薮を突いて蛇を出す創作論

平沢ヌル

1.はじめに

 創作論。

 インターネットでは、ありとあらゆる創作を志す人が語っては、炎上しヘイトとインプレッションを稼ぎ、不愉快なやりとりに怒りお気持ちを表明し、創作に使えたはずの時間とエネルギーを費やしている。

 そんな事例を見ても分かるように、この上なく厄介でありながら、なぜか人を惹きつけてやまない創作論。


 私がなぜこんなエッセイを書くことになったのか。

 とある方から、『今度公開の場で、創作論を語ってませんか』という声を掛けられたのだ。


 これは怖い。怖いが、面白そうでもある。


 否定しきれない野次馬根性の持ち主としては、敢えて燃える方向に話を持っていった時、どんな燃え方をするのか興味がないわけではない。あまりにも悪趣味な考え方だし、冷静になってみると御免被るのだが。

 しかし創作論とは、普段は隠している偏見、差別意識、傲慢さ、思い上がりを如実に、白日の下に晒してしまう、リトマス試験紙のようなものであるらしい。

 その場の勢いで口を滑らせたことのせいで人の心を傷つけ顰蹙を買い、虎の子の作品の名誉を傷つけられるのは全く望むところではない。

 文章書きの端くれとしては、文章化して客観視するプロセスが不可欠であろうと、そう考えたわけだ。


 なお、本エッセイには前作というべきものが存在している。

『ライトノベルとは何なのか』とは何なのか https://kakuyomu.jp/works/16817330653002383353

 タイトルが煽りすぎである。しかし中身は微妙に日和っている。


 インターネット野次馬の端くれとしては、敵対する誰かを相手取って言論バトルすることは御免被る、しかし、看過しているうちに自分の周囲で話が変な方向に進んでいくのも、なんかイヤだ。

 この「変な方向」とはなんなのか。また、どういう方向なら許容できるのか。

 一言では上手く説明ができない。それは、前作の内容だったりとか、これから書くこのエッセイでのみ表現できることだろうと思っている。

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