第2話 大谷翔平になりたくはない


ここ一、二年、大谷翔平のニュースくらいしか楽しみがありません。


日本人がアメリカの野球人たちを抑えてホームラン競争して、しかも投手って、

みたいな状況は、日常にはない新鮮さをもたらしてくれるので


ていうか自分の日常にあまりに変化がないので


そういう他人様の劇的なニュースを見て、非劇的な日常にわずかな変化を与えているわけです。

むなしいとか言わないでください。泣いちゃうので。


そんなわけで、近年の私のターゲティング広告は、野球ニュースばかりになってしまったのですが、

そのような凄まじい活躍を見ていると、


「はぁ、社会は結局、突出する人によってのみ支えられているのだな」


なんて、思考が飛躍したりします。



例えば、科学の世界なんかは顕著だなと思うのですが、


世界の基幹部分を変えてしまうような斬新な発見をする人は、科学者の中でもほんのわずかで

あとの人たちは畢竟、その凄まじい人たちの発見の検証をしたり、精査をしたり、横展開や発展をさせたりしているだけなんだよね、と。

(私の認識がただしければ、ですが)


当然、その後追いする方たちも、一般ぴーぽーからしたら化け物のような人たちなのですが、

しかし、最初の発見ができる、できた、わけではなく、

ほんのわずかの「0を1にする人たち」がいなかったら、この世界はずっと別の形をしてるんだろうな、


なんて、ブランコを漕ぎながら考えたりします。


そんな、「0を1にする先駆者」というのは、恐らくほんとに少なくて、

しかし、その人達によってのみ、世界は変化し、動かされる。


逆に言えば、実はこの世界はもっと便利にできるはずなのに、

0を1にする人がその分野でいないために、

我々は気づいていない我慢をしながら生きているのかもしれないな、なんて。


そんなことを考えながら、ブランコを漕いでいます。


他方、

そんな人達はすごいなぁ、と思いはするのですが、

そういう人たちがきちんとお金をもらえているのかというと、そうでもないのも知っています。

大谷翔平さんみたいに、有名スポーツの先駆者ならまだしも、



恐ろしいことに15分来てしまいました。ルールなのでおしまいです。

これでいいのかこのエッセイ……



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