第9話
男はけらけら笑うと、「別に対した問題はないですわ、気にせんでください」と言って、こう続ける。
「何か、僕に聞きたいことがあるんじゃないかと思って、こちらから話しかけただけですから」
仲村渠は、妙な言い方をする男だと思った。
話す感じはどこか掴みどころがなく、まるで、普段着のように着こなしている着流し姿もそうだが、どこか奇妙な印象を受けた。
妻が戻って来る様子は、まだない。
男は、仲村渠がキッチンの方を確認する間も、作り笑いのような笑顔を向け続けていた。
何かしら返事を待っているらしいと感じて、仲村渠は咳払いを一つすると、失礼のない程度に質問をしてみた。
「旅行、ですか?」
「そうですねえ」
男は仲村渠の言葉に応えるように、彼と同じように鈍りを抑えたような敬語で話す。
「旅行というよりは、飛び込みの仕事で縁がありまして。そのついでに、古い友人を訪ねなければならなくなり、休暇を取って沖縄まで来たのですよ。ああ、でも、美味しい物は食べているし、旅行といえば旅行になりますかねぇ。休暇届けは出していますし」
「はぁ、なるほど……」
ようするに、余暇を楽しみつつ、ついでに仕事の用を済ませようとしているのだろう。
理解は要らぬ会話なのだから、そのへんはあまり気にしなくてもいいだろうと、仲村渠は思った。
「私も、まぁドライブがてら、といったところです」
仲村渠も社交辞令程度にそう述べた。
しかし、ふと、なぜだか新たな質問が彼の口をついて出た。
「あの、――もしも、理屈も科学も通じないことが起こったとしたら、私達はいったい、誰に助けを求めればよいのでしょうか」
「ふむ? 奇異なことを聞く人ですねぇ」
男は控えめに笑ったが、まるで質問が来ることをわかっていたかのように落ち着いていた。
仲村渠も不思議だつた。つい、自分の口に手をやる。だが訝って顔を顰めている間にも、男がずいっと顔を近づけてきて「ズバリですね」と言った。
「神様です」
「はぁ……神様、ですか」
ビクッとした直後、仲村渠は狐が笑うみたいににーっこりと目を細め、人差し指を立てた彼を前に、なんだか拍子抜けした。
「そう、最後の神頼みってやつですよ」
冗談口調で言ってのけると、男は愉快そうに笑う。
やはりジョークの類だったのだろうか。三十代くらいだとすると、仲村渠よりもずいぶん年齢差があるものだから、彼は受け答えに戸惑った。
そもそも『神頼み』では、なんの解決にもならない。
(俺には、神様は見えないのだから)
すると仲村渠を見て、男も拍子抜けしたように笑顔を引っ込めた。
男は、ぽかんと間の抜けた顔をすると、何かに気付いたようで椅子に座ったまま身体を仲村渠へと向け「すみませんでした」と頭を下げ、詫びた。
「本気の質問だったんですね。不躾に返してしまって、ほんま、すみません」
「いえっ、別に――」
「神様に頼むことは何も間違っていませんが、そもそも神様自身では助けることができません。物質世界で異界に関する問題を抱えてしまったのなら、その神様たちに通じる人間達に、あなたは助けを求めればいいのですよ」
それは、当初から仲村渠も知っていたことだった。だから彼は、ユタを、占い師を、霊能者を探しているのだ。
(口で言えば簡単な話だが、……いないんだよ)
仲村渠は、現実を突きつけられたようなショックを覚えた。
仲村渠は、自分も妻も、そういった能力がまるでないことを知っていた。
現在、二人が置かれている状況を説明してくれる、もしくは手助けをしてくれる人間を探している。
見えないモノ達の存在が本当にこの世にあるとしても、仲村渠には、その声や意思を汲み取ることはできないのだから。
彼は、神や仏といった存在を完全に信じていない訳ではない。
逆境に立たされた時に、背中を押してくれるように沸き上がった熱意。やんちゃな息子達が危うく寸前のところで危機を逃れて、五体満足のまま立派に成長したことも、そうだ。そのたび妻の実家でのお盆などで『ご先祖様――』という気持ちで、揃って手をしっかりと合わせた。
手を合わせる、ということが一年を通して、当たり前にある沖縄だから。
辛くて苦しい時、未来が見えない不安に押し潰されてしまいそうになった時、振り返るといつもそこには、いつも正しい道へと引っ張ってくれた大きな存在があるように、仲村渠は思えてならないのだ。
「――少しだけ、話を、聞いてくださいませんか?」
まだ、妻は戻らない。
仲村渠がこらえきれなくなった感情を吐露する三板に値細い声をこぼすと、男は狐みたいな目でどっと見つめたのち、
「ええですよ」
と、あのほっとするような訛りで答えてくれた。
そういうわけで仲村渠は、男に、最近の忙しさについてぽつりぽつりと語り聞かせた。
自分と妻の身に起こっている不可思議な現象については伏せたまま、パワースポットとして有名な場所へ出掛けたり、願掛けや神頼みをして情報をかき集めたれ、ユタを一生懸命に探し回っているが見つからない悩み――それを、口下手ながら、今であったばかりの着流しの男に、話した。
どうして自分でも、こんなふうに口から素直に言葉が出るのか分からない。
男は、仲村渠の話を黙って聞いていた。下手な相槌や社交辞令は述べず、着流しの袖の中に手を行けて、口を閉じていた。
「あなたは俺に『そういう時は助けを求めればいい』と言いました。しかし、それこそ、自分にはやはり縁がないのだろうと最近思えてならないんです。神様は必要な時に、必要なものを用意してくださるのだと、有名な霊能者のコラムを読みました。でも、それなら俺は……」
俺には必要ないということなのだろうか。
こんなにも神を、守護神を、先祖の手助けを、今は願っているというのに。
これほどまで焦燥する気持ちは初めてだった。それなのに、何一つ、解決策を見付けだせないでいるなんて――つらくて、苦しい。
仲村渠は、心底困っていた。
どうしてこんなことが起こってしまっているのか、分からない。
分からないことだらけだ。いったい、どこに助けを求めればいい?話しても信じてもらえない、という恐れもあって、語るに語れないという事情もある。
「他に、どなたかに相談はされたのですか?」
狐に似た顔をした男が、小首を傾げてそう聞いてきた。困っているのか呆れているのか、まるで読みとれない表情だ。
仲村渠は、少し考えてから、協力者の存在を明かすことにした。
「一人だけ、話を打ち明けた友人がおりまして、少し協力してもらっています」
「ではあなたの友人は、あなたがユタ探しを始めた事情も知っているんですか? どうして彼に話そうと思ったのか聞いても?」
「実は息子に連絡を取って一蹴されたあと、ふと〝電話なら彼とも話しができるはずだと思い至ったから〟です。実際、息子には電話は繋がりましたからね。それなら、彼にも連絡がつくのではないか、と。彼は誰よりも付き合いの古い友人でしたし、私と妻のこともよく知っている男でしたから」
仲村渠も努力はしたつもりだった。電話越しでは不便もあるので、一度会ってみようと二人は行動に移していた。
けれど、どんなに試しても、仲村渠と友人が顔を合わせることはできなかった。
友人には仲村渠が、仲村渠には友人の〝存在が確認できず〟とうとう出会えなかったのである。
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