Vtuber猫柳ミココの憂鬱

鈴木魚(幌宵さかな)

Vtuber猫柳ミココの憂鬱

「こんばんにゃー。ううぅ、今日はみんにゃに残念なお知らせをしなきゃいけないよー」

 私、猫柳ミココは数年前から◯ouTubeを中心に活動をしている個人勢の猫系Vtuber。

 先日、チャンネル登録者は五万人に到達した。

 ここから更に登録者数を増やして、一気に人気Vtuberの仲間入りをする予定。

 そんな野望に燃える私は、登録者五万人達成記念で“歌ってみた”動画をアップロードして、ファンのみんな(ファンネーム:飼い主さん)と一緒に動画を見ながら盛り上がる、そんな企画を考えていたのだけど……

「ごめんにゃー。ちょっとトラブルがあって“歌ってみた”動画の投稿はもう少し遅くなりそーなんだ」

 私の発言にチャット欄の“飼い主さん”たちが反応し、次々にコメントが投稿される。 


 ―ざんねん!

 ―そうなんだね。発表されるのを楽しみに待っているよ

 ―機材トラブルとか?

 ―もしかして喉が痛いとか?大丈夫?


 素直な感想や私の体調を気遣うコメントなど、たくさんの“飼い主さん”の声にチャット欄が埋め尽くされる。

「みんにゃ、ありがとうー!私は元気だよ。うーん、ちょっとした行き違いで、“歌ってみた”動画用のイラストの納期が遅れちゃっているんだよねー。もう歌録りとMIXは終わっているから、もう少しだけ待っていてねー。その代わり、今日は久しぶりの生歌配信をしちゃおうかなー!」


 ―マ?!

 ―生歌配信久しぶりだ!


 私の発言に驚きと喜びの声がチャット欄に溢れた。

「では、楽曲のリクエストをどうぞ!」

 私がそう言うと、目で追えないぐらいの速さで大量のコメントが投稿され始めた。


「では、みんにゃ、お疲れ様にぁ―」

 私は配信の終了ボタンを押すと、ふーと大きく息を吐き出して天井を見上げた。

「危なかったー。なんとか切り抜けたー」

 愛用の白いゲーミングチェアに体重を預け、リクライニング機能を使って、水平に椅子を倒した。

 今日の生歌配信は、数時間前に急遽決めたアドリブ企画で、準備不足だったけど、特に大きなトラブルもなく無事に終わってよかった。

 ギリギリまで“歌ってみた”の動画用のイラストが届くのを待ってしまった私の優柔不断さが原因ではあるのだけど、今回の動画は五万人という大きな区切りでもあるし、かなり気合いが入っていたのは事実。歌録りやMIXにこだわるのはもちろんのこと、動画用のイラストも昔から大好きだった絵師さんに依頼して、ずっと届くのを楽しみにしていたのだ。

 私は携帯のメール受信フォルダを開いた。

 メールボックスに届いているのはメルマガのみ。

「なんで返信が来ないんだよ!」

 私は叫びながら、携帯をベッドに向けて投げつけた。

 携帯は柔らかいマットレスの上でバウンドして、掛け布団の上に乗って止まった。

 絵師さんに連絡したのはおよそ3ヶ月前、その時はすぐに返信が来て、ラフ画の完成も早かった。

『では、本絵に取り掛かります』

 そう返信が来た後、連絡が取れなくなってしまった。

 それだけじゃなく、ほぼ毎日投稿していたSNSのイラスト投稿も止まってしまっている。

「心配じゃん。どうしたんだよ」

 私は、天井に向かって呟いた。


 次の日、半端なメイクをマスクで隠して、私は自宅を飛び出した。

 登録者五万人のVtuberといえどもそれだけでは暮らしていくことは到底できない。

 そのため、私はVtuberとは別に人間としての生活を……、まぁ、簡単に言うと普通に企業で会社員として働き、給料をもらっている。

 朝の満員電車に揺られ、やっとの思いで出社。そのまま自席に崩れるように座り込む。

「もう来るだけで疲れるー」

 とあえずパソコンの電源を入れて、起動するまでの時間を机に突っ伏していると、急に後ろから名前を呼ばれた。

「××くん」

 もちろん、この時は猫柳ミココではなく、現実世界での本名をである。

「は、はい!」

 サボっていたのを見られたので、私は弾かれたように体を起こして、後ろを振り返る。

 そこには、にこやかな笑みを浮かべる加藤部長がいた。

 四十代中盤の管理職。私が入社した時からの上司だ。

「あ、か、加藤さん!私は別にサボっていた訳ではなく、パソコンの起動までの時間を自分自身の起動時間に費やしていただけで……」

「うん。見ていたから知っているよ。会社のパソコン起動遅いからなー」

 そうそろ替え時だよなーとか、ブツブツと加藤部長は言い始めた。

 あれ?サボってたの怒っている訳じゃなさそうだな。

「そうそう、××くんに頼みたいことがあったんだけど、いい?」

「あ、はい!」

「営業の田口くんって確か××くんの後輩で、入社時には教育係していたよね?」

「田口さん?はい、そうです。私が担当でした」

「そうだよねー」

 部長はうん、うんと一人で頷き納得すると、スーツのポケットから茶封筒を取り出して、私に差し出した。

「?なんですか?」

「その田口くん、営業部に配属されて、とても頑張っていたんだけど、先月顧客の方とトラブルがあったみたいで、そのまま体調を崩して入院したみたいなんだよ」

「え、そうなんですか!」

「そう、僕たちの部署は内勤だから、今まで情報が回って来なかったけど、もう二週間近く入院しているみたいなんだよ。会社としても心配だし、もしよければ××くんにお見舞いに行ってもらいたと思ったんだよね。この封筒の中には二万円が入っているから、果物の盛り合わせとか、田口くんが好きそうなものを見繕ってくれたら嬉しいよ」

「なるほど」

 私は差し出された封筒を受け取った。

「それと……」

 そう言うと急に加藤部長は声を顰(ひそ)め、私の耳元で囁いた。

「もしパワハラやモラハラをされたという話を聞いたらすぐ私に報告して欲しいんだ」

 言い終わると加藤部長はすぐに声色を戻して

「頼んでもいいかな?」

 涼しい顔をして微笑んだ。

 私は加藤部長の顔をジト目で見つめた。なるほど、本当の目的はそっちなんですね。と目線だけで伝える。

 私が勤務しているこの会社はパワハラ、モラハラに厳格で、女性も働きやすい職場ということを大々的にアピールしている。

 実施、女性社員も多く、外部からの評価も高い。

 そんな良いイメージが定着している会社だからこそ、パワハラやモラハラへの対応は社内の急務案件というわけか。

「わかりました。承ります」

 私はお見舞いを了承して、頷いた。


 終業後、駅前のデパートで買ったフルーツの盛り合わせを抱えて、私は田口が入院している病院に向かっていた。

 このお見舞い訪問の時間にもきちんと残業代を払うというのだから、弊社はホワイトな企業ともいえるのかもしれない。

 駅からバスを乗り継いで、見知らぬ土地の大きな総合病院に到着した。

 正規の面会時間は過ぎてしまっているので、守衛室で手続きをして、田口の病室に向かった。

 病院の消灯時間は私が思っているよりも早いみたいで、廊下の照明は通常の半分ぐらいしか点灯していなかった。

 薄暗い雰囲気の廊下を進んだ先の部屋に、田口の名前を見つけたので、私は扉を軽くノックした。

 部屋の中でゴソゴソと人が動く音は聞こえたが、ノックに対する返答はない。

 もしかして、寝ている?

 私がもう一度、さっきより大きめに扉をノックすると、

「わぁ!」

 という田口の声が部屋の中から聞こえてきた。

 なんだ起きているんじゃないか。

「こんばわー。田口さん元気?お見舞いに来たんだけど……」

 私が部屋に入ると、そこにはこちらを驚いた表情で見つめる田口がベッドの上に座っていた。

 照明が消されたままの部屋は廊下と同様に薄暗かったが、それでも何も見えないほど暗くはなくて、田口の姿が私にははっきりと見えていた。

 田口は疲れ切ったような酷い顔をしていて、目の下には大きな隈が刻まれている。そして、田口の首には細く裂かれた布のようなものが巻かれ、反対側の先はベッドを囲うカーテンレールの上で縛られていた。

ベッドから、あと一歩、座ったまま飛び降りれば、その布は田口の首を締め付けて、酸素の供給を阻害し、呼吸困難を招くだろう。

「ちょっと!あなた何やっているの!!」

「え、あれ?××先輩?なんでここにいるんですか?」

「どんでもいいのよそんなこと!それより、首の布を外しなさい!」

 私は田口のベッドに駆け寄ると、田口を抱きつくように抱えて、首から布を外した。

 田口はぼんやりと私の顔を眺めるばかりで特に抵抗もせず、私にされるままにベッドに寝かされた。

 

 備え付けの冷蔵庫を開けると、ミネラルウォーターが入っていたので、それを紙コップに移して田口に少しだけ飲ませた。

 首を見てみたが特に目立った跡はなかった。

「どうしたの?大丈夫?」

「あ、は、はいごめんなさい」

 私は折り畳まれていたパイプ椅子を出して、田口のベッドの横に広げて座った。

「はぁ、タイミングが良くてよかったよ、指導した後輩に死なれるとか、私嫌よ」

「はい、ごめんなさい。みんなに迷惑ばかりかけてしまって、本当はもっと頑張りたかったのに……」

 そう言いながら、田口が泣き始めた。

「泣かないでよ。大丈夫だから。誰も迷惑なんてしてないから」

 私はボロボロと涙を流して泣く田口の頭を撫でた。

 責任感の強い子だとは思ったけど、ここまで追い込まれていたとは。

「涙拭かないとね」

 そう言いながら私はティッシュを探したけど、見当たらなくて、

「あれ?ティッシュないの?」

 ベッドの下を覗くとそこに箱のティッシュが落ちていた。

 首を吊ろうとした時に落ちたのだろう。

 私が屈んではティッシュを取ろうとして、その隣に何か板のような黒いものが落ちているのに気が付いた。

「?」

 触ってみると、それは液晶のタブレットだった。

 入院しても会社の仕事をしようとしていたのだろうか。

「田口さん、仕事が心配なのはわかるけど入院中ぐらいは仕事のことを忘れて……」

 そう言いながら、何気なく私はタブレットの画面を見た。

「あ、」

 そこに見たことある人物が写っていた。

「これって」

 長い黒髪に、輝く金色の瞳、頭の上にはもふもふの大きな猫耳。

「猫柳ミココ」

 それは私だった。いや正確に言えばVtuberとしての私の体が、礼美な衣装に身を包み、妖艶なポーズでこちらを見つめていた。

 田口は私の言葉が耳に入らないように、ぐちゃぐちゃになりながら泣いている。

「そういうことか」

 全ての点が繋がってしまった。

 私の大好きな絵師さん、それが田口だったんだ。

 そして田口は体調を崩して入院、私の“歌ってみた”の動画用のイラストは間に合わず……。

 田口が泣き始めた理由の一つに、この絵が納品できていないこともあるのではないだろうか?

「ねぇ、田口さんて、もしかしてあなた、◯◯さんていうイラストレーターじゃないの?」

 泣いていた田口が驚いたように顔を上げた。

「な、なんで、そのこと」

 私はタブレットを田口に渡した。

「私、◯◯さんのイラスト大好きなの」

「え、あ、え、ありがとうございます」

 少し混乱した田口がタブレットを受け取りながら答えた。

「そのイラスト、猫柳ミココでしょ?」

「え、それも知っているんですか?」

「うん。知っているも何も……」

 私はそこで大きく息を吸い、OLモードからVtuberモードへと声を変える。

「こんばんにゃー!猫系Vtuber、猫柳ミココだにゃー!みんなの心に猫パンチ!」

「え?」

 私の声を聞いて、田口が固まる。

「私が猫柳ミココなの。普段はOLに擬態しているけどさ」

 私は咳払いをして、声を普段の声色に戻す。

「今、イラストを見てわかったの。これ、私が頼んでいた“歌ってみた”の動画用のイラストでしょ?」

「あの、私、ごめんなさい。せっかく私を選んでくれたのに……」

 田口の目に再び、涙が溜まり始めたので、私は慌てて田口の両手を握った。

「違う、違う!そうじゃなくて、私は田口さんのイラスト大好きなの!だから、田口さんが良ければ……」

 私は田口の耳元でこっそりと囁く。

「え、でも、そんな……」

「もしよかったら考えてくれたら嬉しいなーなんて。まぁ、でもその前にまずは元気にならないとね!」

 私はぼんやりと顔を見つめてくる田口に笑いかけた。


 数ヶ月後


「こんばんにゃー!みんな元気か―?」


 ―こんばんにゃー!

 ―こんばんねこ!


 私の声に、飼い主さんたちが挨拶を返してくれる。

「S N Sで事前に告知もしていたけど、今日は雑談配信と、なんと重大発表があるんだよー」


 ―楽しみ!

 ―待機していたよー!


 歓喜に沸くチャット欄を見つめた後、私は隣に視線を移した。

 私の隣には画面のコメントを真剣な表情で見ている田口がいた。

 緊張した顔をしているが、入院していた時に比べて、明らかに顔色は良くなっている。

 私は視線を配信画面に戻した。

「今回の重大発表は、数ヶ月前に発表できなかった“歌ってみた”の動画公開です!そして更にー……」

 そこで私は一呼吸を開け、田口の肩にそっと手を触れた。

 田口が、ハッとしたように私の顔を見たので、私は笑いながらうなずいた。

「なんと新衣装をお披露しまーす!」


 ―新衣装!?

 ―助かる!

 ―聞いてない!(言ってないからね)

 ―え、楽しみ!


 チャット欄にコメントがすごい勢いで投稿される。

 それを見て私は微笑む。


 これは、あの日私が田口に相談した企画の1つだった。

 “新衣装のデザインを頼みたい”

 仕事で追い込まれて、自信をなくしてしまっていた田口にそんなことを頼むのは酷なことかもしれない。そう思いながらも、できなかったことで自分で責め続けるよりは、何か別の目標で、挽回できるチャンスがあった方がいいのではないだろうか?

 私はそう思って、無責任にも田口を信じ、企画を相談したのだった。


「静まれ!静まれ!今見せるから」

 私はそう言いながら、新衣装を着た猫柳ミココのアバターをボタン1つで公開できるように設定をした。

 私から見てもうっとりするその衣装デザインに、きっと“飼い主さん”たちも喜んでくれるだろう。

 私は田口の方をもう一度見た。

 田口はぎゅっと口を固く結びながら、私の方をじっと見つめていた。

 このデザインを嫌いな人がいるわけない。

  ―大丈夫。

 私は声を出さず、口の動きだけで田口に話しかける。

 田口が泣きそうな顔で、大きく頷いた。

 私は配信画面に向き直り、公開のボタンにマウスのカーソルを合わせた。

「いくぞ、これが新衣装だー!」

 ボタンが押され、全世界に田口がデザインした猫柳ミココの新衣装が公開された。



 余談

 

 まぁ、心配になるリスナーもいるかなーと思うので、田口についてもう少し話そうかな。

 田口が入院した原因は取引先の新しく担当になった人からのパワハラだったんだよね。

 昔から取引のある会社なんだけど、新担当はかなり横暴なやり方を勧めてきたらしい。田口はそれを自分一人でなんとかしようと無理して、倒れて入院することになってしまった。

 もっと周りを頼ることも教えるべきだったかなー。

 で、ことの経緯は私から加藤部長に報告されて、そこから会社を通しての抗議、加藤部長の個人的な人脈を使っての圧力。そしてダメ押しは営業部のエースで、圧倒的なトークスキルを持つ村田くん(田口の仇を取ってきてやる!と言っていた)の投入。

 新担当は即解任され、その会社は村田くんが引き継いで担当することになったってわけ。

 田口はというと、加藤部長がしれっとうちの部署に転属させて、今は私の後輩として働いている。

 そんなうまいこといくのか!?みたいなツッコミもあるだろうけど、事実は小説よりも奇なりってことよ。

 じゃあ、そろそろ私も配信を切って、お風呂にでもいこうかな。

 また次の配信も見にきてね。

 みんにゃ、お疲れ様にゃー!


fin.

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Vtuber猫柳ミココの憂鬱 鈴木魚(幌宵さかな) @horoyoisakana

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