第28話 青い少年
東館は住居スペースなので省いて、主に西館を4人は歩いて回った。ジェイミーはというと、もうクタクタに疲れ果ててしまったので、器具の片付けをしたら自室に引っ込んでしまったが、慣れない事をさせたので、仕方があるまいとカミラは思った。
だからそこから3人を丁寧にもてなしてやったのは、カミラ1人である。
図書室やサンルーム、今は使っていない大広間、西館の一角にある屋上庭園なども案内し終わった所で、一行を客間に通して紅茶と菓子を振舞った。
この日のためにと、ジェイミーが用意してくれたものである。
「本当にとても素敵なお屋敷ね」
「図書室だって学院のものより広いし、本当にすごいなここは」
グレースとルイツォは嬉々とした顔で、スプラウトヴァージュ邸を褒めた。自分の家ではなかったが、カミラはそれを聞いて誇らしい気持ちになった。なんといったって、大好きなジェイミーの住んでいる場所なのだから、褒められて悪い気はしないのである。
パトリックはと言うと部屋の中をキョロキョロと見回して、普段より落ち着かない様子だった。
それを気にして、カミラは彼に話しかけてみることにした。
「どこか具合でも悪いのか?」
「いや、そんなことは無いんだけど……お手洗いってどこにあるかな」
「ああ。なるほど。廊下を出て右の突き当たりを曲がったらその奥だよ」
「ありがとう。少し席を外すね」
パトリックは急いだ様子で、部屋を出た。
カミラは、そんなに漏れそうになるくらい我慢していたのか……と思ったが、彼の真意はそうではない。
彼はこの屋敷から、とあるものを盗んでこいと命令されていたのである。
パトリックは足早に部屋を出ると、真っ直ぐ行く地下へと向かった。事前に知らされていた情報によれば、お目当てのものは薬品庫に必ずある。今日の授業がドンピシャで薬品を扱うものだとは予想していなかったが、ラッキーだった。ジェイミーが片付けをしていたのを見るに、薬の調合をした部屋の隣に薬はあるはずだ。
薬品庫へ続く扉は先程教室になった部屋にしか無いので、パトリックはそのまま部屋へ入った。
左奥にある木製のドアに手をかけると、鍵はかかっていない。盗む側からしてみればありがたいことだが、無用心だなと思った。
薬品庫の中はそこそこの広さがあった。木製の背の高い薬棚の引き出しには丁寧にラベルが貼られ、何が中にはいっているのか一目瞭然だ。ジェイミー・スプラウトヴァージュは随分几帳面な性格らしい。他の棚の薬の瓶にも何の薬かわかるように、どれも手書きのラベルが貼られていた。
中央の机の方にはいくつかの薬草や、薬品がごちゃごちゃと置かれていたが、木箱の中に同じラベルの瓶が入っている。その中を漁ってみると、お目当てのものはすぐに見つかった。
「龍眠液……これだ」
一つしか無いようなものならば無くなればすぐに気づかれるだろうが、幸い複数ある。パトリックは瓶を一つ手に取って、着ていたジャケットの内ポケットへ滑り込ませた。
そうすると入り口の扉が開く。
それに気づいたパトリックは、心臓が口から飛び出そうになるくらい驚いたが、さっとしゃがんで物陰に身を隠した。
「電気やっぱ消し忘れてたや……」
入り口のスイッチを押すとジェイミーは部屋を出ていこうとする、しかし何かを感じ取ったのかもう一度電気をつけて部屋の中を歩き始めた。
パトリックはどうしようと、焦っていた。このまま魔法で攻撃する?姿を見られてしまえばおしまいだ。今姿をくらます術を使っても、魔法の痕跡ですぐバレるだろう。
それならば逆に……。
「あの、すいません」
パトリックは立ち上がって物陰から声を発した。
「うわあ!」
それにジェイミーは肩を跳ねさせて大げさに振り向いた。何か居る音を感じてはいたが、背後から声をかけられるとは思っていなかったので酷く驚いてしまったのである。
「すいません。こちらに先生がいるかと思って、中にはいってしまいました」
振り返った先には青い髪の男の子、たしかパトリックが立っていた。
「ど、どうしたのかな? カミラは?」
「……みんなには、聞かれたくない話なので、一人で先生を探しに来たんです」
眉をハの字に下げて申し訳無さそうにしている彼を見て、ジェイミーは自分に話があるってなんだろうと首を傾げた。
「エルフの先生ならば、星吐き病のもっと良い治療薬についてなにか知っているのではないかと……」
「ああ~、なるほど。それでまだぼくがここに居るんじゃないかって、入ってきちゃったんだ?」
「ええ。鍵がかかっていなかったとはいえ、勝手にすいません」
「いや、いいんだ。大したもの置いてないし。通りかかってよかったよ。星吐き病だっけ?」
ジェイミーは棚に入っている魔法薬学の本を手にとって、ペラペラとページを捲った。
「姉が、その病気で。手を尽くしているのですが、一向に良くならず……本当になんでもいいんです。なにか病気が良くなるようなことが知りたくって」
本当のことだ。パトリックの姉は星吐き病と呼ばれる魔法族がかかる難病に侵されている。この病気は体内の魔素が結晶化し、口から吐き出されるという病気である。その結晶が金平糖の粒のようであり、薄く黄色かかった透明であることから星吐き病と呼ばれている。
「それはお気の毒に……病院にはかかっているんでしょう?」
「ええ。それでももう、2年は床に臥せっていて」
パトリックはポケットの中の小瓶が彼にバレやしないかとヒヤヒヤしていたが、悲しげな表情を続けた。
「エルフの家系と言えど、ぼくも本職ではないからね。星吐き病の薬は何を投与されているのかな」
「ムランブルグという名前の薬だったと思います」
「近年の治療薬だね。星吐き病で起こる体内の魔素の結晶化を和らげる効果がある。血液内の魔素の濃度を一時的に希釈するが副作用として、長い眠りについてしまうんだったかな」
ジェイミーは薬の名前を聞いただけで作用まで完璧に暗記をしているようだった。話を早く切り上げてこの場から立ち去りたかったが、彼からもたらされる情報は有益そうだ。だからパトリックは言葉を続ける。
「もうずっと、目を覚ましてくれないんです。どんどん痩せ細っていく彼女を見ていられなくて」
「お医者さんはなんて言ってる?」
「経過は良くも悪くもないと」
「なるほどね。……セプトラントという薬を投与したことはある?」
「聞いたことがない薬です」
「なるほど。病院ってどこ使ってるの」
「北のセレスティン病院です」
「ということは……えーエドモンドさんはご退職なされたから、後継はルチアーノさんかな」
「そうです」
「彼にセプトラントを試してみてはどうかと、スプラウトヴァージュに言われたと話せばすぐに話が通ると思うよ。副作用自体は緩和されるはずだ」
「……! ありがとうございます」
「やっぱり起きて、食べて、人と喋ってってしないと、どんどん弱っちゃうから。よくなるといいね君のお姉さん」
「はい……」
心に罪悪感を抱きながら、パトリックは微笑んだ。
――とても、いい人だ。親身になって話を聞いてくれたし、今日の授業だって急な事だったろうに快く引き受けてくれた。……これから先、薬を盗んだことがバレてジェイミーの信用を失うのは悲しいことだ。
しかし、指示を遂行しなければ姉の病気の治療すらできなくなる。だから仕方がないのだ。最初に
二人が薬品庫からでてくると、カミラとあとの二人が部屋に入ってきた。
「居た~!」
グレースがパトリックを見つけて、声を上げる。
「帰ってこないから、迷子になってしまったのかと思って探しにきたんだ。先生となにか話を?」
カミラはすこしほっとした顔で二人に向かって声をかけた。
「迷子の彼を見つけたついでに、今日授業の感想を聞いていたんだよ」
ジェイミーはパトリックよりも先に口を開いて、そう言った。みんなには聞かれたくない話を守ってくれているようだった。
「つい長話になってしまって。わざわざ探しにきてくれてありがとう」
「ならよかった。この屋敷は広いから、全部の階を歩くだけでも苦労する」
「もうそろそろ出ないと、バスの時間に間に合わなくなるんじゃないかな?」
ジェイミーは壁の時計を見て、そう言った。ここは街から外れた場所にあるので、バスの本数も少ないのである。
「ホントだ!今日はありがとうございました」
ルイツォがにこやかにそう言って頭を下げると、グレースも続けて「ありがとうございました」と言った。
「丁寧なご指導で、とても勉強になりました。学院でも、特別講師で来て頂けたらいいのに」
パトリックのその言葉に、カミラが割って入る。
「駄目だ。あと数年は私の先生だからな」
「それは残念。今日は本当にありがとうございました」
「門まで見送ろう」
こうして一行のスプラウトヴァージュ邸の訪問は終わった。
帰りのバスの中で、確かにある内ポケットの小瓶を感じながらパトリックは、静かに罪悪感を感じていた。
北の街の学院前のバス停に着くと、ルイツォとグレースの二人は寮の中へと歩を進めようとする。
「パトリック、帰らないのか?」
ルイツォは不思議そうにパトリックの顔を見る。
「ノートが……もう無くなってしまって。街で買ったほうが安いから、ついでに行ってくるよ」
「門限破るなよ」
「勿論」
パトリックは「じゃあ、また明日」と言って街の方へ歩いた。冬の日が暮れるのは早い。
辺りはもうすっかり真っ暗で、街灯が煌々と地面を照らし、照らされない道路の端っこは暗闇に包まれていた。
学院から少し進んだ先、書店街の公衆電話に入ると硬貨を投入して電話をかける。
「もしもし。パトリックです。例のもの、回収できました」
『よくやった。約束は果たそう。いつもの場所で』
パトリックは受話器を置くと、書店街の奥の路地に入った。2つ3つと角を曲がると、黒いハットを被り、黒いコートを着た白髪の男が目にはいる。じっと佇んでいる彼はこちらに気づいても表情を変えなかった。電話の男の使いの者はいつも彼だった。
「所定の物です」
パトリックは内ポケットから小瓶を出し、男へ差し出す。
男は小瓶を手に取り、瓶の中の液体を透かして見た。恐らく鑑定の魔法を使っている。パトリックが嘘をついていないか、確認をしているのだ。
「確かに受け取った」
それだけ言うと男は踵を返して去っていった。路地の中でパトリックはひとり取り残される。
「これでいいんだ……これで……姉さんの命が助かるなら」
青い少年は、逃げ帰る場所も、頼れる場所もなく、ただ一人暗闇の中に呑まれていくばかりだった。
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