【#4】遠藤嘉基・渡辺実『着眼と考え方 現代文解釈の基礎』(筑摩書房)
■現代文はなぜ必要か
昔から現代文にはどこか"得体の知れない"イメージがあった。英語のように実学的でもなければ、日本史や世界史のようにロマンをかき立てるわけでもない。数学のように絶対的な解があるわけではなく、答えは"ひとそれぞれ"。にもかかわらず、模範解答に合わなければバツ。その捉えどころのないところに、「週4~5時間を割いて学ぶことなのか」と学生時代の私は訝しがりつつ、教師の説明に耳を傾けていた。もう10年以上前の話なので鮮明には覚えていないが……。
例えば、中島敦の『山月記』。自意識過剰ゆえに虎へと変貌した官吏(李徴)をモチーフに、人間存在の苦悩や悲しさを描いた一作だ。「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」と聞けばあらすじが思い浮かぶだろう。
現代文の授業では「虎になるに至った李徴の心境」を的確に読み取ることを要求されるが、これがなかなか難しい。「『虎に還らねばならぬ時』の李徴の心理を説明せよ」「『臆病な自尊心』『尊大な羞恥心』とは何か」等々。単に説明するだけならまだしも、「〇〇字以内」と文字数を指定してくるから厄介だ。
それよりも、読者の興味は「李徴はいかにして虎へと姿を変えたのか」に尽きるのではないか。少なくとも私自身はそうだった。俗っぽいテーマを扱っている作品ではないので、最後まで読み進めたところで明らかにはならないのだが。
ことほどさように、現代文は作品の主張・テーマを的確に読み取り、その答えを論理的に表現するという訓練の色合いが濃い。が、そもそも「読む」「書く」は日常的な行為だ。改めて人から教わるものではないのではないか、という指摘や批判が集中するのもうなずける。
■今、現代文を学ぶことの意義
ところが、実社会に出てみると現代文レベルの言語処理能力が求められる場面に往々にして遭遇する。例えば、商談。製品・サービスを導入してもらうには、一にも二にも顧客のニーズを緻密にくみ取らなければならない。
特に今は「売り切り」ではなく、製品・サービスを使うことで顧客の目標達成や成功を後押しする「カスタマーサクセス」の重要度が高い。顧客の課題や要望はもちろん、導入後の姿を想像する力は、日常レベルの「読み」だけで身につけることは難しいだろう。
「書く」ことも同様だ。顧客への提案書や社内向けの報告書など、自分の主張を論理的かつ明快に表現するには、日常レベルの「書く」作業では不十分だ。
特に今の時代はインターネットやSNSの発達によって、誰もが書き手となって情報発信できるようになった。周囲が書き手にあふれる中で異彩を放つには、より一歩踏み込んだライティングのスキルが求められる。一段高い言語処理能力を獲得する――これこそが現代文を学ぶことの効用なのだ。
本書の初版は1963年に中央図書出版社から刊行された。日本語研究の大家が著したこともあり、多くの受験生が手に取った本書も時代の流れで長らく絶版となっていたが、2021年10月にちくま学芸文庫で復刊。発売から1週間弱ですでに二刷を記録するなど重版出来のようだ。
税込1650円と決して安価ではない本書が多く読まれていることから、優れた「読み」「書き」のスキルを身につけたいというニーズがうかがえる。
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