第9話

 鎌で喉を掻ききられる、絞首刑に処される、火にかけられる、次々と凄惨な死の現場が映っては消えた。その血と負の感情に満ちた光景を見せられたメルショルはただ目を見開いて鏡に見入った。もう見たくない、そう思うのだが視線が縄でつながれているように吸い付けられるのだ。

「かの地は不作、さらには死の病に襲われておる。ゆえに切支丹への信仰が揺らいだ。これをいかがせんと切支丹の地位の高い者どもが智嚢(ちのう)を絞った結果、導き出されたのは『この世の悲惨な出来事は神のせいではない、悪魔(デモニオ)と手をむすび邪悪な力をもちいる者がいるためだ』と神の無力を余の者へなすりつけたのだ。そして、南蛮人どもは魔女狩り、邪悪な呪(まじな)い師を殺すことに駆り立てられておる。そして、無実の者が惨(むご)たらしく殺されておるのだ」

「そんなことが」

 あるはずがない、幻を見せているのだろう、とメルショルは閻魔の言葉を否定したかった。しかし浄玻璃の映し出す光景は真に迫っており“作った”ものとは到底思えない。受け入れざるを得ない気持ちが胸にわく。

 だが、閻魔が口にしたことに嘘偽りはない。特に西暦で一五七〇年代から一六三〇年代が魔女狩りが集中的に起こっており無実の人間が火刑にかけられるなどして地獄の門をくぐっている。そこには切支丹の説く、慈悲(カリタ)、仁愛(アツファビッタ)などみじんもなく、また恩寵(グラチア)によって罪無き者が救われるということもなかった。そもそも信仰でなにかがどうにかなるのなら、戦争や虐殺が起こるはずがない。むしろ、宗教は常に争いの種でありつづけてきた。

「人など一皮向けばそんなものよ。日の本の神仏を奉じようが、南蛮の神を崇めようが変わらぬ、いい加減得心がいったであろう?」

 打ちのめされるメルショルを閻魔はあざ笑う。

 正直、その場に崩れ落ちそうな心地がしていた。だが。だが、それでもひとつの思いのもとなんとか踏みとどまった。それは、

 閻魔の申しようが正しいのかもしれぬ。したが、乱世のなかでなんとか寄る辺となるものを欲して神に祈りを捧げる者の思いすら――目の前の地獄の王はあきらかに嘲っていた、それが許せない。

 ふいに閻魔の姿に自分たちを捨てて去った父の姿がかさなる。

「うぬの頼みなど引き受けてたまるか」

 メルショルは低い声だがはっきりと告げた。


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