第3話 魔法島

スプラウトヴァージュ邸は学校のある大きな街から少し離れた島の北東に存在している。


そしてこの島の現在の地理の成り立ちを説明すると、まずは89年前の異界大戦まで遡ることになる。

 

まずこの島の名前は地球側からは、通称「魔法島」と呼ばれており、「エメラルドグローブ島」が現在の地図上での正式名称である。北大西洋のフランスビスケー湾の、ちょうど中心あたりに位置し、大きさで言えばイギリスのウェールズよりも少し大きい程度。


そんな大きさの島が突如転移してきて、魔法族の住まう異界ノブレッジから、地球への侵略戦争の拠点となった。様々な過程は省略するが、最終的にこの戦争は地球側の勝利に終わり、島は地球に取り残されている。


戦争が終わったら島を転移させて、異界の元の場所へと戻すはずだったそうだが、地球側の魔素の微細な差異により魔法は発動することが出来なかった。

だからこの島は、異界との中継地点として、まだ機能しているのだ。


そして、地球側の国際社会はこの島の取り扱いに非常に困っている。ノブレッジ側の統治権限を最小限に抑え、世界の警察アメリカと物理的距離が近いフランスが、一応の統治国家として共同で名乗りを上げている。これが決定するまでにも、とんでもないいざこざがあったことは、近代史の分厚い教科書を読めばすぐに分かることだ。


島の東側には戦時中、軍事施設が集まっていたが、それらは全て空爆により焦土と化し、今では新しく地球側が整備した街と、島の唯一の玄関である空港と港が存在している。


89年経った今でも魔法島に一般人が渡航することは難しく、特別に認可を受けた者しか、ここにはやってくることが出来ない。概ね研究者か軍人か外交官や医者、その他国の重要な役職。あげ出すとキリがないがそういうエリート層の人間が東の海岸沿いに集まっている。


終戦直後にはインフラ整備や、新しい土地と未知の魔法へ果敢に商機を狙った一般企業などが集まり、街は賑わっていたが、現在地球人はこの島にあまり住みたがろうとはしない。

何故かと言うと、この島に溜まっている魔素が異界のものなので、生活用水やそこで育った作物、動物などにもそれが含まれている。地球側の人間は魔法適性がない限り、魔素中毒を引き起こし程度の差はあれど必ず体調を損なう。

海外旅行で水が合わなくて腹を下す程度のものであれば良かったのだが、高熱と下痢を繰り返し、脱水症状に見舞われるのが半年以上続く。半年を過ぎるとぱたりと症状はなりを潜めてしまうが、その半年が地獄のように苦しく、とても仕事をしながら過ごせるような状態では無い。そういった過酷な試練に耐えられなかった人間は、みなこの地を去ってしまったのである。

行政も必要最低限の人間しか、この島には入れたがらない。病院がパンクしてしまうからだ。


それでも地獄の半年を乗り越え、島に残った地球人の街はまだ残っており、この島の非魔法族の9割はそこに暮らしている。

明確な境界線は無いが、東側の平野は地球の領土としてみなされているのだ。地球側の人間の入れ替わりは激しいものであるが。

島の西側から北にかけては山脈が有り、その山の麓の方に魔法族たちの街が点在している。完全に魔法を使用した暮らしのみで成り立っており、非魔法族は暮らしていけないような土地が西と南だ。ここに関しては立ち入ることが推奨されていないので、詳しく語ることは出来ない。


異界とのゲートがある北東部の町には、地球側の多国籍軍が置かれ、地球人も多く暮らして居る。カミラの通っている学校も、そこに設立されていた。

電気を使用した暮らしと、魔法を使用した暮らしが両立している、島の中でも珍しい街なのである。


先進的な思想を持つものや、研究者、親地球派の魔法族が集まる地域で、文化の交流もここ最近になって随分と進んだ方である。


地球側や魔法族への差別意識の強い者は、お互いに自分たちのテリトリーを出ないように過ごしているため、早々争いが起きることは少なくなった。それでもこの島の中ではどこに行っても、うっすらと壁がある。どちら側にルーツがあるかは、この島で暮らす上での立ち位置を明確にするのだ。


カミラは、祖父が異界出身の魔法族だが、所謂魔法族の間での、魔法が使えない障がい者である。彼は終戦直後に、生活に魔法を必要とせず暮らせる地球にやって来て、出身を偽り英国に定住した。これは現在明確に国際法違反であるが、戦後は取り締まろうにも双方それだけの力がなく、なし崩しだった。


異界出身で地球側の領土に住んでいる魔法族は、特別な申請を国にしなければいけないのだが、カミラの祖父のように黙っている者も少なく無い。魔法族というだけで、それなりに好奇の目に晒されるからだ。


終戦後に祖父は英国人の祖母と恋に落ち、カミラの母が生まれた。彼女に魔法の適正は現れなかったので、祖父は心の底から安堵したそうだ。しかし、どうしてだか2世代分の膨大な魔力貯蔵を体内に有した孫が生まれてしまったのだ。それがカミラ・ウッドヴァインである。


カミラは地球側で14年間すくすく育ち、魔法のまの字にも触れず、科学と親しみ暮らしてきた。


確かに感情が昂った時に、窓が割れたりだの、ものが破裂したりだのという、不思議な出来事が起こることはあった。しかし彼女は大真面目に、自分にサイキック的な超能力があるのかもしれないと考えていた。おじいちゃんがただの地球の人間だと思っていたので。


血筋は魔法族、生まれは地球側。そんな人間はこの島の中でも片手で数えられる程度しかおらず、同世代には一人もいなかった。だからより、学校生活に馴染めなかったのである。本人の性格に十二分難がある事を視野に入れても、どちら側でもない人間は、それだけで奇異だった。


だからこれから、師事することになる異界出身の生粋の魔法族であるスプラウトヴァージュ先生が、自分のことをどう扱うのかカミラはとても不安に思っていたのである。


◾︎

「あのね、母さん。ぼくには無理だと思うんだ」

スマートフォンを先のとがった長い耳に当てながら、赤髪の少年は長い髪の先をくるくると指でいじりながら困り果てていた。


デニムのオーバーオールは土で汚れていて、長靴も泥だらけである。少年はついさっきまで、庭をいじっていて、額には汗が浮いていた。

彼は屋敷の裏手にある、キッチンの勝手口の階段に座り、途方に暮れた眼差しで青空を仰ぎ見る。


「できるわよ!絶対大丈夫!」


電話の向こうで快活な声を響かせる少年の母は、からっと笑った。恐らく少年がみている青空と同じくらい、晴れ渡った表情なのだろう。本当にいつだって空は無責任だ。彼女は現在仕事で南米に滞在しているので、あちらの天気も、時差がどれくらいあるのかも、よく把握していないが。

「ちゃんと聞いて欲しいんだけど。ぼくは魔法使えないじゃない。どうやって魔法の実践を、教えてあげたらいいのさ」

「クロちゃんが言うには、優秀な子らしいから理論さえ教えれば勝手に再現してくるそうよ。あなたが小さい頃に出した私の本があるじゃない。頭には入ってるでしょう」

「そりゃあ、実験の段階からずっと立ち合ってたから、多少は覚えてるけど」

「だったら大丈夫よ。魔法義務教育の課程がその域を出ることは無いもの。たったの3年ぽっちで学べることはたかが知れてるわ。それに、その子早くお国に帰りたいそうだし。チャチャッと課程終わらせて、好きにしてもらったらいいじゃない」

「そんな簡単に言わないでよ。第一ぼく人と喋るのがあんまり……」

「ああ、もうそんなこと言ってられないわよ。来るの多分今日だから」

「ん?なんて?」

少年はなにかの聞き間違いかと思い、口をポカンとあけた。来るの、多分、今日だから。その言葉を反芻し、やはり意味がわからないと思った。今日電話でかかってきたこの話は、もっと先の日程の相談事だと思っていたからだ。

「今日って、そっちは21日よね?夕方にその子来るから。家に住まわせてあげてね」

「ちょ、ちょっと待って。先生するだけじゃないの?」

とんでもない言葉が母の口から飛び出し、思わずスマホを手から落としそうになる。

「寮からうちに通うの大変じゃない。空き部屋もいっぱいあるんだから、問題ないでしょう」

「問題ありまくりだけど!?」

「大丈夫大丈夫!クロちゃん来た時もそんな感じで急だったし!どうにかなるわよ。ジェイミーもよく懐いてたじゃない。きっと楽しいわよ」

「ひ、人と一緒に住むなんて聞いてない!ぼくは嫌だよ!それに、いくつの時の話してるの!?40年も前のことを!その時は父さんだってまだ生きていたし!」

「たったの40年じゃない!……っていってもそりゃあなたからすれば40年か。お願いジェイミー。可愛い弟子からの頼み事じゃない。あなたも沢山遊んでもらったでしょう?」

「クロードくんには、よくしてもらったよそりゃ……。でも、今ぼく家にひとりだよ?」

「いーじゃない賑やかになって!もっと人と関わるべきよ」

「む、無理無理無理……無理だって……」

「大丈夫大丈夫!あっ悪いけどもう切るわね!内線入ったわ」

「待って!ぼくは承諾したわけじゃない」

「ファイト〜!詳細は来た子から聞くのよ〜!あと半年後くらいに様子見に帰ってくるからね〜!」

プーップーップーッと、無慈悲に電話の切れた音がした。ジェイミーはこの世の終わりだと思って、ガックリと項垂れた。きっと掛け直しても、どうにもならないように、事が勝手に進められてしまっている。


ここは魔法島の北東部。スプラウトヴァージュ家の広大な土地の中。石造りの立派な屋敷がそびえ立ち、広大な庭は丁寧に手入れされ、季節の花が咲き乱れている。その先に続く畑にも、緑は青々と茂り、実をつけ、やがてくる冬に向けて色づく葉の色は色とりどりに染まりつつあった。


そんな全ての生命が生き生きとしているこの土地の中で、顔を土気色にして、ぐしゃぐしゃに歪め、地に手をつき思わず涙を流す少年が1人。彼の名前はジェイミー・スプラウトヴァージュ。


たった今、自分に魔法使いの弟子ができることを無慈悲に告げられた、生粋の引きこもりのハーフエルフである。


「こんなのできっこないよ……母さん以外ともう15年は喋ってないのに……」

彼は日課の庭いじりと深夜のFPS以外は、何一つやる気が起きない、立派なニートである。実家の太さだけで、この15年領地から出ることを拒否してきたのだ。


宅配便とネットスーパーの定期便と郵便しかやってこない、悠々自適な自分の城に、知らない人間が住まうだなんて耐えられそうになかった。


この世の絶望を煮詰めたようなかすれた呻き声が、彼の口からこぼれ落ちるも、それは冷たい秋風に乗って、儚くもかき消されてしまう。

ジェイミーは恐らく数時間後にやってくるであろう、厄災のことを考え、持ち直す気力もなかった。

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