結婚、一人目③

 冒険者ギルドから飛び出した私は、目的もなく走っていた。


「はぁ……なんで……」


 宿屋に戻るわけでも、お店を探すわけでもない。

 ただ走る。

 理由は一つ――


「なんでこんなに、ドキドキするんだよ!」


 速まる胸の鼓動を誤魔化したかった。

 どうしてだろう?

 理解できない。

 タクロウの顔を見ていると、声を聞いていると、胸の鼓動が早くなる。

 振り返った顔を見たら、身体がずんと熱くなる。

 

「風邪ひいたのかな? あたしも」


 タクロウと同じようにずぶ濡れになった。

 風邪をひく理由はあるけれど、身体はとても元気だ。

 むしろ昨日よりも調子はいい。

 風邪じゃないのは、感覚的にわかっていた。


 じゃあ何?

 このドキドキは……。


「――あれ?」


 ふと気づく。

 訳も分からず、目的もなく走り出した。

 道を覚えるのが苦手で、一人じゃ街も散策できない私は……。


「どこ? ここ……」


 当然のごとく迷子になっていた。

 決して広い街じゃない。

 それでも、私はいつも通りに迷子になってしまった。

 宿屋の近くじゃないし、冒険者ギルドの付近でもないのはわかる。

 でも見覚えはある。

 視線の端に、武器屋の看板が見えた。


「あ、ここって……」


 そうだ。

 タクロウと初めてデートをした日に通った道。

 あの武器屋さんで、私はタクロウに剣を買って貰った。

 あの日のデートはとても楽しかった。


「またしたいなぁ……デート」


 そう思うと、鼓動が速くなる。

 タクロウは目の前にいないのに、なぜかドキドキが止まらない。

 どうして?

 混乱しながら、帰り道を探す。

 けれど自分一人じゃ迷子のまま、ずっと彷徨い続ける。

 少し前まで一人で旅をしていた。

 迷子になるのはいつものことで、一人でいることを寂しいとも思わなかった。

 それなのに今は……。


 寂しい。

 

 不安を感じている。

 このままずっと迷子のままだったら?

 誰とも……タクロウとも会えなかったら?

 そんなのは嫌だ。


「見つけた!」

「――!」


 不安をいっぱいに感じた時、彼の声がした。

 あの時もそうだった。

 初めて恐怖を感じた私を助けてくれたのは――

 

「タクロウ……」

「はぁ……探したぞ。カナタ」


 彼と向か会う。

 鼓動が加速し、全身が熱くなる。

 私の身体は、一体どうなってしまったのだろう。


  ◇◇◇


 一人で飛び出した時から不安ではあった。

 カナタは極度の方向音痴だ。

 街の中でも一人で出歩くと迷子になってしまうほどに。

 そんな彼女が迷子になり、心細い思いをしていないか。

 見つけられたことにホッとする。


「タクロウ、探しにきてくれたのか?」

「ああ……どうしても、言っておきたいことがあって」

「え?」


 俺は走り回って乱れた呼吸を整える。

 探していたのは、彼女が迷子になっているかもという不安だけじゃない。

 伝えるべきことがあった。

 覚悟がいる行為だ。

 俺は大きく深呼吸をする。

 カナタも俺の覚悟を感じてなのか、少し表情がこわばった。


「カナタ」

「う、うん……」


 さぁ見せる時だ!

 これがヒビヤタクロウ、一世一代の――


「すみませんでしたあああああああああああああああああああ!」


 土下座である。


「……え?」


 顔は地面に擦り付けている。

 周りの反応は見えない。

 けれど想像できる。

 街のど真ん中で盛大に土下座をすれば、どう見られるのか。


 変人がいる。


 心の声が聞こえてくるようだ。

 羞恥の塊。

 平常時の心なら決して耐えられないが、俺は覚悟を決めていた。

 

 いいですか?

 まずは土下座です! 

 人として、男として、何を謝るべきかは……土下座してから考えるんですよ!


 そう、それこそ愛の女神に仕える天使の助言。

 男の本気、土下座。

 何が悪かったのかはさっぱりわからない。

 しかし、俺のことでカナタの態度が変化したのは明白だった。

 きっと何か失礼なことをしてしまったのだろう。

 ならばまずは謝罪だ。

 誠心誠意、全身全霊で謝罪しよう。


 ああ……なんて情けないんだ。

 異世界に生まれ直して土下座って……何してんだよ俺……。


「な、なんで頭下げてんの? やめてくれよ!」

「え、いやだって……俺が何か失礼なことしたから、カナタが避けてるんじゃないかと……」

「違うよ! 何もされてない!」

「え? そうなの?」


 俺は頭を上げる。

 当然のごとく、周囲から注目されていた。

 くっそ恥ずかしい!

 カナタも顔が真っ赤だった。


「と、とりあえず場所変えよう?」

「そ、そうだな」


 カナタが俺に手を差し出す。

 その手をとり、二人で逃げるようにその場から駆け出す。

 目的地はない。

 ただ人の目から逃げるように走った。

 気づけば俺たちは、人通りの少ない路地にいた。


「ここなら……いいかな?」

「ああ。なぁ、カナタ? 何もしてない……んだよな?」

「してないよ! タクロウは失礼なことなんてしてない!」

「よかった」


 心からホッとする。

 と同時に、疑問が浮かぶ。


「じゃあなんで、急に慌てたり逃げたりしたんだよ」

「そ、それは……自分でもよくわからないんだよ」


 珍しく歯切れの悪い。

 彼女はもじもじしながら、悩みを打ち明ける。


「変なんだよ。昨日から……タクロウの顔を見ると、心臓がうるさくて」

「心臓が……?」

「身体も熱くなるんだ」

「熱くなるのか」

「それにずっと、タクロウのことばっかり考えてて」

「そうか……俺のこと……ん?」

「どうしちゃったんだろうな。あたし……やっぱり風邪なのかな?」


 頬を赤く染めながら、縋るように俺に問いかけてくる。

 俺は思い出していた。

 何度もプレイしたエロゲ、ギャルゲのセリフ。

 似たようなセリフがあった。

 描写があった。

 胸が高鳴り、身体が熱くなり、誰かのことばかり考えてしまう。

 それって……。


「恋ですね!」

「「――!?」」


 いつの間にやら、サラスが俺たちの背後に立っていた。

 指をピンと立てて、カナタに宣言する。


「恋……?」

「そうです! 相手のことを思うとドキドキして、熱くなって、夢中になる! まさに恋です! カナタは今、タクロウに恋をしているんですよ!」

「――!」


 俺が脳内でたどり着いた可能性を、断言するように彼女は発言した。

 ドキッとしたように身体を震わせたカナタ。

 視線が合う。

 俺までドキドキが伝わって、身体が熱くなってきた。


「そっか……あたし、タクロウのこと、ちゃんと好きになれたんだな」


 彼女は笑った。

 俺を見て優しく、明るく、溶けるような笑顔だった。 

 人生で見た中で、画面越しも含めて、一番素敵な笑顔だ。

 そう、まるで……。


「天使」

「呼びましたか?」

「お前じゃない。どっか行っててくれ」

「なんでですか!」


 邪魔されたくない。

 今なら、できるかもしれない。

 あの日、失敗した誓いを。


「カナタ、俺はお前が好きだ」

「――!」


 俺は彼女の手を握る。

 できるだけ優しく、包み込むように。


「健やかなるときも、病めるときも、これを愛し、これを敬い、共に歩んでいくことを誓います。だから――俺と結婚してほしい」


 一度目は失敗した。 

 けれど今なら、彼女の気持ちも――


「うん! 私も誓うよ。タクロウと結婚する!」


 返事が聞こえる。

 その直後、天から一筋の光が差し込む。

 俺たちの心が女神に認められた証明。

 気がつくとお互いの手には、キラキラ輝く指輪が握られていた。


「これは……」

「その指輪をお互いにはめたら結婚成立です!」


 サラスの声を聞き、俺たちは向かい合う。

 俺が彼女の左手に、彼女が俺の左手に、女神から受け取った指輪をはめる。

 薬指にはまった指輪が、きらりと光る。


「おめでとうございます! これでお二人は夫婦です!」

「「夫婦……」」


 実感としてある。

 お互いの心が、通じ合ったことがわかる。


「えっと、これからよろしくな」

「うん! こちらこそ」


 なんだか歯痒い。

 二十数年生きて、前世では結婚どころか恋人も諦めていた俺が、異世界に訪れて僅か二週間で奥さんを貰うなんて。

 しかも、可愛くて、素直で、笑顔が素敵な人を。

 幸せ過ぎて死んでしまいそうだ。

 最高の気分……。


「やりましたね! これでちゃっちゃとヤッて童貞卒業! ノルマクリアですよ!」

 

 が、一瞬にしてぶち壊される。

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