文化祭

一花カナウ・ただふみ

文化祭

「――いい加減にもう諦めてくれ! 俺はっもうっ!」

「待っているから……気が向いたらでいい。君が協力してくれると、僕たちは信じている!」


 外から大きな声が響いている。この様子だと、今年も始まったのだろう。


「ふぅん。この言い回しはあの作品かねえ」


 ベランダに出て公園を見下ろすと、ジャージのズボンにお揃いのTシャツを合わせた少年少女が大きな身振り手振りで何かしている。聞こえてくる声から、それが文化祭で披露されるだろう演劇の一幕であることは明白だ。


「学校にクレームがいくぞぉ」


 俺は呟きながらくつくつと笑った。

 どこのクラスなのかがわかれば、文化祭大賞を決める投票にペナルティがつくので必ず学校に電話なり投書なりで一言送る。それが卒業生としてやらねばならないケジメだろう。

 毎年毎年どこかのクラスが団地裏の公園で練習を始めるのだから、懲りないものだと感心する。褒めているわけじゃなくて、皮肉だ。

 在学中から、練習に気づけば容赦せずに学校に通報してきた。だから、そこの公園は穴場では決してないことが周知されているはずなのだ。それなのにどこかしらのクラスが使うのだからすごい根性である。ペナルティが重くなったとも聞いているのに。


「……青春だねえ」


 Tシャツにクラス名が書いてあるはずだが、色の都合なのかここからではよく見えなかった。

 命拾いしたな、若者たち……って、この言葉もあの戯曲のセリフだったか。


「しかしまあ、俺の演じ損ねた作品じゃなくてもいいんじゃね? 古典でもないのに趣味が古いだろ」


 あの年、大賞を逃したのは俺が大怪我をしたせいだ。

 文化祭の前日、準備のときのことだ。舞台装置を運ぶ途中で俺が階段から落ちて入院することになってしまった。主役が大道具の手伝いをするからだと責められたが、人手が足りなかったんだから仕方がないじゃないか。あのとき手を貸していたのが体格のいい俺じゃなかったら死亡事故になりかねなかった。誰かが死んでいたら、文化祭どころではない。あれは意味があったことで、恨まれていても俺は悔いはない。

 自分が舞台に立って言うはずだったセリフが聞こえてくる。懐かしい。懐かしいだけでなく、今でもそのままセリフを言えることに驚いた。

 未練がないわけじゃない。

 俺はスマホで母校に連絡する。若い男性が電話に出た。俺と同じ年くらいだろうか。


「すみません、〇〇団地に住む者なんですが、そちらの生徒さんが裏の公園で演劇の練習をされているみたいで……ええ、クラス名まではわからないんですけど、聞こえてくる台詞から『×××』って作品を演じるクラスだと思うんですよ。注意お願いできますか?」


 俺がいつもの調子でクレームを入れると、相手はふっと笑った。


「なにか?」

「ああ、いえ。すみません。うちのクラスの生徒ですね。ちゃんとペナルティをつけておきます」

「よろしくお願いします」


 やれやれと思いながら電話を切ろうとしたそのときだ。


「よくセリフだけでわかりましたね……いや、わかって当然か」

「ん?」


 どこか様子がおかしい。俺は通話を切る手を止める。


「あの脚本を勧めたの、僕なんです。僕の年は幕が上がらなかったから、次があるなら必ず上演したくて。教師が私情を挟むものじゃないとは思っていたんですがね、話をしたら彼らが乗り気になってしまって。はは、お恥ずかしい」

「…………」


 知っている。この声はあの頃から少しだけ低くなっていたけれど、俺と一緒に舞台に立つはずだったクラス委員の笹沼だと。


「なあ、千金なんだろう? 今度は幕を上げてみせる。僕たちは舞台に上がることは叶わないけれど、観に来ないか?」


 俺は黙り込む。この押しの強い感じはやはり笹沼だろう。


「待っているから。気が向いたらでいい。……じゃあな」


 通話は切れた。

 俺はスマホをベッドに投げ捨てた。

 笹沼はどこまで知っているのだろう。

 あの事故で入院した俺は受験に失敗して進学できず、そのまま引きこもりになってしまった。部屋から外を眺めるのが日課で、外に出ることはほとんどない。完治したはずの足が動かしにくいこともあって、なおさら外出が億劫なのだ。


「待っているから、か」


 劇中で言われるはずだったセリフと被っていることに気がついた。

 意図してなのか、偶然だったのか。


「……晴れたら、行ってみるか」


 文化祭の練習に励む少年少女たちを見ながら、俺は窓を閉めた。


《終わり》

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