(二)古参の精鋭部隊

 主人の陣営には位(役職)を持たない古参の集団がいた。主人が涿郡たくぐん黄巾賊こうきんぞく討伐に起ち上がった頃から、主人とともに戦ってきた歴戦の兵士たちだ。

 彼らは常に前線で戦うことを希望し、位を与えられることや名を表に出すことを極端に嫌った。このため彼らの名はどこにも記されず人々の口に上ることもなかった。正式に組織された部隊の名もなかったが、彼らの素晴らしい戦績への尊敬をこめて通称で“精鋭部隊”などと呼ばれていた。〔※54〕

 位がなくとも精鋭部隊の権威は陣営内で絶大だった。気は優しく弱い者いじめなどは絶対にしないものの、決して上品な人たちではない。道義心の強い彼らの怒りを買った者はすぐさま陣営から追い出された。

 私はそんな恐ろしい集団を差し置いていきなり主人に“寵愛ちょうあい”されてしまったのだった。当然、精鋭部隊の人々は私に対して気も狂わんばかりに激怒していた。

「あの若造! いったい何様のつもりだ!」

「礼儀知らずめ! どうなるか分かっているのか!」


 彼らの怒りを抑えていたのが、事実上精鋭部隊の隊長役だった張益徳ちょうえきとく将軍(張飛ちょうひ)と主人の片腕を務めていた関雲長かんうんちょう将軍(関羽かんう)だった。主人の義兄弟として既に有名だったこの二武将は、あの樊城はんじょうで行われた面談の日も主人の両側にいた。つまりあの日私と大いに語らってくれた人たちなのである。あの日以来二人は私のことを気に入ってくれたらしく、私が出仕したときも再会を手放しで喜んだ。そんな二人が私をかばい、精鋭部隊を抑えてくれていたので私はかろうじて救われていたのだった。しかし二人の力にも限界があった。日を追うごとに精鋭部隊の怒りは募り、しだいに抑えがきかなくなっていたのだ。


 ある日主人と私が執務室で談笑していると、突然荒々しい足音とともに張将軍と関将軍が飛び込んできた。

「なんだ、騒々しい」

 主人が言うと関将軍はそれには何も答えずちらと私を見て言った。

「孔明、悪いが席をはずしてくれないか」

 私は素直に従い部屋を出て行こうとしたが、主人に呼び止められた。

「出て行く必要はない。ここにいろ」

「……はい」

 私が主人の傍らに戻った後、しばらく気まずい沈黙が流れた。やがて関将軍が口を開いた。

「長兄〔※55〕。それから孔明。この際だから二人ともに伝えておくが、今この陣営内には反乱が起きかけている」

「反乱だって? はっ、何を言い出すかと思えばそんなことか」

 馬鹿にしたように笑う主人に関将軍は声を荒げた。

「笑いごとではない! 現実にたった今、反乱が起きてもおかしくはない状況なのだ」

 いつもは陽気な張将軍も深刻な表情で訴えた。

「本当に限界なんだよ。俺たちの手じゃ、これ以上奴らを抑えきれない」

「ほう……。それはそれは、大変なことだな」

 まるで他人事のような主人の言葉に関将軍はいよいよ本気になって怒り出した。

「長兄、ふざけるのもいい加減にしてくれ! 俺たちの苦労も考えてみろ。だいたい、孔明に対する長兄の態度は尋常ではないぞ」

 すると張将軍もさらに皮肉をこめて言った。

「そうだ。絶対、おかしい。近頃の兄貴はいかれちまったみたいだよ」

 だが主人は事もなげに答えた。

「俺はいかれてなんかいないさ。そもそも俺が孔明にどんな態度をとろうと、お前たちには関係ないだろう。そんなことは俺の自由だ」

「自由だって!? 冗談じゃない」

 関将軍は怒りに顔を震わせて言った。

「常識で考えてみろ。何も実績のない新人を最高待遇で迎える頭首が、どこにいるのだ?」

 それから彼は少し気持ちを抑えて、諭すようにこう言った。

「確かに俺は孔明をいい奴だと思う。彼は稀に見る心根のいい男だよ。しかしだな、この待遇はどう考えても行き過ぎではないか? いくら心根がいいからと言って、まだ何の位も実績もない新人を側近として控えさせるというのはどう考えても間違っている。人間にはそれぞれ、その能力に見合う立場というものがあるだろう。長年実戦で経験を積んだ軍師ならば側近として置くのもいいが、たかが二十五、六の若造にそのような立場が務まるはずがない。もしどうしても彼に高い位を授けたいのなら、始めは最も下層の位に置き、それから段階的に上げていけば良い。本当に孔明のためを思うなら、そうすべきだぞ」

 まったくもって正論だった。傍らで聴いていた私も心から関将軍の言葉に賛同した。私自身このような待遇は分不相応だと思って重荷を感じていたからだ。

 しかし主人は首を横に振りながらこう答えた。

「駄目だ、駄目だ……。お前ら、なんにも分かっちゃいないんだな」

 その場にいた全員が言葉を失っていると、彼は皮肉な笑みを浮かべながら言った。

「そんな下手な理屈が俺に通用するとでも思っているのか? ――いいか、この男は今のところ俺自身の相談役だ。それ以外の何者でもない。だからこの男をどこか他に回すことなど、できるはずがないだろう」

「だが、長兄……」

 関将軍が何か言いかけたのを遮って主人は強く言い切った。

「俺にとっての孔明は、魚にとっての水のようなものだ〔※56〕。孔明は俺にとって必要な男。だから俺は、孔明を傍に置く。これ以上言うことはない」

 その真摯な態度に関将軍は表情を変えた。そして静かに言った。

「……分かった。そこまで言うのであれば、俺たちも何も言うまい。しかしこれだけは言っておく。精鋭部隊の連中は反乱の機会を狙っている。俺たちにはもうそれを抑える力はない。おそらくこのままではいつか確実に反乱が起きるだろう。その覚悟だけは、しておいたほうが良いかと思う」

 主人は真剣に言葉を返した。

「うむ。承知した。報告、ご苦労だった」

 しばらく将軍二人は黙って主人の顔を見つめていたが、やがて礼をして執務室を出て行った。残った私は黙り込んでいる主人に何も言うことはできなかった。


「水、ですか」

「そう、“水”と」

「水……」

 私は口の中でその言葉を反芻はんすうして考え込んだ。

 話がある、と趙子龍ちょうしりゅう趙雲ちょううん)将軍が私を中庭へ呼び出したのは、眩しい日差しが降り注ぐある午後のことだった。色が白過ぎて青くも見える顔をうつむけ、彼はため息をついた。

 私が劉備陣営の間で「水」と呼ばれけなされていることを報告に来たのだった。

 それは当然ながらあの日、主人が関将軍と張将軍の前で

“俺にとっての孔明は魚にとっての水のようなもの”

 と告げた言葉が陣営内に広まった結果だ。兵士たちが陰で私に「水」というあだ名を付け揶揄しているらしい。

 それにしても内密の場で交わされたはずの話が何故、すぐさま広まったのか?

 当時の私は新参だったのでまだ分からなかったが、張将軍が噂を広めたに違いなかった。張将軍は善人なのだが隠し事ができないたちだった。主人が私を「水」と呼んだ話が陣営に広まったらどうなるか、結果までは考えずに触れ回ったのだろう。

 私は主人に「魚にとっての水のようなもの」と呼ばれたことはとても光栄だったし、身が痺れるほど嬉しかった。しかし同時に背筋が凍る恐怖を覚えた。

 ただでさえ尋常ではない贔屓ひいきに怒っている古参兵たちに対して主人の“水魚”発言は火に油を注ぐだろう。これでまた反乱の危機が高まったと言える。いや、乱が起きる前に私が殺される確率のほうが高い。

 後で聞いた話によれば、主人とともに命懸けで数々の闘いを潜り抜けて来た兵たちはこの話を聞いて屈辱に打ち震え涙を流したという。

 半ば本気でこう言う者もいた。「奴がいなければ生きていけない、と主公は言ったんだな? だったら、本当に主公が死ぬかどうか、試しに“水”を殺してしまえ」……と。

「参るよ。あの方の自由な言動には」

 趙将軍はその整った眉をひそめながら言った。 

 思うままに発言し、行動する。全てが本心からの言動で嘘がない。それこそ我が主人劉備の最大の魅力だった。しかし立場にこだわらない自由な言動が混乱を招くことはしばしばあった。この時の私に迫った危機はいずれ同じ原因で繰り返されることになるのだが、それはまた後の話。〔※57〕

 反乱を心配して黙り込む私に、趙将軍は一転して私を励ますために笑顔を作った。

「君には責任がない。悪いのは自由奔放過ぎるあの方だろう。まったく困ったものだよ。この現状をご覧になって、もう少し考えてから発言していただきたいな」

 明るく言ったが彼の声には棘があった。無理もない。彼は苛立っていたのだ。彼だけではない、この時期、陣営内の全ての人が苛立っていた。ただ一人、主人を除いて。

 出仕当時から疎外されていた私に友人として声をかけてくれたのは趙将軍だけだった。一回り年上という、この陣営内では比較的に近いほうの年〔※58〕でもあったし、また良い家柄出身ということもあって共感を持って親切にしてくれたのだろう。それに彼は穏やかで冷静な性格だ。怒る姿など見たことがない。その趙将軍まで苛立たせるということは、主人の“水魚”発言で相当に状況が悪化している証だ。

「ん。君、震えているのか」

 下を向いて考えにふけっていた私は趙将軍の言葉で顔を上げた。彼の灰色の瞳が驚いたように見開かれていた。その視線の先を辿り、初めて私は自分の肩が小刻みに震えていることに気付いた。

 くすり、と笑い声がして肩を叩かれた。

「そんなに恐れなくてもいいよ。確かに困った状況だけど僕がついてるから。関将軍もいるし、張将軍もいる。これだけ強い味方が付いているのだから、君は安心していればいい。ただ少しだけ自室にいる時間を長くしてくれ。あまり一人で歩き回らないように」

「ええ。ありがとうございます」

 私は冷や汗を拭って作り笑いを返すのが精一杯だった。趙将軍はさらに何度か私の肩を叩き苦笑する。

「それに正直なところ羨ましい話だよ。あの人から、“かけがえのない存在”と呼ばれるなんてね」


 この状況、怖くなかったと言えば嘘になる。

 殺意を抱いた人は一部だったとしても誰もが私を憎み嫌っていた。廊下を歩いていて、いつ柱の影に引きずり込まれ袋叩きに遭ってもおかしくはなかった。

 けれど私はそうなっても仕方がないことだと思っていた。

 主人に命を捧げて来た人々の気持ちは若輩の私にも理解出来る。長年尽くして来た恩は報いられず、新参者に立場を奪われた彼らの悲しみ、悔しさは当然のものだ。もし殺されることになったとしても私は諦めて運命を受け入れただろう。

 だから趙将軍と“水”の話をしていた時に感じた激しい恐怖は自分でも意外なものだった。

 不可解な恐怖はしばらく私の中に留まり心の底で淀んだ。


「主公」

 数日後の夕刻。休息を取っている主人の寝室へ密かに伺って声をかけると、寝台に長々と寝そべっていた彼は寝ぼけた顔を上げた。

「なんだ。また深刻な顔して」

「あの、騒ぎのことですが」

「騒ぎ?」

「私を、その、“水”と呼ばれたことが騒ぎになっているそうです。古参の方々がお怒りだとか」

 主人は楽しげに笑う。

「放っておけ。本心を言ったまでのことだ」

 私は古参兵たちへの引け目と光栄とで顔が熱くなるのを感じた。

「何故、あのようなことを……いえ、ありがたいお言葉ですが、私ごときにはもったいない……」

「もったいないことなどあるものか。俺にとってお前は、かけがえのない存在だ。それは本当のことだろうが。本当のことを言って、何が悪い」

 この人はいつでもこうだ。断定で物を言う。一度確信を持ったことに対しては決してぶれることも遠慮することもない。

 あまりにもはっきりと告げられるので、私のほうはうろたえてしまう。光栄な言葉に感謝することも忘れ抗議した。

「し、しかし。今の時期にそのようなことを宣言されるのはまずいのではないでしょうか」

「公になんか宣言してないだろうが。益徳が言いふらしたことは分かっている。あいつ、子供ガキみたいにこういうこと面白がるからな」

 自分も面白そうに笑っている。おかげで殺されるかもしれない私はさすがに怒った。

「そんな、お気楽にされている場合ではありません。あなたの発言のおかげで皆の怒りは頂点に達しているのです。このままでは大変なことに……」

「ああん? 大変なこと? お前が殺される、とか?」

 寝そべったままの格好で寝台に片肘を立て、頬杖をついて主人は私を見上げた。

「俺は、構わないよ。お前が殺されても」

「な、何を」

 唖然としている私に彼は淡々と言う。

「俺はお前が殺されても泣いたりわめいたりすることはない。お前とは魂で一体だということが分かっているからだ。そうだろう。違うか?」

 私は声も出せなかった。深い確信を持つ人を目の前にして言葉さえ返すことが出来ない自分を恥じた。

「なあ、聞けよ。魚は水あってのものだ。俺はお前なしには泳ぐことが出来ない。しかし俺は知っている、お前が死んでもいなくなったわけではないことを。だから俺は泳げない魚となっても安心して待つだろう。再び水と巡り会い、蘇る時を」

「……あ……ありがとうございます」

 ようやくそれだけ言った私を見て主人は口の片端を上げて笑った。

「お前も分かっているだろうよ。俺たちは切っても切れない関係なんだ。だから、ぐずぐず小せぇこと心配してんじゃねえぞ。お前ともあろう奴が。小せぇことにこだわるな」

 言うと主人は大あくびをし、ぱたりと顔を寝台に伏せた。それきり話が止まったので近付いて声をかけた。

「主公?」

 すると、ぼんやりした声が返って来た。

「孔明よ。お前は死んだ魚だった俺を蘇らせてくれた……俺は蘇るよ何度でも……お前が蘇らせてくれるんだ」

 寝言なのだろうと思いしばらく耳を傾けていると、はっきりとした呟きが聞こえた。

「水というよりお前は道士どうしかな。俺を蘇らせる、法術使い」



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注釈



※54 「精鋭部隊」はここだけの通称。位を持たなかった古参兵については当然に氏名や集団名の記録がなく、当時の呼び方が不明なため現代日本語で呼ぶことにする。



※55 漢語では「大哥(dàgē)」。ここでは日本語で「長兄」としておく。今後、プライベートな場面における関羽・張飛から劉備への呼び方は「長兄」または「兄貴」とする。



※56 正史から引用。原文「先主解曰、孤之有孔明、猶魚之有水也。」



※57 「君可自取(お前が政権を取れ)」遺言を指す。諸葛亮出仕直後における「水魚」発言と、晩年の「君可自取」との明白な一致を見て、渡邉義浩の信者は今すぐ歴史歪曲の洗脳から脱け出すよう願う。



※58 趙雲の出生年は分かっていないが、諸葛亮よりも十歳~十二歳ほど(一回り)年上だったと思う。この年齢差でも劉備陣営では諸葛亮との「年が近いほう」だった。たとえば劉備は諸葛亮より二十歳上、関羽もおそらく二十五歳ほど年上。


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