サソリくん、Kを救う

@famisaku

サソリくん、Kを救う

 大学二回生の神田がいつものアパートで平日の朝目覚めると、ベッドの横には巨大なサソリがいきなり居座っていた。ここでいうサソリは何かの代名詞とかサソリという名前の人物といったわけではない、我々がよく知る八本足の節足動物だ。

 「おはようございます神田さん、急に押しかけてしまってすみません。ピンポンを鳴らすには状況がひっ迫しておりましてこのような形になりました。」

 巨大な虫が目の前にいるだけでも結構グロテスクな光景なのに追加して言葉をしゃべると人間の体は酷くすくみあがって金縛りのようになってしまうものだと思うが、その物腰柔らかな言葉と抑揚にはある程度の落ち着きと知性が感じられたためか神田は起床時の冷静さを保っていた、愚鈍さともいう。

 「おはようございます。なにか御用でしょうか?」

 「そうです。私はあなたに折り入った用事がありきたのです。」

 「……しばしお待ちください……質問よろしいでしょうか?」

 「構いませんよ。なんでも聞いてください。聞かれて困ることなど私にはありません。」

 「まずあなたのことをどうよべばいいでしょう?」

 「サソリくんとお呼びください」

 どこからどうみてもサソリの見た目をしているのに話していてあまりにも流暢な言葉をしゃべるので、これはTVかなにかのドッキリ企画なんじゃないかと考えだし、隠しカメラや言葉を発するためのスピーカーがあるんじゃないかとそこかしこに目を回した。

 「どういたしました?」

 「いや、何かあなた以外でここに持ち込まれているものがないかと、例えばカメラとか」

 「もしかして、ドッキリだとお思いですか?残念ながら正真正銘のサソリです。ほら、ジッパーなんてどこにもないでしょう。私は着ぐるみとかじゃないんですよ。あ、これなら信じてもらえるかな」

 そういってサソリくんは後ろにある大きなしっぽをぶんぶん揺らした。すごく恐ろしい光景である。が、それ以上に床が軋んで近くのスライド式ドアがガタガタと音を鳴らし始めたので、

 「け、結構です……あなたが本物のサソリだということはもう理解できました」

 と慌てて止めにかかった。もちろん彼を本物のサソリだと心の中で認めたわけではない、学生賃貸に住んでいるためお隣さんへの騒音はご法度なのだ。サソリくんの正体に見当がつかないので、なにかの幽霊やら超常現象やらの類なのだと思わざる負えなかった。ただ一つの心当たりをもって神田は再度話し出す。

 「そうしましたらあなたは……私の命を取りに来た死神ですか?他人の命を奪ってまで生き延びた私に対する取り立てをするためにここへ来たのでしょうか。」

 神田は小学生の時、川に落ちて溺れたことがあった。付近にいた男性が救助してくれたことで、一命は取り留めたがその代償であるかのように男性は命を落としてしまった。その後、男性の遺族にも自分の家族にも責められることはなかったが、そのことによって神田の自責の念はさらに強く、まるで呪いのように心に纏わりついていた。しかし、サソリくんは

 「あはは、そんなわけないじゃないですか。確かに私の姿は怖いかもしれませんが、そんなことでここに来ませんよ。」

 と場の雰囲気をガラリと変える。そして続ける。

 「さて、そろそろ本題に入ってもよろしいでしょうか?お茶と座布団はあらかじめ用意してあります、パジャマのままでいいのでできればベッドから起き上がって話を聞いていただけると嬉しいのですが……」

 神田はハッとした。今まで自分が半寝の姿勢でこの巨大サソリと話していたことを忘れていたのだ。

 「もちろんです。」

 ゆっくりベッドから起きて、この怪異と談義を交わすことを決意した。

 「それで、用事とは具体的にどのようなことでしょうか?」

 その問に対して、先ほどまで陽気に見えたさそりくんは口調を変えて話し始めた。

 「用事とはこの町、K市を災害から救っていただきたいのです。」

 「ええと、さそりさん。」

 「さそりくん。」

 さそりくんは差し込むように、または訂正するかのようにそのセリフをいれた。

 「さそりくん、その災害とはなんですか?」

 「簡単にいうと地震です。この町は数年前、大規模な地震の被害に見舞われていたのを神田さんも覚えているでしょう、今回もその規模と同等のものと見て間違いないありません。震源地はあなたの通っている大学、地震が起きる時間は早朝の6時。近くにはここのように学生アパートなどの住宅街が数多くあるので被害は相当なものになるでしょう。」

 「それはもう確定している情報なのですか?自然災害がそんなスケジュールのように発生するとは思えませんが。」

 「自然災害なら、あるいはそうかもしれませんが今回の地震はいたちくんによって作為的に起こされます。そのため地震と今回のものとは決定的に違うのです。わたしもカッパくんから聞いたときは耳を疑いましたが、他の虫たちの噂によって確信へとかわりました。まさかあのらっこくんと手を組んでいるとは」

 いちどに多くの名前が出て来たので、神田の頭は混乱し始める。

 「い……いたち?かっぱ?」

 「関係のないことを言いすぎましたね。まとめるといたちくんと戦って、これから引き起こる地震を食い止めてほしいのです。」

 簡単にまとめられても神田にはやはりわけがわからなかった。

 「またいくつか質問よろしいです?」

 「どうぞ。」

 「まず、いたちくんとはなんなのでしょうか。」

 「いたちくんはおよそ三百メートルの巨大ないたちです。わたしが全サソリの代表であるように、彼もまたいたちの中核を担っています。スマホやらパソコンやらでいたちと検索してその姿を確かめれば、彼のおおよその全貌を類推できます。」

 さそりくんはこうみえて全サソリを代表しているらしい。

 「そのいたちさんはどうして地震を起こすのでしょう。」

 「正確にはわかりませんが、考えること自体不可能じゃありません。彼はいつも地下にいて、天井から来る震えや響きを一身に受けてきました。それは十数年にも及び長らく蓄積し、いずれなんらかの化学反応によって怒りへと変貌したのです。兆候は二年前に表れ始めていたのを私も確かに感じ取っています。おまけに追加の外部的要因によって今、感情は行動へと起ころうとしている所でしょう。ここらで一度地震を起こせば、すべてをやりなおせると彼は今思っているはずです。彼のもつ巨体で思いっきり地下から地面をゆらせば、地盤はこんにゃくのように揺れ自身が発生するのです。」

 「そんな大きなものと私が戦うんですか?どうやって?」

 「言い忘れていましたが正確に言うと私と協力して地下に行き、いたちくんと戦っていただきたい。実際にいたちくんと戦うのは私が引き受けます。その間あなたには私の親友として、勇気の言葉をかけてほしいのです。」

 「勇気の言葉?」

 「そうです。がんばれさそりくん、大丈夫だ、必ず勝てる、と言ってほしいのです。それなしで私がいたちくんに勝てる確率というのは、小学生がマラソン選手とハンディキャップなしの状態で長距離走を競って勝つくらいのものでしょう。」

 「なぜ、そこまで勇気の言葉が必要なのですか?」

 「いたちくんと実際に戦うとなった時、彼が放つ呪いの言葉は強力で、あたりを全て真っ暗にしてしまいます。暗闇は彼の得意なフィールドであり、ただでさえ暗い地下がもっと暗くなってしまったらそれは私たちにとって勝ち目のないものです。そこで私以外の方が対抗して勇気の言葉を放つことであたりを照らし、いたちくんのパフォーマンスを著しく下げることができるのです。これは私自身で言っても意味がなく、必ず他の方に言ってもらわなければなりません。」

 自分の質問に対するサソリくんの間髪入れないレスポンスはまるで想定済みの質問に対して得意げに答える受験生のようで少し気味が悪かったが、不思議と彼の意味の変わらないような解答を神田はしっかりと聞いて、その大まかなところを理解し始めた。地震が起こる原因と動機、しかし神田にはまだ、しっくりこないポイントがあった。

 「そしたら、私以外にも何千人もの同じ場所に通う大学生が他にもたくさんいるのになぜ私でなければならないのでしょう。」

 神田の通う大学は東京から離れた田舎に位置していたが、それでもこの件に対して自分より適任かつ優秀と言われている人間の一人や二人を神田は思いうかべずにはいられないのだ。それを差し置いても、神田自身学業やそれ以外の成績だって飛びぬけているわけでもないし、むしろ平均以下である。

 「神田さん、そこが最重要点なのです。あなたは確か、大学の学園祭実行委員会の企画長でしたよね?」

 「はい、たしかにそうですが……」

 「地震が起こる日というのは、その学園祭の開催初日、つまり明後日なのです。私やいたちくんのように、あなたも代表として仕事をしてきました。周りの方はそれを当たり前だというように不当な評価で振る舞いますが、私はそう思いません。やりたくない地味な作業もたくさんあったはずなのに、あなたは文句ひとつ言わずここまで成し遂げてきました。あなた以上に信頼できる人間が他にいますか?」

 こんなに肯定されたのは神田には久しぶりであったので、

 「そこまで褒めてくれるのなら、わかりました。手伝いましょう。」

 あっさりと引き受ける言葉を放ってしまった。その言葉を放った瞬間サソリくんは急にしぼんだかのように平べったく、そして板のようにうすくなった。

 「ご回答ありがとうございます。これから授業もあるでしょうし、わたしは一旦失礼しましょう。後日にでも詳細な作戦をお話しましょう、それでは。」

 最終的にペラペラになったサソリ君はドアからするっと抜けて一目散に消えてしまった。サソリくんの尻尾がドアを抜ける瞬間だったか、神田はもう一度目を覚ました。いつもより明るい外の風景に違和感がして時計を見ると受ける授業の十分前、八時五十分であった。チャリを持たず、大学まで十五分かけて徒歩で通学している神田にとってはギリギリアウトに近い時間である。服を着替えて、授業の準備を慌てて済ませる。テーブルの上にお茶があるのを目の端で確認しながらも、バタつきながら玄関で靴を履き、学校へと走るのだった。

 講義には当然遅れ、神田は息を切らしながら大学へとたどり着き講義をしている教室の後ろ側に座った。そしてリュックからノートパソコンを取り出し机に置いて開くが電源はつけず、ポケットをまさぐり始める。これだけ読むとまるで神田が講義に対してあまり積極的ではない学生に思えるだろう。実際今日に関してはその理由も少しありはするが、大学の友人の近くに座っておきたいという感情の方が比重は高かった。教授のあまりに小さい声の講義は、大抵の学生に睡眠術を仕掛けおよそ九十分、タイムスリップさせるのだが今の神田には効かない。今朝のことの真偽を考えているだけで精一杯だったからだ。加えると、彼が友人の席の近くに座ったのはそのことについて友人と話すべきだと考え、講義の終わり次第聞きたいことがあったのもある。さて、明智小五郎よろしく推理の時間だ。唯一サソリくんの実在を証明するものは机に用意されていたお茶と座布団くらいのものだが、よく思い出すと昨日の夕食の時に神田自身の容易したものであった曖昧な記憶が残っている。あとはアパートの隣人にきいて朝騒音がありませんでしたかと尋ねることも有効ではあるが、知らない人間に話しかける力を神田は持ち合わせていなかったし、寝相が悪い住人が足をどんどん壁にぶつけたり寝るのがたまに遅い住人が音のなる扉を深夜頻繁に開け閉めしたりした可能性も考えられる。ここでいう寝相が悪い住人と寝るのがたまに遅い住人はどちらも神田のことだ。アパートの管理会社から来た管理会社の騒音通知書類を見てからは直すように意識しているものの、まだ完全に治っているとは考えられないのだ。そんな調子で十数分考えたが、お世辞にも推理能力があるとは言えない神田は頭が混乱し始めたので、事実整理のためにメモ帳を開いて書き出す。気が付くといつも寝ているはずの友人はいつのまにかばっちり目を覚ましていて大学推奨パソコンでSNSサーフィンをしながらいちらちらと覗き込んできた。どうやら珍しい光景らしく、メモ中に聞こえて来た全く興味のない教授の声はいつもと比べて張り切っているようにも聞こえた。神田にとってはうれしい勘違いである。今回は地震を阻止するためという大義名分があるので、なにも罪悪感はないまま時間がすぎ教授の宣言と共に一斉に動き出す学生たちの音で講義の終わりを知ることになった。メモから導き出された推理の結論としては、情報が少なすぎてわからない。である。

 「おはよう、今日は遅かったな。」

 友人も失っていた生気を取り戻したように広角を上げ、笑顔で喋り出す。

 「逆に君は早かったな。バイトなかったの?」

 と返す神田。会話は続く。

 「最近欠席遅刻ばっかで単位をちゃんととれるか心配になってきたから、前の日のシフト外してもらうようにしたんだ。おかげでどうだ、朝からピンピンしてるだろ。」

 「そういって講義中ぐっすり寝てたじゃん。」

 「ばれてたか……言うても聞きにくいしさ、課題もないからよくね?」

 「うーむ……確かにこの単位選択であんま将来使わなそうなんだよなあ……」

 「でさ、今日は学食食べる?」

 「今日は食べよかな」

 「じゃあ俺もそうするわ、そういえばメモしてたあれってなに?」

 「ちょうどそのことで話したいことがあったんだよ。明るい話じゃないけどいいかな。」

 「もちろん。今日はシフトもないしここから暇なんでね。ちなみに何の話なの?」

 「地震の話。」

 言った瞬間、友人は真剣な面持ちになる。

 「もしかして家でなにかあった?」

 「いや、そうじゃないんだ。君の体験談を聞きたい。」

 「まあ……いいけどさ、経緯というかなんでその話を聞きたい?」

 「昨日の夢の話でさ……」

 教室での荷物整理を終え、食堂のある棟まで移動して食券機の結構長い列に並び定食を受け取って席に着くまでに、神田は友人に今朝のことをざっくりと話した。友人はうなずきながら、重い話になることがわかっているからか学生に使われづらい奥の方の席で座る。授業の出席率の低さや単位取得数の少なさから大雑把な性格に見える友人だが、バイト経験からか気遣いの上手さはとても丁寧で見習うべきだと、神田は思わずにはいられない。

 「まるで胡蝶の夢だな。」

 「なにそれ?」

 「自分の見ている光景に夢と現実の区別がつかないことをいうんだ。とにかく明後日、地震を食い止めてくるんだな。」

 「一応はそういうことらしいんだけどさ……」

 「なんかの比喩な可能性もあるけどね、自分が追い込まれていると変な夢見るっていうだろ?神田は学園祭も近いから特に……」

 「過ぎれば一瞬だからね、どうってことないさ。」

 「来週打ち上げあるんだろ?せっかくのお楽しみ潰れちゃ悲しいよなあ……」

 「そこで不躾だけどあの地震の話がききたいんだ。確か君、この町出身で実家暮らしだろ?」

 「そうだけど、あれ神田って出身どこだっけ?」

 「山口の方でさ、あそこは地震が少ないから当事者の話を聞ける相手は君しかいないんだ。」

 「なるほどな。でもそれ聞いてどうするんだ?だって地震を食い止めるのOKしちゃったんでしょ?」

 「話の内容によってサソリくんの頼みを断ったりしないよ。でも実際にやるんだとしたら、私には臨場感が必要だとおもうんだ。じゃなかったら、もうすぐ成人する身として責任を持った仕事ができないと思う。」

 「そういえば神田バイトやったことないんだよなあ……まあいいや。理由は分かった。相手が俺だからよかったけど、こういうのはあまり好かれる話題じゃないからくれぐれも他の人に同じことを聞くのは控えると、約束できるか?」

 「できるよ。嫌なこと聞いちゃってごめん。」

「いいんだ。この町で生きてきた以上、避けられないことだと思うし。それに毎回課題も教えてもらってばっかりだから少しでも神田の役に立てるのはうれしい。ああ、あと分かってるとは思うけどこの先は重い話になる。それでもいいか?」

 「もちろん。」

 「そうだなあ……」

 少し回想する時間をおいてから、あの時の出来事を語り出した。

 「当時、俺たちは小学校を終えた帰りでちょうどその日習い事があったから親に車で送ってもらおうと自宅の玄関を出たんだ。すると唐突にあれが来た。俺は倒れないように、近くにいた親とがっしり抱き合ったんだけどそれでも倒れてしまったよ。すぐさま家の中を確認した。ものが散乱して数枚皿は割れたけど、停電や建物の倒壊がなかったのは救いだった。大人たちが慌てているのを見てことの大きさが伝わったよ。当然その日の習い事はなくなって、学校の様子を確かめるべく車で向かうことになったんだ。移動中には割れた道路だったりレンガが崩れて酷い形になってる家もあったりした。学校自体は崩れたりとかなかったんだけど、校庭に座って待機してる沢山の生徒には運動会とは違う恐怖の空気感があった。俺たちはこれからどうなってしまうんだろうとね。そのあとはまた家に帰って祖父母の家に連絡し、大事がないのを確認してここで親はようやくほっとしていたよ。海も近くなかったし本当に俺は幸いだったんだと思う。TVで流れている津波の映像は衝撃的でもうわけがわからなかった。それから大変だったのは水関係だな、断水で水を調達するのに親は必至で動いてたし、お風呂に入るのもなかなかできなかった。三か月すぎてからようやく学校にも通えるようになったっけな……うん、やはり思い出すと考えることが一つあるんだ。」

「考えること?」

「今俺が、そして俺の家族が生きているのは人生で数回しか使えない奇跡を使ってしまったようなもので、これから俺たちはいつどうやって死んだって文句は言えないんじゃないかってな。しかしそれは死に場所を探しているわけでも、生きるのを諦めているわけじゃない。やっぱりできるだけ長い寿命をまっとうしたいんだよ。なあ神田、もし恐ろしいことの予知ができてそれを事前に食い止められるなんてこれ以上の良いことはないんだ。仮にも本当に地震が起こるんだったら、お前が頑張ってくれて救われる人間もいるさ。だれに褒められるかもわからない、地味なことかもしれないけどさ。どう?モチベーションは上がった?」

 友人は途中から涙目になっていた。その熱意と必死さに、神田は感動を禁じえなかった。

 「うん、やはり君に話してもらってよかったよ。話してくれてありがとう。」

 「よかった。次の授業も近いしそろそろいこうか。」

 席を立ち、二人はこのまま次の講義がある教室へとむかった。周りを見ると明らかにほとんどの学生が移動していて、結果遅刻扱いになったが、あの話の対価としてはかなり安いものだった。 

 その後の一日というのは、特に変わったこともなく。あっという間に過ぎていった。授業を受け、スマホとメモ帳で明日の用事を確認して肌寒い帰り道を通ってアパートへ到着する。テーブルの上には「今日はこれそうにありません。明日の夜お尋ねします。」との書置きがあり、おそらく差出人であるサソリくんも現れず、風呂でゆっくりしたらゲームをして眠りについた。次の日になり、神田は朝早く起きて体調ばっちりで大学へ向かう。学園祭の前日なので、講義はないがその代わりに学園祭の準備を必要がある。本館前まで歩いていくと、先に待っている学生の姿があった。

「おお企画長、来てくれてありがとうございます。」

 そういうのは学園祭実行委員副会長の蛭間だ。

「神田と呼んでくれよ。にしても蛭間くん朝つよいんだね。」

「いやいや普通ですよ。それに神田先輩、明日はこの時間にはもうここにいないとマズいでしょう?」

 時計をみるともう八時半だった。事前確認のミーティングのことも考えると、蛭間のいうことは妥当である。

「たしかにそうだなあ……」

「もし明日寝坊する人がいたら、僕が起こしにいってあげますよ」

「それは助かるな。」

「じゃあ、さっそく準備をはじめますか。僕一人じゃできないような仕事もあるので、よければ一緒にきていただけますか?」

「ああ、行く行く。蛭間君は行動力の化身だね。」

「企画長の神田先輩が何言ってるんですか。僕が化身なら、あなたは行動力の飼い主ですよ。」

 そう言いながら蛭間はこちらに背を向け倉庫へとすたすた歩いていく。

「本当にそうかな……」

 作業をするとなった場合、大抵の人間はなかなかとっかかりに時間がかかりだらだらと時間を過ごすものだが蛭間は違った。一年生にして組織の会長に立候補し、結果副会長でも選ばれる人間というのはやはりそれなりの理由があるのだ。誰も立候補せずしぶしぶ企画長を引き受けた神田は蛭間と話していると毎度凄い後ろめたさを感じるのだった。

 作業を終えたのは十八時。空はもう真っ暗になっていたが、それでも去年と比べると二時間くらい早い作業の終わりだった。実行委員会が今年になって爆増したわけでもないので、ここは途中から指揮役に回った蛭間の力だと神田は革新していた。

「じゃあこれで解散ですね。皆さんくれぐれも明日遅れないでくださいね。」

 終了の合図と一緒に疲れたという声が聞こえる。やはり普通の委員は少しでも弱音を上げるのだ。

「神田先輩もおつかれ様です。また明日。」

「うん。それじゃあまた。」

 明日が本番なだけあって寄り道もせず昨日と同じようにアパートへとまっすぐ向かう神田だったが、アパートへたどり着く前、自販機の明かり以外はまっくらな道に、小さくてながひょろい何かが落ちているのを見つけた。まるでホコリ取りである。大半の学生と同じように、スマホをいじりながら素通りをしようとしたのだが、ちょうど神田がその横をとおりすぎようとした時驚くようなセリフが聞こえた。

「オマエが、カンダだな?」

 びっくりして声の方向へ振り向くと、ホコリ取りのようにみえた何かに顔がついていることを判明する。よく見ると目の下や口元あたりに傷がついていて、なにかの戦闘があったあとのようである。それに見返してみてもホコリ取りと見間違えてもおかしくないくらい体が汚れていた。

「そうですけど……あなたは、さそりくんの仲間ですか?」

「一応そこらへんと同じようなもんだが、勘違いするんじゃねえぞ。オレはいたちだ。」

「あっ……!」

 一昨日のさそりくんとの会話が突然フラッシュバックする。

「あなたが明日、地震を起こされる……」

「オマエが想像してるのはいたちくんだろ?その一部とでも思ってくれ。サソリくんは厄介だったが、こうやって邪魔しにこれたのはよかったぜ。」

「もしかして、僕を食べるのですか?」

 神田はすでに怯え始めていた。こんな暗い場所、人や車の通りも少ないし助けを求めることもできやしない。アパートだってあと三分くらいあるし、助けを求めようにも逃げた瞬間鋭い牙で体を損傷するかもしれない。

 そんなことを想像しているうちに、チョコンとしているいたちくんがみるみる大きく見えてくる。もうホコリ取りと見間違えることもない。今のいたちは大型犬くらいある四足獣だ。

「くくっ。違う違う。お前に協力してもらいに来たんだ。」

 そのにやけ顔は口裂け女も裸足で逃げ出すほど不吉であり、神田は依然として警戒態勢を崩せなかった。

「協力?何をすればいいんです?」

「簡単さ。さそりくんを裏切ってゆっくりと朝目覚めるんだ。ヤツ一人だったら、俺にもしもの敗因はない。第一にカンダ、おまえがサソリくんの要望を取り下げられない理由などないだろう?」

「いやでも、地震なんて嫌ですよ。」

「それってもしかしたらオマエの友人さんの感想なんじゃないか?なあ、大学が壊れればお前を取り巻くしがらみは結構軽くなるぜ。別に地震が起こったとして、それは誰かのせいってことにはならねえよ。俺だってそうだ、いつくるかわからないまるで波のようなものだと思ってもらって構わない。」

「そ……そんなにいうなら今私をここで食べてしまえばいいじゃないですか……」

「馬鹿な挑発だな。自分の足元を見てみろよ。」

 そう言われて神田は視線を下に向ける。今日は大して寒くもないのに、足は小刻みに、とめどなく震えている。

「あとオマエをどうこうする力は俺にはない、オレはいたちくんじゃないからな。」

「え……さっき確かにいたちくんの一部だって。」

「正確にいうとそうじゃない。オレはただのいたちさ。地下にいるいたちくんと意識を共有しているんだ。彼は地震の準備中さ。ほんとは昨日ここに来るつもりだったんだがな。さそりくんと御前試合をすることになっちまって、もう体もボロボロだ。お前を襲う力もない。ほら……この手を見てみろよ。」

 いたちは体に隠れていた前足をみせた。爪が折れてちょっと血もついている。

「うーん……わかりました。そしたらあなたは本当に、私に危害を加えることもなくそそのかしにきたと。」

「そうだ。なあカンダ、いつも見たくさらっとOKしてくれよ。そもそもオマエごときが関与できる問題じゃなかったんだ。今のオレより不格好で酷いなりのオマエに第一なにができるっていうんだ?」

「たしかに……何もできない。」

「そうだろ。じゃあ……大丈夫だよな?」

 少しの間沈黙しながら神田は脳裏に様々なことを思い浮かべた……この町でのかつての出来事、昨日涙目になりながら語った友人の顔、さそりくんの真剣な表情。しかし目の前の圧倒的な恐怖に……神田が出した答えは

「考えさせてください……」

 しっかりと決断できなかった自分に、神田は一種のいらだちさえ覚えた。その返しを耳にして、いたちはあざ笑いながら全身を煙にまいていく。

「くっはっは!そんなやつが本当にさそりくんの力になるのかね!結果は明日が証明してくれるさ。またなカンダ!もう会うこともないかもしれんがな!」

 戦う前から負けた。そんな気分でアパートまで辿りつくと、神田はつま先から崩れ落ちて思いっきり涙を流した。決して調子にのっていたわけではないが、覚悟が圧倒的に足りなかったんだと体感したのだ。次から次へとめまぐるしいことがおとずれ、さらには散々してやられたところに、約束のインターホンがなり響く。

「こんばんは神田さん。少し遅くなりました。」

  せっかく来たお客を外でほったらかしにしておくわけにもいかず、ティッシュも切らしてしまったので袖で鼻と目を思いっきりこすってから、さそりくんを部屋の中に招きいれることとなった。

「お待たせいたしました。中へどうぞ。」

「うわ、大丈夫ですか神田さん。なにかあったようですね。」

 そういうサソリくんも、いたるところに浅い傷跡があった。玄関の段差を上がる時にも一苦労なように見えたので、だんだんと神田の側も別の意味で心配になってきた。

「まず、計画のことを話す前に神田さんは何があったんですか?」

「さきほどいたちに逢いました。」

「それは私の不手際ですね……とするといろいろ言われたでしょう。」

「サソリさん」

「サソリくん」

 サソリくんの訂正にかまうことなく神田は続ける。

「やはり私にはいたちくんのところへ行くのは無理です。」

「そうですかね。あなた以上の適任はいないと思いますが。」

「だって考えてみてくださいよ。こんな背も低いし、まだ若いのにこんなにおなかも出ていて頭も少し禿げている。学業だって平均以下。大きな意志もないからふりまわされやすい、空いた時間をゲームばかりに費やす。口下手に加えて運動音痴で勘が悪くて、親以外だれにも、なんなら親にすら都合が悪いとそっけない態度をとられます。目も乱視がひどくて目も当てられません。バイトなどの社会貢献もしていませんし、ただ飯を食べてねるだけの無価値で臆病な人間です。こんななんのために生きているのかもわからない人間がどうやって手伝うっていうんですか?」

「神田さん。」

 サソリくんは落ち着いた声色で話す。

「神田さん、あなたのような方と一緒でないと私はK市を救えないと思いますし、私はあなたのような方のためにいたちくんと戦おうとおもうのです。私もこうやって強がってはいますが実のところ少し怖いです。勝てるかわからず、勝っても体のどこかを失うかもしれない。でも今回ばかりは私が、私と神田さんが成し遂げなければならないように思うのです。神田さん……再度確認したいのですが、私と地下に行き、いたちくんと戦ってくれますか?」

 「……はっきり言うと不安は残っているし、いたちに植え付けられた恐怖だっておそらく明日思い出すことになると思います。でも私は、ここから逃げてはいけないんじゃないかと思う気持ちが強くなってきました。」

「その通りです。これは決して避けられない、プライドのための闘いです。誰も助けてくれない。認めてもくれない。上手く事がはこんでも地下での出来事なんて何も残らない。何しろ監視カメラすらついてない、自分たちの辿り着くことのない出来事ですからね。でも私たちはいたちくんと戦うしかないのです。」

 そういうとサソリくんは明日の計画について話してくれた。明日の朝五時半、部室が集まってる等の〇〇部の部屋(この部屋の鍵だけはいつも開いているのですぐ分かるらしい)から大学入口の鍵を入手し、大学の一番大きい建物に侵入して一番右のエレベーターでサソリくんと合流してから乗る。このエレベーターのみ暗号を入力すると地下までいけるようになるので、それを使って。いたちくんが居座っているへと移動する。到着しだい、彼と戦うことになるという。

「そこからは……あまり予定をたてることではないでしょうね」

「もし、私が当日になっていたちの恐怖に耐えきれず約束を破ってしまった場合どうなりますか?」

「そしたら私一人で戦うことになります……結果は見えてますが、使命は譲れません。それに明日神田さんはかならず来てくれます。私にはなぜか分かるんです。」

 あと少ししか時間はありませんがしっかり寝て、元気な状態でお会いしましょう。そういうとサソリくんは林檎をおいてから、地面をバグのようにすり抜けてどこかへ帰っていった。時刻は二十三時。神田はリュックに懐中電灯を入れて、心臓がバクバクしてなかなか寝付けなかったのであの手この手を使って何とか次の日になる前には就寝するのだった。

 

 「……田せ……神田先輩。」

 はっと目をさますと。ベッドの横には蛭間がいた。わけがわからなかったので目覚まし時計を確認すると、九時二十三分になっていた。

「おはようございます。やっと起きましたか。さあ、支度してください。大学へ向かいますよ。」

「おはよう……ええと……地震ってどうなった?」

「地震ってなんのことですか?というかどこの地震ですか?」

「ここの……K市の地震なんだけど。」

「ん?そんなの起こってませんよ。変な夢でも見たんですか?ほらさっさと着替えましょう。みんな待ってますよ?」

「あ、うん……」

 部屋着から外着に着替えて、リュックを背負って蛭間と大学へ向かう。

「まさか神田先輩が寝坊するなんて」

「ほかの人は大丈夫だった?」

「大丈夫でしたよ。まあ当然っちゃ当然ですけどね。誰かは遅刻するのは分かっていましたがそれが神田さんとは、よみが外れました。」

「ごめんね、わざわざ来てくれてありがとう。」

「ああ、神田先輩。そういえばさっき神田先輩を起こしに言った時、あなたは『サソリくん』と何度も叫んでうなされていました……サソリくんというのは……友人のニックネームですか?」

「その人は、僕の親友なんだ……」

「へえ。大切な、親友なのですね。」

「うん。」

 道中の景色は普段通りだ。この三日間の出来事が夢だったのか。それともサソリくんが一人でいたちくんを倒したのか、いずれにしてもK市はなんの災害もなく、文化祭は平和に過ぎていった。

 その日の夜アパートに帰るとすでに部屋の明かりが付いていて、サソリくんはしっぽも地面につけ、地面にぐったりと座り込んでいた。どうやら相当つかれている。

「さそりくん。」

 と声をかけるとサソリくんはゆっくり体をおこした。体は昨日の比じゃないほどに壊れていて、もう見てられないほどである。

 神田は会話を試みる。

 「本当は今朝、サソリくんの立てた計画と同じように共に地下にいくつもりだったんだ。こんな不注意で約束を破る形になってしまった。」

「ええ。約束は破られていません。神田さんの応援を聞きながら私はいたちくんと戦い、そこで勝つと同時に負けました。」

「私があなたを応援した?」

「そうですよ、深い夢の中であなたは私を助けてくれたんです。」

「うーん……記憶がない。」

「覚えてなくていいのです。実体のない、恐ろしい話ですから。」

「では、いたちくんとの闘いはどうなったのですか?」

「お話しましょう……全ては妄想と、想像力の中で起こりました…」

 一呼吸おいてから、サソリくんは語った。

「まず神田さんが勇気の言葉をかけながら懐中電灯を持って明かりを照らしました。隙をついて私はすかさずいたちくんに針を突き刺して、ズタズタに引き裂きましたが、しかし相手があいてです。反撃もそこそこありました。やっぱフィールドを変えた神田さんが先に狙われましたね。いたちくんは闇を駆使して襲い掛かります。でもあなたはあきらめず、スマホをつかったり、手回し発電機を取り出したりしてずっと光で照らしてくれた。そして……」

 サソリくんは言いよどんでいながらも続けた。

「そして、戦いは混濁としていきます。既存の概念とはどんどんかけ離れていき……」

「いたちくんを倒したのですね。」

「いいえ神田さん、私はいたちくんの起こす地震は食い止められましたが、体は破壊され、その果てとしていたち君をやっつけることはできませんでした。ここから先長くはないでしょう。気力も少なくなってきました。最後に、よろしいですか?」

「ええ……構いませんよ。」

「今回あなたと一緒にいた私ですが、かつて小さかったころは何の意味もなくただ生きるために小さな虫たちを殺し、それを食べて生きていました。しかしある時、捕食者のいたちに食べられるのが怖くて逃げていたら井戸に落っこちて出られなくなり、おぼれそうになってしまいます。私はその時初めて、自分の生きていた意味が分かりました。ああ、この体はいたちでもなんでも幸せにするために生まれて来たんだと。神田さん、あなたは昨日、ご自身の生きる意味もわからないとおっしゃっていましたね。それは明日見つかるかも、はたまた死ぬ直前まで見つからないかもわかりません。でもね、きっと神田さんが最終的に見つけた生きる意味は明るくて素晴らしいものだと思いますよ。私が言うんです、間違いありません。」

 そういった後、サソリくんの体は林檎のように赤く光りだした。

「ああ……ここで私はお別れのようです。最後に神田さんから伝えたいことはありませんか。」

「お元気で、サソリくん。」

「ええ。お元気で。」

 赤い光が消えた時、サソリくんは部屋から消えていた。

 その日の夜はかなりぐっすりねむれた。ここ数日のあらゆることが嘘かのように時間がすぎていく。

 学園祭後の平日。学校が始まると神田は周りのいろんな人にこんなことをきかれた。

「顔色がよくなったね。最近なにかいいことあった?」

 それに対して、神田はいつもこう答える。

「大したことじゃないんだけどね。長くて良い夢を、みていたんだ。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

サソリくん、Kを救う @famisaku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る