記念日に花束を

貴良一葉

本編

 うわぁ、ありがとう佳次けいじ君! 素敵な一周年ね。


「いやいや、俺の方こそ。君という星に出会えて、俺は幸せ者さベイベー」


 やだ面白いこと言って。ほら、クリーム付いてるわよ。


「おぉっといけない。美しい君に見惚れて、俺としたことが口の位置も分からなくなったようだ。どうしよう、これではケーキが食べれないよ」


 もう、仕方ないわね。アーンして?


「おう! アーーーー……」



 ン!

 ……は叶うことなく、ヴーヴーというスマホのバイブ音により、俺は現実へと意識が引き戻された。我ながら己のトロけるまでに崩れた顔の夢を見て、恥ずかしいやら気持ち悪いやら変な気分だ。

 一応言っておくが俺はあんな浮ついたキャラではない。でもどうせなら、彼女からの貴重なアーンを体験してから目覚めたかった。


 いや、もしかしたら今日という日に初体験できるのかも知れないが。


 カーテンから漏れる陽がやけに明るいなと思いながら、寝ぼけ眼に未だ俺の応答を待ち震え続けるスマホに観念して、仕方なく通話マークに触れた。


『おっはよー! 俺を放っておいて有給の佳次クンッ』


「……るせぇな、剛仁たかひと。朝からんな大声出すなよ」


 耳に宛がう前から聞こえてくる陽気な声に、テンションの寒暖差で風邪を引きそうだ。って何どっかの芸人みたいなこと言ってるんだ、俺。


『さーては寝てたな? いいなぁ、俺もゆっくり朝寝したいよ』


「そんなに寝てねぇって。イジってる場合か、さっさと仕事行け主任」


 通話の相手は同じ商社に勤める同期だ。勤務先の営業所も一緒で入社して以来共に切磋琢磨してきたが、気づいたら剛仁にはあっと間に役職がついていた。

 そりゃちょっとはショックだったけど、アイツのこの人を惹きつける陽気なキャラと、誠実でスピード感ある仕事振りには敵わないと分かっている。それに逆に良い刺激となって、俺も負けてらいれないと毎日の仕事の活力になっていた。


『いやいや、休憩時間だし。ラーメン屋が並んでてさぁ、暇なんだよね。で、お前に話し相手のフラグを立てた』


 近くに出来たトコもう食った? などという剛仁のしょうもない話を聞き流しながら、俺は違和感を覚えた。ウチの会社に朝の休憩時間などなく、あるとすれば昼休みの1時間だけだ。

 それに朝からラーメンなど夜勤明けとかでもない限り重すぎる。アイツが無類のラーメン好きという話も聞いたことがない。


 確かに出だしから微妙に会話が噛み合っていない気がしたが、この時点で額にイヤな汗が滲んだ。

 俺の家には時計がない。時刻を確認できるのは、手にしているスマホのみ。


「おい待て、今何時だ?」


『何だ、寝過ぎて寝ぼけてるのか? 12時5分を過ぎたとこだよ』


 12時5分、だと?

 いやいやいや、誰か冗談だと言ってくれ。


 アラームで設定した時間、8時ジャスト。

 本日の予定の約束、12時に駅前。


 ものすっごく単純に言うと、大寝坊で大遅刻。


「うぉおおおおお! やらかしたぁーーー!!」


『え、お前まさ――』


 剛仁との通話を強制終了し、慌てて約束相手彼女に電話を掛ける。

 呼び出し音を聞きながら俺はジャージを脱ぎ捨てた。


 なるほど、道理でお日様が高いわけで。……とか納得している場合か!


 伊東佳次いとうけいじ 27歳、ヒラリーマン。

 記念日の幕開けは波乱に始まった。



 こんなに全力を出して走ったのは、高校の体育祭のリレー以来かも知れない。


 とりあえず彼女には連絡が付いて、彼女も丁度駅前に着いたところだったらしく、近くにあるカフェで時間潰しをしてくれるそうだ。咎められもせず、電話越しでも彼女の……悠葵ゆうきの背後に神々しく後光が差すのが見えた。何て優しい女神なんだ、この後会ったらまず拝む。

 だからと言ってそう長く待たせるわけにもいかない。何せ今日、悠葵を誘ったのは俺自身なのだ。


 今日は俺と彼女・浦川うらかわ悠葵ゆうきが付き合って1年の記念日だ。女性はそーゆーのを重んじるというのは、雑誌の記事か何かで読んだことがあった。そうあれば1周年を祝わずにはいられない。

 1週間前くらいからデートコースを考えて、頭の中で入念にシュミレーションして完璧。今日だって夢にまで見るくらい楽しみにしていたのに。


 俺が遅刻、それも引くくらいの大寝坊とは……情けない。


 俺の自宅の近くにはラッキーなことに花屋があった。自宅から駅までは15分。急ぐ道だが、お詫びの印に花束を買っていく時間くらいは取れるだろう。

 幸い花屋を覗くと他の客はおらず、バラ25本とカスミソウで豪華な花束を作ってもらった。バラを貰ってイヤな顔をする女性はいないはずだ。確か本数に意味があるとか聞いたことがあるけど……これくらいあれば華やかだと思った。


 時間もないのでラッピングはそこそこに、定員さんの鮮やかな手さばきによって花束はあっという間に完成した。それを受け取って再び全力で走ろうかと思ったが、花束を気にしてあまり乱暴には走れなかった。

 しまった、これは想定外。だが折角の花束をボロボロで差し出しては逆効果だ。競歩とまでは言えない早歩きで進み、乱れた呼吸を整えながら横断歩道の赤信号を待った。


 駅はもう目と鼻の先だ。時刻は12時35分過ぎ。

 ランチの場所も考えてあったが……これは悠葵が待ってるカフェで、そのまま食事だな。


 腕時計を見ながら小さく溜め息を吐き、青信号になった歩道を渡った時だった。


 駅前できょろきょろと辺りを見渡すお爺さんが目に入った。紙を片手ににらめっこし、明らかに何かを探しているようだ。

 いや、俺は悠葵を待たせている。別に俺が声をかけなくても誰かが……。


 そんな思いとは裏腹に、お爺さんの横を無情に人がすれ違うのを見るとヤキモキした。駄目だ、偽善者気取りするわけじゃないが、こうゆうの見逃せないんだよ俺。


「あの、何かお探しですか?」


 声をかけると一瞬ビクと肩を跳ね上げたお爺さんだったが、俺の言葉に少し嬉しそうに微笑んだ。


「あぁ、お兄ちゃん。家族と待ち合わせしておるのだが、場所が分からなくてのう」


 そう言ってお爺さんは握っていたシワシワの紙切れを差し出した。そこには簡単に手書きされた地図と、住所と日本料理店の名前が書かれていた。最近出来た小洒落た店だと俺もその店名は聞いたことがあった。

 ここから近いが地図が簡素すぎて、あまりこの辺に詳しくない人では確かに分かりづらいものだった。スマホ持ってないの? と言いかけて慌てて口を噤んだ。そんなものあれば苦労などしていない。


「ここでしたら、この道を真っ直ぐ行って2個目の信号を……あぁ、近いんで俺案内します」


「良いのかい? 悪いねぇ、助かるよ」


 良くない。俺は心の中で号泣している。が、この人が口説明で辿り着けるとも思えない。口頭説明では相手の理解に誤差が出るというのは仕事でも思い知っている。ややこしいことなら尚更だ。ここは案内した方が最短と判断した。

 花束を抱え直し、取りあえず悠葵に「ごめんトラブル。あと10分ぐらい待って」という文に土下座のクマの絵文字を添えてLINEをした。既読が付くのを見ることもなく、俺はお爺さんを先導し始めた。


スマホソレは便利そうだねぇ。私も使えれば苦労しなかっただろうが、機械はめっぽう苦手でのう」


 あら、意図せず疑問一つ解決。まぁ大体はその理由か。


「はは、俺の親父も苦労してましたよ。でも、何故お爺さんだけ? ご家族と待ち合わせなのでしょう?」


「お恥ずかしい話だ。実は家内が入院していて、今日ようやく退院でそのお祝いをするのだが……娘が家内を迎えに行くと言うから、私は一人で大丈夫だと見栄を張ってしまってな」


 一人で来た結果がこの様だ、とお爺さんはケタケタと笑っている。あの簡単な地図は、娘さんが見せてくれたお店のHPの地図を書き写したもののようだ。

 一度渡ってきた横断歩道を逆戻りしながら、俺は道中も続く話に適度に相づちを打っていた。もう一つ交差点を進んで右に曲がり、路地を進む。あと少しだ。


「本当にすまないね、お兄さんもガールフレンドとお約束なのだろう?」


 俺が持っている花束を指さし、お爺さんは申し訳なさそうに尋ねた。

 寝坊したばかりにとんだ記念日になってしまった。早くコレを渡して悠葵の喜ぶ顔が見たい。


「えぇ、まぁ」


「お相手の方は幸せだろうね、そんな花束を用意してくれるなんて。私なんて家内と連れ添って70年だが、花束なんて渡したことなかったのう」


 それを聞いた俺は何故か胸がざわついた。

 道中の話はずっと奥さんの話ばかり。〝アイツはおっちょこちょいでな……〟と愚痴のような話題も、お爺さんはとても楽しそうに話していた。退院祝いに家族で食事をする間も、こんな風に嬉しそうな顔をするのだろう。

 それがこのお爺さんにとって夫婦で過ごした何気ない70年が、どんなに幸せだったかを物語っていた。


 それに対して、たった1年でデートだ何だと物事だけに浮かれている俺は、何てちっぽけなのかと思ってしまった。花束だってお詫びの印だ。悠葵と過ごした日々を想って買ったモノじゃない。


 ケーキをアーンされたいとか、そんなのどうでも良かったんだ。

 まだたったの1年だけど、一緒にいてくれたことに感謝できれば。


 そうして日々を積み重ねていく。


「ありがとう、ここだね」


 そう言われて、俺は目的の店に到着したことに気がついた。お爺さんは何度も頭を下げて御礼の言葉を言うと、ゆっくりと店に入って行こうとした。

 その小さな背中を俺は咄嗟に呼び止めた。


「あの! これ、お祝いにお爺さんが使ってください」


 驚いて振り返ったお爺さんは、差し出されたものに目を丸くした。無理もない、俺が悠葵に渡そうと買ったバラの花束を使えと言うのだから。

 見ず知らずの他人のために買った花束を使い回す、というのもどうかと思ったが、

俺にはまだこの花束は似つかわしくない。お爺さんが退院して帰ってきた大切な奥さんのために使ってくれた方が、この花束も喜ぶ気がした。


「いや悪いよ。これはお兄さんがお相手の方のために用意したものだろう?」


「いえ、いいんです。俺も退院をお祝いしたいですし」


 〝ね?〟と笑いかけてみれば、お爺さんは暫く悩んで「じゃあ……」と花束に手を伸ばした。でも、彼が手に取ったのは花束ではなかった。


「君の気持ちで1本だけ、いただくよ。突然の花束だと、家内が驚いてまた倒れたらいけないからね」


 イタズラをした少年のような笑みを浮かべたお爺さんは、そのままお店の引き戸を開けて、再度お辞儀をして手を振りながら入って行った。

 俺はガラスに薄ら映った赤い影が消えていくまで、その戸をずっと見つめていた。



「もーう、遅いよ佳次君。LINEの返事ないし、すごく心配したんだからね」


「ごめん、マジでごめん! 今から最高の一日にするから!!」


 カフェじゃなかったらスライディング土下座をする勢いで、俺は悠葵を見つけた瞬間に必死で謝った。時刻はもうすぐ13時になろうとしている。彼女は怒るどころか俺を心配してくれていたが、結果的には1時間近くも俺を待たせてしまった。

 でも今日という日はまだ時間がある。デートコースは色々考えたけど、深く考えずにゆっくり二人で過ごす大切な時間を楽しみたい。


「あ。ねぇ、それ私に?」


 小脇に抱えていた花束に悠葵が気づいた。

 あれから結局全力で走ったせいで、ラッピングで巻いてあるお洒落な包装紙に皺が寄ってしまっていた。慌てて少し伸ばすが大して変わることもなく。

 後でこれについての逸話も話さなければ。


 でも、まずは。


「1周年、ありがとう悠葵。これからもずっと一緒にいてくれな」


 今後の二人に、幸多きことを願って。



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