はじめて?

 高圧的な態度とは裏腹に、冬夜の瞳はどこか希うようでもあった。

 トモエの手を引いて、ベッドから起き上がらせてくれる。

 乱れた髪を整えてくれる手は本当に優しくて。

 まるで触れれば壊れてしまう宝物を扱うかのように、冬夜はトモエの頭を撫でた。


「あ、の……」


(私たち、なんてことを……)


 冷静になってみれば、初対面の男といきなりなんてことをしてしまったのかと、トモエはあまりの恥ずかしさで、穴があったら入りたくなってしまった。

 耳まで真っ赤になって目を泳がせているトモエを、冬夜はじっと見つめている。それからこらえられなくなったように、笑い出した。


「あんた、やっぱりお嬢様だな。こんなことで茹で蛸みたいになるなんて」


(だって、これって……子どもができるかもしれないってことでしょう?)


 た、多分そう……!


 トモエは一気に大人の階段を登ってしまったと、心臓がバクバクした。

 ……トモエは知らなかったのだ。口付けだけで、子どもはできないのだと。

 そういう教育をしてくれる人はいなかったし、桜狐家は恋愛小説は禁止だった。だからトモエは、そう言う男女の機微にはからっきしなのだった。


(えっと……つまり、今の行為をすれば、私の霊力を冬夜さまに、受け渡すことができるってこと?)


 そう考えて、トモエははっとした。


「体が……」


 頭の中のもやもやが、晴れたようだった。

 自分の体を見てみるが、特段いつもと変わったところは見受けられない。けれど明らかに、トモエの中の何かが変わっていた。


(なんて楽なの!)


 本当に、体が随分軽くなった。思わず立ち上がってふらふらと部屋を歩き出す。

 けれどすぐ冬夜に止められてしまった。


「こら、ベッドにいろと言ったばかりだろうが」


「だって、体が、軽いんです。とっても!」


 自然と笑顔が浮かぶ。


「こんなに体調がよくなるなんて……」


「今まで、こういうことはしなかったのか?」


「こんな方法があるなんて、知りませんでした」


 そう言うと、冬夜は少し顔を曇らせた。


「知らなかっただと?」


「え……? あの、はい」


「あんたの親も、何も言わなかったのか?」


「……普通に病院に通って、薬でおさえていました。薬でも多少マシにはなるんですけど、これほどまでの効果はなくて」


(まずい。私が酷い育て方をされてなんて知ったら、この人は幻滅してしまう……?)


 さっきから、この人はお嬢様、とトモエのことを呼んでいた。

 冬夜はどうやら、トモエの血筋を重視してトモエを娶ったのだ。

 トモエが桜狐家で虐げられて育っており、令嬢のようなふるまいなどできないと知ったら、がっかりするかもしれない。

 トモエは焦って取り繕った。


「色々試してたんですけど、その……」


 もごもご言い募っているうちに、先程の行為が思い出されて、また顔が赤くなってきてしまった。

 火照った顔をさまそうと冬夜から顔をそらしたが、再び腰をひかれて、気づけば冬夜の腕の中にいた。それからぐいと顎を持ち上げられた。

 

「……これから、毎日だってすることになる。あんたは嫌だろうが」


 耳元で囁かれて、またぞくりと背中が粟だった。


「こんなことくらいでその調子じゃ、持たないぞ」


「こ、こんなことくらいって……だって、あの、私、したことなくて……」


(ダメ、思い出すとまた赤くなっちゃう……!)


 トモエがドギマギしていると、不意に冬夜から、驚いたような声が漏れた。


「……は?」


 見れば、なぜか冬夜は目を丸くしていた。


「……今のが初めてだったと?」


「? そ、そうですけど……」


(あ、あんなこと、普通結婚するまでしないんじゃ……)


 それとも冬夜は、するのだろうか。

 ああいうことを、誰とでも。


 そう思うと、少し胸がちくりと傷んだ。


(だって、確かにこの人、とってもかっこいいし……)


 少々口は悪いが、女性などいくらでも寄ってくるのではないだろうか。

 そんなことを考えていると、なぜか感極まったような声で名を呼ばれた。


「ああ、トモエ……!」


「!」


 なぜか冬夜は、嬉しそうな、泣きそうな顔でトモエを見ていた。

 そして、再び唇を奪われそうになる。


(ま、また……!)


 トモエがぎゅ、と目をつぶったところで、突然、部屋にノックの音が響いた。


「ご主人様、奥様、入室してもよろしいでしょうか」


「失せろ! 入ってくるな!」


 柔らかな女性の声に、冬夜は怒鳴り返した。

 トモエは驚いて、思わず冬夜のシャツをぎゅ、と握る。

 冬夜はなぜかそれに気をよくしたらしく、続きをしようと唇を近づける。


「だ、だめ! 人が……!」


 トモエはパニックになって、思わず冬夜を押したが、やはりびくともしない。

 やだ、やめてください、と暴れていると、ドアの外まで声が聞こえてしまったらしい。


「すみませーん、入りますね!」


 冬夜の命令を無視して、女性が元気よく入室してきた。

 そして押し問答をしているトモエたちを見て、閉口したのだった。


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