二〇二二*〇九〇七

長い時間、ワイドショーがひとつのニュースを伝えている。午前中から原稿を書き続けている夏未は、ゲストコメンテーターの憤りに手を止め、パソコンの画面をニュースサイトに切り替えた。

通園バスに置き去りにされた園児が熱中症で死亡した事件――メディアの報道記事に読者のコメントが張り付いて、施設の責任者を糾弾している。夏未は、社会に向き合う物書きの一人として、ため息をついた。コロナ禍前も現在(いま)も、胸を痛める事件や事故が後を絶たない。

本州を避けて北上した熱帯低気圧は、東京に台風一過の青空をつくらず、雲の多い一日になっている。それでも、気温は三〇度に達した。

最近、筆の進みが早くなった――夏未はそう実感している。今年の春に、印税率五%の契約で制作したビジネス書が、大型書店の売れ行きランキングに長居し、版を重ねるヒットとなった。フリーランスのライター業を始めて十八年。暮らしに困らない程度の収入は得てきたが、出版社からのボーナスめいた入金は、経済的な余裕だけでなく、これから先も「ペンで生きる」という自信を生んだ。雑誌やネットメディアへの寄稿、編集兼執筆担当としての書籍づくり……十六型の液晶画面をホームグラウンドにして、十五ミリ四方のパソコンキーで言葉を紡いでいく。

マンションのリビングルームは南西の採光が良く、独り暮らしに変わった夏未に、二巡り分の四季をもたらした。母のいない空間にようやく慣れ、一緒にいた時間を思い出すことが少しずつ減ってきている。

仕事をしながら続けた介護に悔いはない。でも、時間にもっと余裕があったら――やりどころのない虚しさが夏未にぶり返すこともある。フリーランス稼業は、ある程度の時間の融通は利くものの、気を抜けば、生計が立たなくなって、長い休みなど考えられない。橘丈一(たちなばじょういち)の一年前の葬儀にしても、原稿執筆が佳境だったら足を向けなかっただろう。コロナを理由に列席を断ることもできたが、スケジュールに多少の余裕ができたことで、焼香をあげて、別れを告げた。はたして、それが良かったのか、悪かったのか。

「たら」「れば」に囚われる夏未を、携帯電話の着信が揺り起こした。

南原華

登録しておいた名前が、画面に初めて表示される。

「明後日の午後なら、電話に出られます」

一昨日、SNSでのやりとりで、夏未は華にそう告げていた。

(つづく)

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