鬼のカチューシャ

二晩占二

鬼のカチューシャ

 大正3年11月20日、千代ちよが死んだ。

 山頂に初雪の積もる、早朝のしらせだった。少しの間、頭に完全な空白が訪れた。それからのろのろと、そめは身支度を整えた。

 つのを隠し、肌色をり替える。

 そめは鬼の娘だった。

 そして、千代ちよは人の子だった。

 二人は友人だった。

 

千代ちよ、じゃ、ないねぇ……」

 警察官に化けたそめは、娘の死体を検分しながら思いつきをらした。顔がつぶされ、十指も切断された悲惨ひさんな死に様だったが、確信はあった。

「はぁ、なんやて、おまわりはん」

 そのつぶやきに、隣から親爺おやじが喰いつく。耳聡みみざとい古狸だ。千代ちよの実父であるその男の存在を忘れかけていたそめは、咳払いをひとつで声色を整えて、続けた。

「見てみい、この腕。この足。野良仕事なんか一度もしたことない箱入り娘の体や。貴方あんたんとこは百姓ひゃくしょうやろ。背格好はよう似とるけど別人やな、これは」

 めったに使わない関西弁、めったに使わない男口調。いく百年と生を重ねても演技には慣れない。加えて、このような野郎相手に自分をいつわらなければならない状況には、反吐へどがこみあげる思いだった。

「はあ。せやな。言われてみたら千代はこない綺麗きれいな腕しとらんな。もっと真っ黒で薄汚れてますわ。けどけったいやな、おまわりはん。あんた親のワシより千代のこと知っとるみたいやわ」

 誰が千代ちよを汚してきたと思っている。

 知らぬ顔で目を丸くする古狸から目をらし、そめは胸中でいきどおった。

 そらした視界に、何かが光る。

 死体の足元だった。

 華奢きゃしゃ髪飾かみかざりが一本、不自然に礼儀れいぎ正しく置かれていた。拾い上げてみる。血痕けっこんのひとつもつかず、白木がおだやかに陽光を反射していた。

「あっ、それは千代ちよのやつがかくし持っとった髪飾りやで。あの馬鹿、ワシに内緒ないしょ散財さんざいしおったんや」

 知っている。

 その髪飾りはそめから千代ちよに贈った物だった。千代の、唯一の宝物だった。

「カチューシャ……」

 千代が髪飾りをそのように呼んでいたことを、そめは思い出していた。

 

そめ、聞いてや。うちな、こないだ行商さんに教えてもろてん。町ではな、カチューシャ、いうのが流行はやっとんねんて」

 千代ちよはいつも、うきうきとそめに話しかけた。二本のつのするどい牙もむき出しで、真っ赤な皮膚ひふをした、鬼のそめに。実の姉妹しまいであるかのような口調だった。

「なんだい、それは」

「お芝居しばいや。ロシアかどっかの小説が元らしいわ。松井まつい須磨子すまこさんいう別嬪べっぴんさんが出とるんやけどな、えらい可愛かわええ髪飾りしてんねんて」

「髪飾り、ねぇ……」

「その髪飾りのことをな、カチューシャっていうねんて。ほんまは主人公の娘さんの名前なんやけどな」

「ふうん」

 熱を高めていく千代ちよに対して、そめ興味きょうみは一向にそそられなかった。

そめ。ちょっと見てきてや」

 しかし千代ちよの勢いは止まらない。

「は?」

「ちょっと町まで行ってさ、うちの代わりにカチューシャ見てきてや」

「なんで私がそんなことしなきゃいけないんだい」

「お駄賃だちんあげるからさ、ね。親爺おやじかくれてめたお金。全部、そめたくすわ」

「聞きな、小娘。なんで私がつのかくして白粉おしろい塗って、人間臭くさい町までわざわざ出向いて、そうまでして、何の因果いんがでロシアかぶれの芝居しばいなんて見なきゃいけないんだい。甘ったれなさんな。そんなに見たいなら、自分の足で行くこったね」

 面倒を突き放すつもりで言った長台詞ながぜりふに、

「うちは、ほら」笑った千代ちよの口の端から、「自由に動かれへんから」なぐられて欠けた歯が、のぞいた。



 カチューシャかわいや わかれのつらさ

 せめて淡雪 とけぬ間と

 神に願いを かけましょうか



 そめは死体の脇で劇中歌げきちゅうかの歌詞を思い出していた。主役の松井まつい須磨子すまこかなでる口唇くちびる凝視ぎょうしして、必死に覚えた歌詞だった。帰って、千代ちようたってかせるために。

親爺おやじに見つからんようにせんと。ああ、でも可愛かわええなあ」

 土産みやげに買って帰ったカチューシャを、千代ちよは大事そうに胸にいていた。以来、そのちぢれた髪の上にかざられているところは、一度も見ることはなかった。

 

「ほな千代ちよのやつは仕事も放ったらかして、どこ行きよったんやろか。もう3日も姿を見いひんで。鬼にでもわれてもたんやろか」

 ふいに、横から千代ちよ親爺おやじ頓狂とんきょうな疑問を口にした。

うか、阿呆あほう

「なんやて?」

 聞こえない声量でつぶやいたにも関わらず、古狸は拾った。やはり、耳聡みみざとい。

「ご遺体いたいおおったげてください」

 どの問いにも答えることなく、そめはその場を後にした。

 千代ちよ千代ちよ千代ちよ

 そめは心の内で千代ちよの名を繰り返す。死体は、千代ちよではなかった。しかし、千代ちよは消えた。千代ちよは、どこに。

 

 死体は隣村となりむらの金持ちの娘だと、後日になって分かった。しらせを受けた兄は、警察官に化けたそめの前で静かに悲しんだ。

「ようやく見つかった思たら、山えた向こう側で死体になってるなんて……そんな、殺生せっしょうですわ」

 せやけど、覚悟かくごはしてました。そうつぶやく青年の目には涙こそ落ちないが、生気せいきせていた。

 そめは制服のポケットにしのばせておいた形見かたみの品を、青年に渡した。無論むろん、カチューシャではない。あれは娘のものではなく、千代ちよのものだ。

「ああ、これは妹です。間違いありません」

 形見かたみ髪束かみたばながめながら、被害者の兄は無理矢理に小さく微笑ほほえんだ。

「おまわりはん、俺な」不意に髪束かみたばから顔をあげて、「こんどよめさんもらうんですわ」

 唐突な報告に、そめは一瞬、何を言われたか理解できなかった。

「ああ、祝言しゅうげん咄嗟とっさにそう言って、言葉が足りていないことを自覚し、「おめでとうございます」と付け足した。

 若者は泣き顔をこらえたまゆで笑う。

祝言しゅうげんって、じいちゃんかいな。今どきは結婚、って言うんでっせ」


 同じ指摘を、千代ちよから受けたことがあった。 

祝言しゅうげんって、あんた、ほんまにおばあやな。今どき結婚、って言うねんで」

「おばあで悪かったね」

 千代ちよにお相手がてがわれた、と聞いて、そめは思わずつっけんどんになった。

 機嫌きげんが悪くなったと思われるのもしゃくで、取りつくろうように、

「良い相手なのかい?」

 聞くと、千代ちよは苦笑いを浮かべた。

「ぱっとせえへんわ」

 それから一息ひといきおいて、

「けどな、その人の妹さんがね、ええねん」

 曖昧あいまいに、ふふっ、と笑ってみせた。

「良い、って何が?」

おない年頃のね、女ともだち。欲しかってん」

 そう言って、また笑った。

 

 おない年頃の、女ともだち。

 警察官に化けたそめの表情がこおった。嫌な予感が湧く。

 そめは、青年に詰め寄った。

「失礼やけど、お相手は?」

 青年は戸惑とまどうことなく返した。

隣村となりむら百姓ひゃくしょうの娘さんや。この子と同い年なんや」

 青年は、髪束となった妹を見つめている。

「……名前は?」

 人間に化けたのどを、ごくり、と唾液だえきが下る。

千代ちよ、いうねん。まだ一度しかうたことないけど」

 それがどないしましたん、と青年はようやく疑問を浮かべる。それはそれは、と微笑みでごまかしながら、そめは、一本線につながった真相に、戦慄せんりつした。

 ――うちは、ほら。

 ――自由に動かれへんから。

 あの娘は、千代ちよが殺したのだ。自分の身代わりにして。自分が自由を得るために。

 

「うちも鬼になれたらなぁ」

 ある日唐突とうとつに、千代ちよがそう言ったことがある。

「なんだい、急に」

そめを見とったらさ、ほんまに自由に生きとるなあ、思って。うちと全然ちゃうやん。うらやましー」

 楽観らっかん的な千代ちよの口調に、そめはため息をついた。

千代ちよ。私らにだってね、それなりに不自由はあるもんさ。それにね。そもそも鬼は、あんたら人間のうらみやねたみから生まれたんだよ」

 すると千代は、ぱあっ、と笑顔になって、

「なら、このまんま親爺おやじうらみつづけたら、うちも鬼になれるかもしれんなあ。そしたら親爺おやじい殺して、ほんでそめと一緒に住むわな」

「身内殺しの鬼と一緒に住むだって? 私ゃ、ごめんだね」

 そめは、千代ちよの笑顔と発言の落差に、けらけらと笑った。

人間あんたら、最近、鬼よりも鬼だよ。銃やら大砲やら、おっかないもんばかり作ってさ。鬼だって、滅多めったなことで身内の鬼を殺したりしないもんさ」


 結局、千代ちようらんだ人間には何ひとつ抵抗できなかった。しかし心を巣喰すくう恨みはふくらみつづけ、ついには罪のない人間を身代わりに殺して、どこかへ消えた。

 本当に、鬼になっちまったんだね、千代。

 二人がよく落ち合った山奥の秘密の場所に、そめうすら寒い思いで座っていた。

 やがて、決意したように自分のつのを握ると、ぽきり、と折った。果実をもぎ取るように自然な動きだった。付け根から、赤い血がれ落ちる。

 もう一方のつのも、なんなく折った。そのあたりの植物に手を伸ばし、つたを引きちぎる。それでつのをカチューシャに、くくりつける。

 鬼のカチューシャの完成だ。

 そっと、その場に置いて、そめは柄にもなく両手を合わせた。

 鬼になってもいい。つのなら私のを、くれてやる。どうか千代が、自由に、幸せに、生きながらえますように。

 神だか仏だかいう得体のしれないものに、得体のしれない鬼が、心からの祈りをささげた。

 やがて顔を上げると、すでにそめではなかった。千代ちよに、瓜二つの顔に化けていた。

 あとは肌色をなんとかしないとね。

 歩み出しながら、白粉おしろいをぽんぽんはたく。そめは今後、千代ちよとして生きていくと決めていた。

 娘殺しの犯人は、いずれおおやけになる。その時、千代ちよに代わって親爺おやじからたれるのだ。千代ちよに代わって殺しのつみつぐなうのだ。

 山の土に積もる雪は、徐々に白さを増していた。小さな足跡をつけて歩くそめの口から、自然とうたがこぼれる。


 

 カチューシャかわいや わかれのつらさ

 せめて淡雪 とけぬ間と

 神に願いを かけましょうか


 

 雪に、少女の足跡が続いていく。

 

<了>


 作中使用曲:「カチューシャの唄」(島村抱月:作詞・中山晋平:作曲・松井須磨子:歌)

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鬼のカチューシャ 二晩占二 @niban_senji

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