第2話 金持ちの担当にでもなったのか?

「――なんで桜山、またスーツなの」

「…………これが……無難だから」

「ごめんよくわからない」


 次の日。一限の教育入門を控えた教室では、人が段々集まりつつある。

 睦目のしてきたその格好に、友達の庄司はスマホを弄る手をやめて、呆れた目をやると共に言葉をこぼした。


 宇都宮庄司うつのみやしょうじ。入学式の時たまたま隣になり、それから仲良くなった。


 茶髪に染めた髪を後ろにまとめ上げ、生えた無精髭が大人の貫禄を醸し出す。体格もでかく、鍛え上げられた筋肉が隆々と盛り上がっていた。


 睦目も考えに考え抜いた結果、昨日と同じスーツで訪問することに決めたのだ。

 芸能人の家がどんなものか、テレビぐらいでしか知らないので、雰囲気などは憶測で判断するしかなく。


 変に悩んだところで、自分にファッションセンスは皆無だから、既にある型に嵌めることしか出来なかった。


「その、今日が家庭教師初めてのバイトで、この格好のほうがいいかなと……」


 言ってて段々恥ずかしくなり、目線が下がる。


 感情の逃げ場を求め彷徨った視線は、白い長机の縁に残っている消しゴムのカスに留まった。それをさっと手で払う。


「いやいや。家庭教師でスーツって、どんなんだ? 普通、普段着とかじゃねーの?」


「まぁそうなんだけど、俺のファッションセンス。わかるだろ?」


 クローゼットの中にも、ろくに着ていけるような服がなかった。


「……あーまぁ気にしたことはなかったけど、無難って感じはする」


「でしょ? でもなんというか。自分とは位の違う人の家庭教師になっちゃったから、何の服着ればいいかわからなくなって……」


「位の違う人? 金持ちの担当にでもなったのか?」


「ま、まぁそんなところ……」


 本当は有名子役・瀬ノ杏奈の家庭教師になったとは、口が裂けても言えるはずがない。


 実際芸能人は普段自分たちが暮らしている世界とは違う生活を送っているため、『位が違う』はあながち間違ってはいなかった。


「金持ちか……いいなーよくドラマであるじゃんか。家庭教師が金持ちの人に就く話。それでいっぱいお金貰ってるって言うし。オレも始めようかなー家庭教師」


「庄司も家庭教師とか興味あるのか?」


 庄司から直接聞いたことは全くないが、案外興味があったりするのだろうか。


「いや、単に金稼げるならなーって。それで妹にプレゼントできるし」


「……大学生にもなってシスコンはさすがにキモイぞ?」


「シスコンじゃねぇ。ただの妹想いだっつぅーの」


 庄司が迫真の表情で迫ってきて怖い。どうやら彼の中ではシスコンと妹想いは違うらしい。


「そ、そうだよな。ごめん」


 これ以上妹について語られるのも困るので、ここは一歩譲る。

 微妙な間ができてしまった。とりあえず何かしようとして、睦目は教科書とノートを広げる。


 すると、教室の後ろから一際騒がしい女子の集団が、睦目の耳朶を打った。

 静かな教室が一瞬で、彼女たちの楽しげな会話で満たされる。


「――でさ、彼氏が言うわけよ! お前はバカかって」

「えーなにそれやばくなーい?」

「つっきーにバカって、一応国立大なのにね」

「その彼氏も彼氏だね。つっきがーが折角提案してくれたのに」

「ほんとそれよ。ゆいもそう思わない?」

「……うん思う思う。でも仲良いでしょ? 結局」

「まーねー。あと一週間で三年記念日だし。どこ行こうかな」

「いいなーあたしも彼氏欲しぃー」


「………あ、睦目くんおはよう」


 ――その内の、一人の女子が話しかけてくる。亜麻色の、胸元まで伸びたミディアムヘアが動きに合わせて揺れた。上は白のブラウス。下はジーンズで茶色のベルトがオシャレ感をアップさせている。


「おはよう」


 挨拶されたので、睦目も目を見て返事をする。


「今日もスーツなんだね」

「まぁちょっとね」

「似合ってんじゃん」

「そうかな?」


「……じゃあうちらあっちで待ってるから」


 リーダー――このグループの中心人物とも思われる、派手なメイクをした女子が前方に指さしながら言った。睦目との空気を察して、気遣ってくれたのかもしれない。


「うん。後で行くよ」


 それに彼女は柔和な笑みを浮かべて応える。

 近くから女子グループが去ると、嵐が去った後のような静けさが戻る。


 彼女はしばしさっきのグループが行った先を見つめて……はぁー。大きなため息をつく。


「大丈夫?」


「ん? あぁごめんね。ついつい、ね」


「よっ、あかりおはよう」


「庄司くんもおはよう。――なんでこんな朝から疲れなきゃいけないんだろ」


 彼女――水宮優衣みずみやあかりは庄司に目を向けるも、すぐに睦目の方にやった。

 明らかな疲労の色が優衣の顔を濃く染める。


 優衣とは以前、授業で行ったグループワークで話すようになった。


 といってもたまに連絡を取り合う仲で、それ以上の関係でもない。

 ちょくちょく、こんなふうに愚痴を聞かされる程度の関係だ。


「女子も女子で大変なんだな」

「そりゃーもう。知りたくもたい自慢を聞かされるし、それに同意しなくちゃ空気こわれるし。結構神経使うんだよね」


 一気に吐露される鬱憤は、優衣がどれだけ感情を溜め込んでいるか容易に想像がつく。


「それでも今更あのグルから抜ける雰囲気じゃないし。抜けても新しい友達できる保証もないし……そういば、なんでまたスーツなの?」


「今日から家庭教師の授業がはじまるんだってよ」


 庄司が代わりに口を開いた。


「へー授業、ねー……まぁ、陸目くんも頑張ってね。私戻るから」


 小さく胸の前で手を振った優衣は、「ごめん! 今なんの話してる?」と何事もなかったようにグループの中へ溶け込んだ。その背中を見送っていると。

 左腕を肘で小突かれる。隣の庄司がニヤニヤした笑みを浮かばせていた。


「……なに」


「どうなんだよ、優衣とは。めっちゃ仲いいじゃん」


「はぁ……別になにもない。先生きたよ」


 黒板の前では教授がすでに授業の支度をしている。

 問われたところで、庄司が期待するような答えは何一つない。

 庄司は「なんだよつまんねーの」と投げやりに呟いた。

 

   * * *  *


「ではこれで授業を終了します」


「はぁーやっと終わった。ほんとねみー」


 教授が四限の授業の終わりを告げると同時に、庄司が大きな独り言を漏らす。

 陸目は時計を確認する。

 ――一六時一○分。

 早めに終われて良かった。

 陸目は教室を出る準備をするために、教科書とノートをリュックへしまっていると。


「桜山、まだ時間ある?」


 スマホを弄っていた庄司がふいに、目だけをよこしてこちらに訊いてくる。

 少しだけ浮かせた尻を再び椅子に下ろした。


「今日はきついかも。このままバイトあるし。あと迷ったら怖いしな」


 初めて行く場所ほど怖い物はない。そこまで土地勘がない陸目はマップ頼りに進むしかなく。


 しかもたまに居場所を示す矢印が変な方向を向いたりして、違う道を通ってしまうこともあった。だからある程度余裕を持たせて置きたかった。


「そっか。んじゃ、バイトがんば」


 バンッ、と庄司が気合いを入れるように睦目の背中を力強く叩く。

 睦目も「おうっ」と元気よく返事した。



 

 ――外へ出る。今日は天気がいい。燦々と照りつける陽射しに、陸目は思わず目を細めた。


 スマホを操作し、LINEを開く。昼頃、塾長から連絡が来たのだ。

 そこには杏奈の家の場所が記されている。どうやら神社近くにあるらしい。

 陸目は時間を確かめ、バスが出る正面門へ足を急がせた。


 杏奈の家の最寄り駅である鎌倉駅に着いたのは、一七時三○分。


 ここから街一帯を横断する湘南新宿ラインを越えれば、由比ヶ浜がその雄大さを湛えている。


 突風が吹き、睦目の整えた髪をくしゃくしゃに掻き乱した。観光地ともあって人通りも多い。


 海にも行きたいけれど、今回の目的はそこではない。幸い、杏奈の家まではバスで行けるようだ。もし徒歩だったら最悪の場合も考えなくてはいけなかった。


 東口のバスロータリーで待っていると、赤と水色の線が特徴的なバスが目の前に停まる。睦目はそれに乗り込んだ。間もなくして、数人を乗せたバスは発車した。


 なんだか身体中そわそわして落ち着かない。意味もなく前髪を直したり、ずっとスマホの同じ画面を見つめたり。何度口にしたか分からない水を喉へ流しこんだ。


 ただでさえ芸能人の家に訪問するのが緊張するのに。初授業という重大任務が睦目の加速する鼓動に拍車をかける。


 窓ガラスに映った睦目の冴えない表情は、流れ行く景色に攫われていった。

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