ディナー

連喜

第1話

 俺にはマッチングアプリで知り合ったセフレが何人かいる。まだ独身だし、別に結婚詐欺をしているわけではないから、何の問題もない筈だ。相手にも結婚はしないと最初から伝えてもいる。


***


 とある金曜日の夜。俺はある女の家にいた。美人だけど、ちょっと変わった人だった。夕飯をごちそうしてくれると言うから行ってみたのだけど、マンションのフロアーに着いた時には、廊下に味噌鍋のような臭いが漂っていた。人によってとらえ方は違うだろうけど、外に漂って来る前に建物の発する臭いと混ざり合っているから、決して気持ちのいいものではない。 


 しかし、女の家の玄関を開けた瞬間、やっぱりこの家だったとわかった。

 俺のスーツに味噌鍋の臭いが沁み込んでいくようだった。

 あんなに臭いをさせて、ちょっと近所迷惑な気もしていた。


「こんばんは」

 

 女はフリルのついた赤いエプロンをしていた。化粧をしているのかどうかわからないけど、目がぎらぎらしていて、顔も浅黒くテカテカと光っていた。


「いい匂いがするね。準備しててくれたんだ」

「うん。三時間くらいかかった」

 

 ダイニングのテーブルに卓上コンロに味噌鍋が置かれていた。

「ちょっと寒くなってきたから、鍋はいいね」

 俺は鍋が好きじゃない。他人と同じ鍋に箸を入れたくない。キスは平気でするのに不思議なもんだ。


「先週、仕留めたイノシシなんだけど…」

 女はそう言いながら、赤身の肉を箸で取って、鍋に投入し始めた。

「え…。これ、どうやってさばいたの?」

「自分でやった」

「イノシシって自分でさばけんの?」女の趣味はハンティングだった。

「うん」女は得意そうだった。そのイノシシを一発で仕留めたという話をし始めた。鉛の弾を打ち込まれて土の上にドサッと倒れるイノシシを想像した。イノシシは凶暴で危険な生き物だとは思う。害獣と言ってもいいだろう。しかし…。


 女は俺の目を見て、にっこりと笑ったり、色気を振りまいている。こういうのは、スナックのママだったらいいんだろうか。この人が輝ける場所が思いつかない。


 年齢は四十歳くらい。スペイン人を思わせるような濃い顔立ちで、肉感的な美人だった。化粧しなくてもきれいだし、まるでハーフみたいだった。


「そういうのってどこで習ったの?」

「弟子入りしたんだ」

 

 猟友会に入って、そこにいるおじさんたちに教えてもらったらしい。年上のおじいさんたちなら、この人を受け入れてくれるだろうという気がした。


 女は普段は都内のマンション暮らしだが、田舎に別荘も持っていた。別荘近くに温泉もあるし、山にハンティングに出かけるから、週末は別荘にいることが多いそうだ。そんな人がなぜ都会暮らしのサラリーマンとマッチングしたのか謎だけど、とにかく訳のわからない女であったことは間違いない。


「俺、ジビエってあんまり食べたことないんだよね…」

 俺はジビエが苦手だったが、もともと優柔不断で断れない性格だ。人の趣味を否定するのも失礼だ。

「おいしいし、スタミナつくよ」

 女はにやにやしている。そうか。精力剤ってことか…。俺は恐縮してしまう。昔の人たちはイノシシを精力剤として用いていたようだ。嬉しいというより微妙だ。俺にはこの人を100%満足させる自信がない。

 俺は仕方なく猪肉を口に運んだ。味は豚肉みたいで普通においしいのだが、なかなか嚙み切れなかった。

「こういう味なんだ。意外とくせがないね」

「でしょ」


 女は嬉しそうだった。女は巨乳だから、胸がテーブルに乗っかっていた。俺は興奮するというより、お腹がいっぱいになってしまった。そいつは、ジム通いもしていて、メリハリのあるボディを保っているそうだ。自分はすごくいい女だと勘違いしているような人だ。


 しかし、喋っていると非常に疲れる女ではあった。何を聞いても全く頭に入って来ない。


 俺は箸がまったく進まなかった。


 女が全身血だらけになって、イノシシをさばいている姿を想像すると、空恐ろしいものがあった。何のためらいもなく、イノシシを鋸でガリガリ切っているというのは、ホラー映画並みに怖い。


「どんどん食べて。冷蔵庫にいっぱいあるから」

「一頭まるまる全部ひとりで食えんの?」

「ううん。おすそ分けしたりもしてるんだ」

「へえ」

「猟友会の人とか…近所の旅館とかに…」

「ふうん。冷蔵庫に入りきらないよね」

「でも、そんなに可食部ないんだよ。イノシシって」

 俺はイノシシを思い浮かべる。そうは思えないが。

「でもね。イノシシの睾丸って生で食べられるんだ」

 俺は黒い毛におおわれた睾丸を思い浮かべる。

「食った?」

「うん。ちょっとだけ。E型肝炎とか怖いしね」

「へえ…」

「スライスしてお醤油に浸して食べたらほんとおいしかった」

 そんなものをよく食えるなと思う。

「その時は猟友会のおじさんがさばいてくれて、食ってみろっていうから食べてみたら、ほんとトロっトロでおいしいんだ」

「おじさんと、変な雰囲気にならなかった?」

「ちょっと微妙だったかな」

 女は笑っていた。セクハラだと思うが、喜んでいるらしい。女として見られることで自己肯定感を満たされるのかもしれない。


 こんな人と付き合うのは無理だ。俺の顔は引きつる。俺もそのうち猟銃で撃たれてさばかれる気がする。この女ならやりかねない。




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