精細走査データを解析し終えたアサクラは、苦虫を何匹かまとめて噛み潰したような顔をして情報端末のモニタを指で弾いた。


「ダイモス表面には10メートルくらいレゴリスが積もっていたと思うんだけどね。ずいぶんとまあフレッシュな姿になって」

「火星駐屯地は何をしていたんです? 火星衛星の監視業務は彼らの仕事でしょう」

「うん、いい質問だね、ツェツィーリヤ副艦長。ご存じフォボスの悪夢が終わってからのダイモスは、一度詳細な調査が行われたあとで無人の監視塔が建てられたのさ。その監視塔は、いつもレーダーでダイモスを走査していて、問題がない限りは生存信号ハートビートを飛ばしてる。つまり、丁寧に目視で確認しなくても生存信号ハートビートが正常なうちは問題なしってことさ。そしてこれが今の監視塔の姿」


 アサクラが情報端末を操作する。管制指令室のスクリーンのひとつに映し出された光景に、ツェツィーリヤは息を呑む。監視塔の無機質な線の上に覆いかぶさった、ぼこぼことした不定形の巨大な影。


「これは……どう見ても正常ではありませんが」

「そう。あいつら、監視塔を丸ごと飲み込んで偽の生存信号ハートビートを出してたんだよ。お陰で火星駐屯地はすっかりダマされてこのザマってわけ」

「フォボスの悪夢のせいで、被害が特に大きかったのが火星だ。人手も資材も足りてない。最近ようやく生存可能区ハビタブル・ゾーンのドームの復興が終わったくらいだ。無人監視が精一杯だったんだろうさ」

「火星は砂嵐も酷いから、地上観測がうまく機能しないしねぇ。はーぁ、火星駐屯地が人員不足なのはまあしょうがないとしてもさぁ、真横通って帰った主力艦隊は気付けって話なのよ」

「お前を呼んだのは愚痴を聞くためじゃないぞ。指揮を執るために必要な分析を行うためだ」

「あーはいはいわかりましたよ艦長サマ」


 アサクラは嫌そうな顔をして肩を竦めると、管制指令室中央の立体投影地図に高精細データの解析情報を反映する。


「ユリウスも全面データを取れてはないみたいだから、巣の全体規模はわからない。データ取れてる分はアザトゥス体がべーったり。このべったりの下でレゴリスが喰われてるかどうか次第だけど、かなりの量が生産されてるんじゃないかなあ」


 「君たちのゴハンが知りたいなぁ。今朝何食べたのぉ?」と笑顔で立体投影地図のダイモスに話しかけているアサクラを、朝食のサラダに紛れ込んだナメクジを見るような目で見ながらツェツィーリヤは言う。


「管制室の判断でグングニルに艦砲射撃要請を出したのは英断でしたね。防衛個体も出ているのであれば艦砲掃射してしまえばよろしいのでは?」

「まあそう簡単な話でもなくてな。フォボス攻略戦のレポートは読んだことが?」

「ええ、一応は。……あっ」


 日々の業務に忙殺され、すっかり記憶の抽斗ひきだしの底に仕舞われていたレポートの内容を脳内でなぞって、ツェツィーリヤは思わず口元を押さえた。


「大型個体による小型駆逐艦の捕食……」

「ご名答。フォボス攻略戦では最前線に出ていた小型駆逐艦が大型個体に飲まれ、艦砲を奪われたせいで甚大な被害が出た。巣の中に何がいるか不明瞭な今、小型駆逐艦であるグングニルを最前線に出して艦砲掃射するという選択肢は取れない」


 立体投影地図に複数の機影が浮かび上がる。シキシマが淡い光を放つ球体に踏み込み、機影に触れて配置を変えていく。


「グングニルは今の位置から動かなさい。ここからでも艦砲は届くからな。ただし照準補助が必要だ」

「ヘイムダルですね」

「いや、照準補助に置くのはヤタガラスだ。防衛個体が多数出現している今、ヘイムダルを最前線には出せない。ヤタガラスを最前線に出し、ヘイムダルに中継させる」

「最前線のオトリ役はアルテミスとガーゴイルかな。防衛個体を引っ剥がすまではヘルヴォルは役立たずだしぃ」

 

 巣を守る防衛個体は、強い熱耐性を持った鏡面反射する鱗で覆われている。そのため光学兵器では対抗することができず、物理攻撃兵器が必要だった。

 1番有効なのはガーゴイルやヤタガラスに搭載されている陽電子砲だ。陽電子砲は対象を対消滅させることができる非常に強力な兵装だが、電力消費が激しくどの機体であっても撃てるのは2発が限界である。

 陽電子砲には及ばないが、アルテミス搭載のホーミングミサイルも複数発撃ち込めればそれなりに有効な手立てとなる。ふむ、と顎を撫でてシキシマはガーゴイルとアルテミスをヤタガラスの前方に配置した。


「ガーゴイル1小隊で陽電子砲8発。撃ち漏らしはアルテミスのミサイルで対処できるか」

「ヤタガラスは1機だけですの?」


 他のアヴィオンが1小隊である4機編隊フライト、もしくは2機編隊エレメントで配置されている中、ぽつんと1機で佇んでいるヤタガラスを見てツェツィーリヤは首を傾げる。


「ヤタガラスが照準補助する場合、フライトバディは完全にバックアップになるからな。出撃単位は2機編隊エレメントだが、1機は補給部隊付近で待機だ。うちに配備されてるヤタガラスは1小隊だから、2機はフェニックスで待機。問題はここに置くヤタガラスの人員だが――」


 シキシマは渋い顔をする。「選択肢なんてないでしょ」とアサクラがくすくすと笑った。


「……ナギだ。先鋒隊にはギルバートのガーゴイルBブラボーを出せ。以後、私が指揮を執る」

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