鳴神の驚愕
「う、うそだっ!」
鳴神はトモエを見たまま、震えて言った。
「鬼みたいな顔で怒鳴り散らして、一番隊を震えあがらせてる鬼道大尉が! あの超絶堅物で女っ気がなくて筋肉と投資にしか興味がない鬼道大尉が! 喜怒哀楽の怒しかない鬼道大尉がーっ!?」
ずいぶんな言われように、トモエは目を瞬かせた。
(え……冬夜様は、そんなのじゃないと思うけど……)
トモエの前にいる冬夜と、この青年が知っている冬夜は、ずいぶんと印象が違うようだった。
失礼なことを連発しているが、冬夜は大丈夫なのだろうか……と冬夜を見上げれば、彼は微笑みを浮かべていた。
「鳴神少尉、楽しみだなァ」
「……へ? な、何がでしょうか」
「お前のその腕が治るのがだよ」
「……え、えと?」
「早く練兵場に立て。今度はその腕だけじゃなく、全身の骨という骨を粉砕してやるよ」
「ひぃいいい! すみませんすみません!」
バキボキと冬夜は指を鳴らしている。
なぜか軍用犬であるはずのシェパードのリリーも、耳を極限まで下げてぶるぶるとふるえている。
「あ、あの、冬夜様」
トモエは思わず、冬夜のシャツの袖を引っ張った。
「わ、私にも、この方を紹介いただいても……?」
(冬夜様、怖い……。本当に殴ってしまいそう。なんとか気をそらさなきゃ)
そう思って、鳴神を助けたつもりだったのだが、なぜか冬夜はさらに不機嫌になってしまった。
唸るような声でトモエに尋ねる。
「トモエ。その男のことが、気になるのか?」
(えっ!? なんで!?)
「あんたが知るべきは、俺のことだ。それ以外の男の情報なんか、不必要だろうが」
「横暴っ! すっごい横暴!」
トモエの心の声を、鳴神が代わりに叫んでくれた。
なぜかトモエと鳴神が同じ立場になっているような気がする。
「と、冬夜様の職場の方なので、私も知っておきたいのです。社交も、妻の役目……ですよね?」
妻の役目、を強調しておく。
そう言って涙目で冬夜を見上げれば、彼はようやく納得してくれたようだった。
「……鳴神。俺の妻に挨拶を」
「は!」
恐ろしい目つきで命じられて、鳴神は直立して敬礼した。
「帝国陸軍独立特務隊、一番隊所属の鳴神少尉であります! 鬼道大尉の右腕として、常に行動を共にしております!」
どうやら鳴神は、冬夜の部下だったらしい。
「勝手に右腕を名乗るな。お前はまだ実力不足だ」
「えー! 一番隊だったら、俺は相当強いと思いますけど!」
鳴神は不満そうに唇を尖らせた。
「何を言ってるんだ。大体、お前が魔性を取り逃した上、刀も奪われたせいで、トモエが襲われかけたんだぞ」
「!」
(もしかして、鳴神様のあの怪我……)
トモエはこの家に来るまでのことを思い出していた。
確かあの魔性は、誰かの刀を奪っていた。
それはもしかしたら、鳴神のものだったのかもしれない。
(……血がついてた。ひどい怪我だったんだろうな)
あの時のことを思い出して、トモエは胸が痛くなった。
(やっぱりとても危険な仕事なんだ)
美慧だったら、きっと役に立てただろう。
何もできない自分に、トモエは苛立つ。
「あの、お怪我は大丈夫ですか?」
「あ、これ? へーきへーき。ちょっと油断して肉を切られちゃっただけ。ま、骨までいっちゃったんですけどね」
あまりも悲惨で、トモエは真っ青になってしまった。
「おい、気色の悪いことをトモエに言うな。ふざけんてんのか、テメェ」
「わぁー! すみませんすみません! もう怪我は治ってるから、安心してくださいー! ただ、呪いをもろに被っちゃって、もう少し解呪に時間が必要なだけ!」
蒼白になったトモエの前で、鳴神は腕をぶんぶんと振り回してみせる。
トモエは慌てて鳴神の腕をとめた。
「あ、安静に……! そんなに振り回さないでください……!」
それをまた冬夜が心良く思わないようで、トモエ! とすぐトモエの腰を引いて自身のそばに戻す。
トモエは何が何やらで、困ったように冬夜を見上げる。
「ああ、本当に鬼道大尉の奥様とは思えないほどに、優しくて繊細な人ですね! しかもめちゃくちゃ可愛い! 可愛すぎるじゃありませんか!」
冬夜の腕の中でおろおろしていると、鳴神はそう言って、じとっとした目で冬夜とトモエを見た。
「鬼神とまで呼ばれた鬼道大尉が、まさかこんなに愛らしい奥様を娶っているなんて。美女と野獣ですね、こりゃあ」
あれほど怒られたのに、失礼なことを言い続ける鳴神。
これが彼の性格なのだろうと、トモエはがっくりしてしまう。
でも、彼が知っている冬夜と、トモエの知っている冬夜は少し違うようだった。それがどうしても気になってしまう。
「あの……だ、旦那様はとても優しいですよ。見たこともないくらい、すごくかっこいいし……」
どうしても冬夜は優しくてかっこいいのだと主張したくて、そんなことを言ってしまう。けれどすぐそばに冬夜がいたことを思い出して、トモエははっとした。
恥ずかしいことを言ってしまった、と思い、思わず冬夜を見上げる。
冬夜は手で口元を隠していた。
けれど頬に朱色が走っているのがみえる。
嬉しそうに、しているのが丸わかりだった。
それを見たトモエまで、耳まで真っ赤になってしまった。
「いやちょ、なんで目の前でいちゃつかれなきゃならないんだ。見せつけなくていいですから!」
「す、すみません……」
トモエがあわあわしていると、冬夜がもういい、とトモエの腰を引いていった。
「帰ろう、トモエ。疲れただろう。今日は家でゆっくりしよう」
冬夜がそうするならと、トモエはこくりと頷いた。
「大体、お前はなんでこんなところにいたんだ? いつも俺のそばをうろちょろしやがって」
「リリーの散歩ですよぅ。日に三度歩かせてやらないと、体力がありあまって大変なんです。本当に手がかかる奴で……」
とは言いつつも、鳴神はリリーを可愛がっているようだった。
トモエがリリーをチラチラ見ていると、触ってみます? と鳴神に提案された。
「! いいんですか?」
「こいつ、おとなしいですから」
トモエが屈むと、リリーはぶんぶんとしっぽをふった。
それからトモエが触れる前に、トモエの頬をぺろぺろと舐める。
「きゃっ、くすぐったい」
トモエはくすぐったくて、クスクスと笑ってしまった。
「珍しいな。リリーは大人しくて、自分から懐くような子じゃないのに」
「とってもいい子ですね。賢い顔をしています。人の話を理解しているみたいに、じっとしているし」
散歩したかったんでしょう、ごめんね。
そうリリーに言うと、リリーはしっぽをふって、きゅーんと喉で小さく吠えた。
「うちの妻もトモエさんと同じくらいの年齢なんですよ。すぐそこに住んでますから、よかったら今度お茶でもしませんか? 犬や動物が、他にもいるんです」
「そうなんですか?」
「ええ。妻もちょっと変な奴ですが、おっとりしていてトモエさんとも気が合うと思いますよ」
(友達……)
トモエに友達などできるのだろうか。
でも犬はみたい。
おろおろしていると、冬夜がトモエの手を引きながら言った。
「考えておこう。だが、新婚なもので。悪いが、二人だけの時間が優先だ」
冬夜はそう言って、トモエを自分だけのものだといように抱き寄せた
*
手を繋いで帰っていく冬夜とトモエを見て、鳴神はため息をついた。
リリーもトモエを気に入ったのか、名残惜しそうに彼らの背中を見ている。
「鬼神とまで呼ばれ恐れられていたあの方が……まさかねぇ」
独立特務隊での鬼道冬夜は、化け物のように強いことで有名だった。
人間離れした強さは、いつの間にか鬼神と言われるまでになっていた。
そしてその噂に憧れて、独立特務隊に入隊した変わり者というのが、鳴神である。
「よかったですよ、鬼道大尉。あなたはまるで、自分の命など惜しくもないというように、なりふり構わず戦っていましたから」
冬夜は社交を一切好まなかったが、その美貌から、数多くの女から言い寄られていたのを知っている。縁談話も多かったはずだ。
しかし冬夜は女など興味もないというように切り捨てていた。
そもそも、彼は自身の業務にすら、興味がなさそうだった。今でさえそうだ。
(いつか、金さえあればいいと言っていた)
それも、どうやら自分のための金銭ではないようだった。
おまけに、鬼道の財産は自分のものではないとカウントしているらしい。
自分自身の手で、財産を気づくのだと。
では、それは一体なんのために?
(まさか……)
鳴神は、病弱だという美しい少女のことを思い出した。
見ただけでわかる。
あの子は普通には暮らせない。それ相応の場所でなければ。
鬼道冬夜は。
彼女のために、金銭が必要だったのだろうか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます