第2話 あたらしい先生

カミラは退屈な授業をすべて終え、学生寮の自室の扉を開く。二人で一つの部屋を使用することになっており、部屋の両端に木製の寝心地の悪いベッド。ベッドの隣には勉強机、ドアの近くに備え付けのクローゼット。左右対称に備え付けの家具が置かれている。それ以外の私物は部屋の中央を境に、お互いの領土を侵攻しないという取り決めのもと、自由に置いて良いことになっている。


カミラと同室の少女は、物をやたらめったら買ってきては乱雑においているので、部屋の中央からこちらがわを侵攻することが数え切れないほどあった。カミラがメジャーで部屋を計測し、部屋ちょうどの真ん中にビニールテープを貼り付け境界を明確にしているにも関わらずである。


「どうして学習をしないんだ?」

カミラは舌打ちをしながら誰も居ない部屋に向けて怒りのこもった言葉をつぶやいた。部屋の境を超えて侵入してきたパステルカラーの衣服の山の端と、ジュースが入っていたであろう空き瓶を、靴で蹴りおしやる。これは毎日のことで心の底から彼女はうんざりしていた。手を使ってどけてやるような優しさを持てないほどに。


自分のテリトリーは全てが整頓され、有るべき場所に有るべきものが収まっている。本は本棚に、衣服はクローゼットに。その他の学用品は机の引き出しや棚に。無駄なものなど一つもない。


肩にかけた革の鞄を所定の机の横にかけ、今日出た分の課題に早速取り掛かる。授業中に課題を進めると何故か怒られるので、仕方がなく放課後にやるしかなかった。時間は有限であるのに、なんてタイムロスだ。

頭の悪い同室の女が帰ってきたら、頭の悪い音楽がまあまあの音量で流れ、聞くに堪えないおしゃべりが開始されてしまう。

ここにやってきてから3ヶ月が経ったが、心休まる日はなかった。自分には目的があり、叶えるべき野望も有る。こんなことで神経をすり減らし、気が滅入っている場合ではないというのに。


「もうそろそろ我慢の限界だな」

そう呟いたと同時に、部屋の外から複数人の女の子のはしゃぐ笑い声が聞こえてきた。それにまた舌打ちをし、ヘッドホンを取り出してまた机に向かった。

聞いているのはワーグナーの「ワルキューレの騎行」である。


カミラが寮の東館最上階の角部屋に火をつけて爆破したことになったのは、3日後のことだった。


「寮内での飲酒や乱痴気騒ぎを黙認している管理体制に疑問がある。学生の健全な育成にふさわしくない行為を先に行ったのは、あの馬鹿共だ」

「だからといって、して良いことと、悪いことが有るでしょう。授業外での攻撃魔法は校則違反です」

中年の女性が、たしなめるような口調でカミラに語りかける。


「グランは一体あの低能から何を聞いてきたんだ? 私は攻撃魔法は対人に向けて使用していない。やむおえず防御陣は張りはしたものの正当防衛だ。たまたま跳ね返された炎が引火し爆発炎上に至ったことに関して、私のほうに問題があるとそう言いたいのかね。部屋に危険物を持ち込んでいる方を、罰したらどうだ。今すぐに」


カミラは真っ直ぐに相手の目を見てそう言い放った。


ここは校長室で、円形の部屋の中央にあるローテーブルを挟んで、カミラの学年を受け持つ中年の女性教師が一人と、背の小さい初老の男性の校長が柔らかく微笑んで座っていた。

カミラは革張りのソファーに深く座り、足を組んで膝に両手を組んでいる。何一つ悪びれた様子はなかった。毅然とし、商談に立ち向かう社長のような出で立ちだった。態度だけで言えば、この部屋で一番偉いと言った顔をしていた。


「あの子達の話では、あなたが怒鳴り込んできて喧嘩になった結果、あなたの魔法の使用によって、あの惨事に至ったと聞いているけど」

「信じたのか?ろくに現場検証もせずに」

「あなたにも話を聞こうと思って、この場を設けているんじゃない?」

女教師は多少はイラついた表情を隠そうと努力していたが、それでも言葉尻に敵意が漏れ出ていた。

カミラは持ち前の性格の悪さで、度々他の生徒と喧嘩をしており、これまで両手では足りない程度に校長室に呼ばれていた。


最初の頃は緊張した面持ちをしていたが、どいつもこいつも話がわからないと断定してからは、ここへ来ても一切怯むことはなかった。自身が潔白な身であると、彼女は信じて疑っていないのである。


やれやれと言った顔で、カミラは今回の事件のあらましを語ってやる事にした。


「わかった。私から言えることはこうだ。昨日は隣室と、隣室の向かいの部屋と、その右隣もドアが開け放たれ、音楽が爆音で鳴り、廊下には泥酔した馬鹿共がたむろしていた。菓子類やクラッカーのゴミが散乱し、まさにパーティーといった様子だったよ。主催はカトリーナだ。アイツは誕生日だったらしいからな。だから私は、もう少し、静かにしてくれないかと、隣室に伺いを立てたんだ。やさしい言葉で。そうしたら部屋に連れ込まれ、飲酒を強要された。私はそれを断り、部屋にかかっている音楽を下げ、騒ぐのを控えてくれないかと再び交渉した。そうしたらカトリーナは機嫌を損ね、私に向かって怒り出した。クソガキの私が学年首位であることが気に入らないだとか、そんなことを喚いていた。酔っ払いの情動は理解できない。年上ならもっと理性的であってほしいものだ。周囲の取り巻きは私を羽交い締めにしようとしてきたので、私は抵抗した。攻撃魔法はもちろん使っていない。防御のみだ。私に何も手出しができないことに逆上した彼女は、火炎魔法を私に向けて噴射し、周囲の物に引火。私は防御魔法でそれを跳ね返し、その跳ね返った火が部屋においてあったクリームドライド鉱石に着火し爆発炎上に至った」

「随分と聞いている話と違うけど」

「そうだろう。奴らは結託して口裏を合わせ、私を悪者にしようとしている」

「それでも、普段の素行を見るに、なにかいらないことを先に言ったのはあなたの方じゃないの?」

「さあ?そうだとしても何故武力行使をするのか。言葉で言い返せない程度に頭が悪いから、手が出るんだろう。全く野蛮な連中だ。さて、今回も私を悪者にすれば全てが丸く収まるだろう。早くこの生産性のない、無駄な話し合いを、終わらせてくれ。暇じゃないんだ」


「ウッドヴァインくん」


ずっと黙っていた校長がカミラを見上げ、ゆっくりと口を開いた。カミラはそれを見て、亀のような男だと思った。

「なんですか」

「ここでの生活が不満かね」

「ええ。ここに居るのは、些か不満です」

カミラは皮肉ったらしく言葉を吐き捨てた。

「具体的にどう不満かな」

「同室の人間と気が合わない。全ての生活音が苛つく。夜になっても、物音がずっとしているのが不快。皆騒がしく馬鹿で、ルールを守らない。食事の時間を制限されるのも、風呂に入る時間を制限されるのも嫌だ。集中して勉強ができない。授業だってレベルが低い。あんなのは、教本を1回読めば誰にだってできる。もっと高度な応用などを実践させる気は無いのか?教科書を読みきかせるだけなら、読み上げソフトを導入するべきだ。これで人件費も削減できる」

そうまくし立てると、彼女はローテーブルの上に置いてあるチョコレートの入った皿を自分のほうに手繰り寄せ、包みをあけてむしゃむしゃと食べ始めた。校長が置いているチョコはおいしいので、せめてこの無駄な時間の対価のつもりである。

「私はね、君の魔法の才能にはとても期待しているんだよ。地球側の生活圏から此方側にやってきて、私たちよりも、はるかに膨大な魔法力を持ち、いつも熱心に勉学に励んでいる。純粋な魔法族にはない発想と、卓越した記憶力もすばらしい。君はいつか偉大な魔法使いになるだろう」

校長は静かに柔らかな声で言葉を紡いだ。この男はカミラがなにか問題を起こしても、さして叱るようなことはせず、いつだってぼんやりとした顔をしていたので、こんなに喋るのは初めてだった。

「それはどうも」

「だが、君には集団生活が向いていないし、ここの学術レベルは君にふさわしくない」

「再三私が述べてきてわかりきった事実を、ご存知でないとばかり。耳の検査をおすすめするところでした」

「そう怒らないでおくれ。特例を出そうかと考えているんだ」

その言葉を聞いてカミラは、きっと校長を睨みつけた。英国に居たときもそうだった。なにかと理由をつけては、いくつも学校を転校させられてきたのだ。もっとふさわしい場所があると、皆口を揃えて言ったが、本音は問題児を追い出したいだけだった。


「勝手に呼びつけておいて、体よく追い出すつもりですか。異界側のよくわからない法律のせいで、私はこの島に連れてこられたというのに。私を今すぐ英国に帰す気がないなら、転校しろだのという要求は呑まない」

「君の将来を思って、私も色々と考えていたんだよ。それでね、私の魔法の先生を紹介しようかと。学期ごとに成績はその人につけてもらう。君は個人指導のほうが、きっと向いているだろうからね。もう話はあらかたつけているんだ。あとは君の承諾と、親御さんからの手続きさえ終われば問題はない」

「ここに通わなくていいと?」

学校をかわれという話かと思っていたが、どうやらホームスクールの打診らしいことを把握し、カミラは少し驚いた顔をした。大人はどいつもこいつも集団生活を強要するから。

「そうだね。学籍はここに置いておくから、学校の施設は自由に利用してもらってかまわないよ。君が地球側の生活圏で、魔法を行使してもかまわないと認可が下りるまであと3年。その間先生の下で魔法を学ぶんだ」

「なるほど。興味深いです。ここよりはマシであることを、保証していただけるならばの話ですが」

「スプラウトヴァージュの魔法理論の著者を、知っているかね?」

「勿論。全ての魔法教育の礎となったと言っても過言では無い、素晴らしい名著です」

「その人が君の先生ならば、不足は無いだろう」

「本当に言っている?」

カミラは目を見開いた。スカイブルーの瞳の中には好奇心が隠せないといった様子で、きらきらと光が瞬いている。

「良い先生だよ。ウッドヴァインくんは、若い頃の私に似ているからね。きっと先生と気が合うさ」

校長は穏やかな顔で、にこにこと笑った。

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