第4話 差し伸べられた救いの手

「アンタみたいな身分も低いブスは男に振り向かれることもないんでしょうね~。自分の夫ですら繋ぎ止められなかったもんね」


 前世で夫を奪ったカレンの嘲笑あざわらうような言葉がトールの胸をえぐる。


「どの女よりも君が一番キレイだ。こうして生まれ変わっても一緒にいられるのは運命だよね」


 前世で夫だったルイはトールの目の前でカレンに愛をささやいた。


 心をずたずたに切りかれたトールは、とうとう屋敷から逃げ出してしまったのだ。


「逃げ出した奴隷どれいを探し出せ! 今度は顔の火傷やけどじゃまないぞ!」


 ルイの恐ろしい言葉を背に受けながら、トールは行くあてもないまま走り続ける。

 果たしてトールは、ルイとカレンの魔の手から逃げおおせることができるのだろうか……?


 トールが街で出会ったオズからもらった仮面を顔につけて生活するようになった頃から、前世での浮気夫だったルイと、夫の浮気相手だったカレンの嫌がらせはどんどんエスカレートしていた。

 ルイは財力に物を言わせて女をとっかえひっかえ屋敷に招き、ベッドの後始末をトールに押し付ける。さらに女とイチャイチャしているところを見せつけてくるのだ。


「トール、さっさとワインを持って来い! ルカちゃんを待たせるな!」


「ねぇ、ルイ様? どうしてこの使用人だけ仮面をつけてるの?」


 ルカと呼ばれた女はルイの胸に自らの顔をすり寄せながら尋ねる。


「ああ、コイツは顔に火傷を負っているんだ。あんまりみにくくて見苦しいから申し訳なくて仮面をつけているらしいぞ」


 本当はオズの治癒魔法のおかげでとっくに顔の火傷は治っているのだが、トールはガハハと笑うルイに黙って従った。


 カレンもカレンで、男たちを集めて逆ハーレムをきずき上げ、トールに見せびらかしていた。


「アンタみたいな身分も低いブスはこうやって男に振り向かれることもないんでしょうね~。自分の夫すらも繋ぎ止められなかったもんね」


「……おっしゃるとおりでございます」


「フン、つまんない女」


 逆らうことなく仕えるトールに、カレンは鼻を鳴らした。

 トールは美男子に囲まれることに興味などない。

 たったひとり、愛する人に愛情をそそぐのが彼女の性質だった。

 だから、かつて愛したルイがカレンに愛を囁くのが、トールには一番効いていた。


「この世界のどんな女よりも君が一番キレイだよ。こうして生まれ変わっても一緒にいられるのは運命だよね」


 ルイはあろうことか、使用人にも手を出すほどの好色のくせに、トールの目の前でカレンといちゃつき始めるのである。これだけは耐えられない。


(この人たち、どうして自分が死ぬ羽目になったのか、まったくわかっちゃいないんだわ……)


 ルイもカレンも、まったく反省の色がない。

 すっかり愛想あいそが尽きたトールは、その夜『おいとまをいただきます』という置き手紙を残して、屋敷を去ったのである。

 もちろん、彼女に行くあてはなく、これはただ逃亡しただけだった。

 激怒したルイは「奴隷が逃げたぞ! 探し出せ! 今度は顔の火傷じゃ済まないからな!」と、使用人たちに追跡を命じた。

 屋敷を抜け出して街の裏路地でそんな話を聞いたトールは震え上がり、恐怖で泣きながら逃げに逃げた。


(きっと、街にいたら見つかってしまう。もっと遠くへ逃げないと)


 トールは街の門を出て、さらに先へ進んだ。

 屋敷の坂を降りた先にある街は、狼などの猛獣を退しりぞけるために、外壁に囲まれ、門を通して外と繋がっていた。幸い、門ではまだ検問などはされていなかった。

 トールはこの街を出たことがない。ここから先は、未知の世界だ。


(この世界の月は、随分ずいぶん大きく見える)


 そして、狼の遠吠えらしきものも聞こえる。トールは心細かった。

 とりあえず目の前に見える道を進んで、小高い丘にのぼってみようと思ったが、後ろから二匹の狼が追ってきている。すっかりきもをつぶしたトールは、恐慌きょうこう状態におちいりながら、必死に丘をのぼって逃げた。

 丘には木が一本生えていて、その根本に誰かが寄りかかって立っている。月が逆光になっていて、顔や姿はわからない。

 助けを求めるために叫ぼうとした瞬間、狼がトールに飛びかかって引き倒された。

 狼がトールの喉笛を食いちぎろうとした、そのときである。


「シャーッ!」


 また別の獣が狼に襲いかかり、狼は「ギャイン!」と犬のような声を出してひるんだように飛び退いた。

 虎のように大きな黒猫だった。猫が威嚇いかくすると、二匹の狼は勝ち目がないと思ったのか、すごすごと逃げ去った。


「大丈夫?」


 黒猫がしゃべったわけではない。木に寄りかかっていた男がこちらに歩み寄ってきたのだ。


「――オズ?」


 地面から起き上がり、男の顔を見上げると、やはりオズであった。


「なんでオズがここに? それにこの大きな猫はクロエ?」


「クロエは使い魔だって言ったろう? ただの猫じゃないのさ」


 クロエはすでに元の猫サイズに戻っており、トールの足にすりついていた。随分なつかれたようだ。


「僕がここにいる理由は、君がここに来ると思ったから」


「あなたは未来予知でもできるの?」


「仮面に『祝福』をかけたって言ったろ? 君が屋敷で受けた仕打ちも、ここに来ることもお見通しってわけ」


 オズは肩をすくめた。

 彼は魔法使いだというのだから、まあそういうこともできるのだろう。

 オズはトールをいたわるように、優しく抱きしめた。


「今までつらい目にあったね。僕は君を助けたい。君はどうしたい?」


「……復讐したい……。ルイとカレンに痛い目を見せなきゃ気がすまない!」


 それはトールの心からの叫びだった。


「わかった。一緒にアイツらに一泡ひとあわ吹かせてやろう」


「でも、どうやって?」


「ひとまず街に戻ろう。僕に考えがある」


 ルイとカレンが血眼ちまなこになって自分をさがしている街に戻るのは気が引けたが、オズが「大丈夫だから、僕に任せて」と説得するので、彼に手を引かれておずおずと街の門に戻った。

 門では検問が始まっていて、ルイがカネに物を言わせて門を通ろうとする馬車の中をチェックさせていた。

 そこへトールが戻ってきたから、ルイは「あ! お前!」とズカズカと近寄ってくる。


「フン、犯人は現場に戻ってくるとはこのことだな!」


 犯人ってなによ、とトールが口を開く前に、オズが二人の間に立ちはだかった。


「あなたがこの人のご主人ですか?」


「うちの奴隷が逃げ出す手伝いをしたのはお前か?」


「ええ」


 実際はそんなことはないのに、オズは自ら罪をかぶった。


「この方を買い取らせてください」


 オズの発言に、トールはぎょっとする。買い取る……!?


「嫌だね。いくらカネを積まれたって、俺はコイツを手放さない。コイツには以前散々な目にあわされたんだ。この人生はコイツを責めさいなむために存在するんだよ」


「一億ジェニーでどうです?」


 オズはルイの言葉を無視して、彼にジャラッと金貨の入った袋を手渡した。今度はルイが目をむく番だった。


「い、一億……!?」


 この世界の通貨の相場はだいたい日本円と同じ感覚だ。一億ジェニーなんてそんなホイホイと出せる金額じゃない。


(オズって何者なの……?)


 トールが疑問に思っている間に、ルイは「い、いや、だからいくらカネを積まれても……」と言いつつ、金貨から目を離せないでいる。

 オズは黙って、先程の金貨袋と同じものをもうひとつ、ルイの手に乗せる。ルイは慌てて両手で受け止めた。

 オズはさらにひとつ、袋を乗せる。


「三億ジェニーだ」


 ルイはカネに目がくらんだのか、ゴクリとつばを飲み込んだ。


「わ、わかった。その女はやる。そいつにこんな価値はないのに、アンタ物好きだな」


「それはどうかな。さあ、行こうか」


 オズはスマートな仕草しぐさでトールを引き連れて、街に入った。

 彼は、街の小さな宿に泊まっているらしい。そこで同居することになった。


「それにしても、あんな大金、どうやって……?」


「魔法で、石を金貨に見えるように、ちょっと……ね」


 ウィンクするオズに、トールは「意外と悪い人?」とちょっと笑った。

 こうして、自由の身になったトールは、オズと一緒にルイとカレンに復讐するための準備を進めることになるのだった。


〈続く〉

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