天に弓引く天使の恋

青川志帆

第一話 目覚め



「おはよう。――新しい天使」


 心地いい低い声が響いて、身を起こす。


(私……は)


 まばゆい光に目をすがめ、状況を把握する。


 横たわっていたのは、固い石の台。


 目の前にたたずみ、微笑んでいるのは長い金髪の青年だった。


 声だけでなく、顔立ちも美しく、背が高い。


 彼は青い目を細め、こちらを見つめている。


「私は……」


 するりと声が出たが、その続きが言えない。


(私は――名前を持たない)


 戸惑っていると、青年が手を差し出してきた。


「君の名前はベアトリーチェ。君は新しい天使なんだ」


 ほら、と促されて青年の後ろを見やる。


 羽を持った若い男女が、ずらりと並んでいた。


「私は聖王せいおうヴィットリオ。聖都せいとを守る王だよ。そして私のために戦うのが――天使だ」


 説明され、ベアトリーチェは「そうですか」と平坦な声で答える。


「聖王猊下げいかに失礼でしょう」


 女性に注意されたが、ヴィットリオは手を挙げて制す。


「目覚めたてなのだから、仕方ない。それより、彼女の世話を頼む。エマヌエラ」


「……了解しました」


「それでは、またね。期待しているよ、ベアトリーチェ」


 そう言い残して、聖王ヴィットリオは退室した。




 エマヌエラはベアトリーチェを一室に案内した。


「今日から、ここがあなたの部屋よ」


「……はい。ここは、どこなのですか?」


「聖都ルクス。世界最大の都市にして、最強の都市よ。あたしたちは、この都を守る役目を負っているの」


「あたし……たち?」


「そう。あんたもよ。天使なんだから」


 エマヌエラに示された姿見を見る。


 白いワンピースに身を包み、背中から羽を生やした少女がそこにいた。


(これが、私)


 茶色い髪はゆるく波打ち、目はヴィットリオのものより薄い青をしていた。


「私は、いくつなんでしょうか?」


「年齢? 知らない。十五ぐらいじゃない?」


 どうでもよさそうに答えるエマヌエラは、二十を過ぎているように見えた。


 彼女は金髪を襟足でそろえており、背が高い。


 紅の塗られた唇が印象的で女性らしい凹凸のある体つきながら、たたずまいのせいか格好良さも持ち合わせていた。


「着替えは、これ。さっさと着替えて行くわよ」


 エマヌエラは、折りたたまれた着替えをベアトリーチェに投げ渡してきた。


「行くって、どこに」


「訓練場よ」


 受け取りながら問うと、端的な答えが返ってきた。




 ベアトリーチェは、見習い天使として一ヶ月を訓練に費やした。


 あらゆる銃が使えるようになって、ようやく任務に行く認定が下りた。


「やりました! やっと任務に行けます!」


 だいぶ情緒も育っていたベアトリーチェは嬉しくなって、指導役のエマヌエラに抱きつきそうになってしまった。


「はいはい。喜ぶのはいいけど、わかってるの? あんたの任務は反乱分子の討伐よ」


「もちろん。悪魔は殺します」


 ぴっ、と敬礼を返して笑ってみせる。


「やれやれ……。実戦に怯えてへましないようにね。今回、あたしはどうしても南部に行かないといけなくて……あんたは別の天使の部隊に混じることになるわ。いい?」


「不安ですが、了解しました。エマヌエラさんの顔に泥を塗らないようにがんばります」


「そうしてちょうだい。あと、認定が下りたからあんたもこれから一人前の天使扱いする。その代わり、敬語はなくしていいわ」


 天使軍には階級がない。


 さすが神の加護があつい聖都の軍隊だ、とベアトリーチェはいつも感心する。


 みんな平等で、みんな優しくて、飢えることも暑さにうめくことも寒さに震えることもない。


(素晴らしい神の都を、これからは私も守るんだ)


 誇りで胸がいっぱいだった。




 ベアトリーチェはテオドーロという青年の部隊に入り、北部に向かった。


 初めて着た天使軍の証である白い軍服が誇らしい。


 一番後ろを飛行しながら、ベアトリーチェは世界を見下ろす。


 聖都はトリスティス教の頂点に君臨する聖王に支配されている。


 そして、眼下のラクリマ大陸の西半分はトリスティス教の勢力下にある。


 聖都に従わない王国の王は天使が討伐し、王の代わりに天使が支配している。


 彼らを普通の天使と区別して、大天使と呼ぶ。


 天使は基本平等だが、さすがにそこは区別しないといけないのだろう。


 普通の天使とは、責任も重圧も違いすぎる。


 これから行く北部は、王が倒れたあとも激しい抵抗運動を繰り返している地域だ。


(どうして、聖都に従わないんだろう)


 素晴らしい聖王と聖都を知るからこそ、ベアトリーチェには信じられなかった。


「高度――そろそろ落とせ。反乱分子出現地域に入るぞ。感知機能を発動させろ」


 テオドーロが声をかけてきたので、ベアトリーチェは他の天使と同じように高度を下げつつ眼球の感知機能を発動させる。


 感知能力は人間の温度を感知し、遠くからでも発見できる機能だ。


 便利だが、さすがに遠すぎると働かない。いつも飛んでいる高度よりは落とさなくてはならないのだ。


 ふと、ベアトリーチェのすぐ前を飛んでいた女性が振り向く。


「妙な音が……! ――ベアトリーチェ、よけて!」


 彼女が警告したときには、もう遅かった。


 ごおん、とベアトリーチェの横腹にミサイルが当たる。


 ――被弾した。


 ビーッ、ビーッ、と脳内に警告音が響く。


(出力低下……墜落する)


 ベアトリーチェは助けを求めようとしたが、天使の部隊はベアトリーチェを助けるどころか速度を上げている。


 それもそのはず。


 ミサイルはベアトリーチェだけでなく、他の天使も追いかけていた。


 天使たちは銃を抜き、ミサイルを迎撃している。撃ち落とされたミサイルが爆発する。


「離脱する! ベアトリーチェは見捨てろ! あれはもう壊れる!」


 テオドーロの指示に天使たちは「了解」「はい」と非情かつ冷静な返事をして、高度を上げてベアトリーチェから離れていく。


(――そんな)


 もう、飛行を維持できない。


 ベアトリーチェは絶望しながら、墜落した。


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