第2話
その後のことは半狂乱となったせいで憶えていない。
ただ、なんとか正気をとりもどしてからは、宗門の禁を破って人の命を奪うようになっていた。あくまで、土地にいる宗門の者を守るためではあるが。矛盾しているが切支丹でありながら神の慈悲(カリタ)、奇跡を信じられなくなったためだ。
ひどく遠いものとして目に映る景色を前にメルショルはふいに気づいた。
この臭いは――かつて彼の“娘”の命を奪ったときに嗅いだものと同じ臭気を鼻孔にかすかに感じ取る。
風を巻いて動く。その場に伏せた彼の頭上を銃丸がかすめて過ぎた。
銃声では大まかな方角しか分からないが、この時世の鉄砲は硝煙の量が多い。視線を走らせるとすぐに放ち手の位置は見当がついた。海辺の雑木林の一角、そこに濛々(もうもう)と煙が見つかる。
とたん、脳髄が沸騰した。命を狙われたことへの怒りではない。あの日、娘が亡き者にされたときの記憶が目の前とかさなりまるでその場に立っているような心持ちとなったのだ。
兵法の足さばきを使いながら、右へ左へ不規則に動きながら放ち手のほうへ動く。
またたく間に半町の距離を詰めて雑木林へと踏み込んだ。放ち手は当然のこと遁走していたが、かすかな足跡などから逃げた方角に当たりをつけ勘を冴えさせたメルショルはすぐに相手を視界にとらえる。
肉薄、銀光一閃。二条の光芒が空中でぶつかったが、相手の太刀は地に捲(ま)き落とされた。姿勢を崩したところに逆袈裟の一撃が決まった。
とたん、二度目の銃声がひびく。おのれ、とメルショルは腹のうちで叫ぶものの声は出なかった。口内に満ちた血が言葉をさえぎったのだ。他方で頭の片隅の冷静な部分が状況を推測する。一方の放ち手が仕物にかけることを狙い、万一それが失敗に終わったときはその者が襲われるところをもうひとりが狙う、それが策戦だったのだ。
神よ、神よ、我を見捨てるのか(エロイ・エロイ・レマ・サバクタニ)――メルショルの脳裏に浮かんだのは聖書の一節だった。視界が急激に暗くなり、体から力が抜けることは分かっても既に自分が立っているのか倒れているのかすら判然としなくなりやがて意識は途絶えた。
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