小さな変化 1
「旦那様、王都からこちらが届きました」
カントリーハウスの書斎で各地からの報告書の確認をしていたジルベールのもとに、モルガンが手紙を持ってやってきた。
ジルベールは報告書から顔を上げて、モルガンから手紙を受け取ると、封蝋に押された刻印を見て薄く笑う。
ペーパーナイフで封を切って中を確認すると、そこにはジルベールの希望の通り書類を整えている旨が記されていた。
(これでもしものときも問題ない)
ジルベールがホッと息を吐くと、モルガンがジルベールが確認を終えた分の報告書をまとめながら、気づかわしそうな視線を向けてきた。
「……本当によろしいのですか? そちらが通れば、最悪……」
「いいんだ。……最後に決めるのは、セレアだからな」
ジルベールは手紙を封筒の中に戻すと、鍵付きの引き出しの中に納めた。
そして時計を確認して立ち上がる。
(そろそろ昼食だな)
セレアは未だに微熱がある。今朝セレアの診察をした医者のドニはそろそろ大丈夫だろうと言ったが、念のためあと二、三日は安静にさせておくつもりだ。
「セレアの部屋に食事を運ばせてくれ」
「いつも通り、旦那様のものも一緒で構いませんか?」
「もちろんだ」
セレアに一人淋しく食事を摂らせるつもりは毛頭ないのだ。
ジルベールは書斎を出ていくと、まっすぐにセレアの部屋へ向かう。
すると、ちょうどロメーヌが部屋から出ていくところで、ジルベールは苦笑した。
ロメールはすっかりセレアの母親になったつもりで、何かと彼女の世話を焼いている。セレアもロメーヌに懐いていて、良好な母とセレアの関係にホッとするも、セレアの選択次第ではロメーヌはとても悲しむだろうなと思って心が痛かった。
「あらジルベール。ちょうどよかったわ。セレアちゃんと指輪の話をしていたのよ。今度宝石商を呼ぶから、それまでにどんなものがいいか二人で話して決めておいてちょうだい」
「母上、指輪ってなんですか?」
「結婚指輪に決まっているじゃないの! 事情が事情ですもの、結婚式は先のことでも仕方がないけれど、せめて指輪くらいは準備しておきなさい」
ジルベールは唖然としたが、ロメーヌにはセレアと結婚したと伝えているので、ここで下手に断るとややこしいことになりそうだと口をつぐむ。
(しかし指輪か……)
セレアは嫌な気持ちにならなかっただろうか。
急に心配になって、ジルベールはロメーヌに「わかりました」とだけ答えて急いでセレアの部屋に入る。
するとセレアは、ソファに座ってどこかぼんやりした顔をしていた。
「セレア、どうした?」
「ん? ああ、ジル様か……」
声をかけるとセレアは振り返って、ちょっと困った顔をした。
見れば、セレアの手元には指輪のデザインのカタログがある。
セレアはカタログをジルベールに見せて肩をすくめた。
「お義母様が好きなデザインを選べって言うんだけど、こういうのはさっぱりわからなくて」
「母上から廊下で聞いた。その……母上が性急ですまないな」
「ううん、それはいいんだけど……」
ジルベールは、おや、と思った。
てっきり「妻じゃないのに結婚指輪なんて!」と言い出すと思ったからだ。
ジルベールはセレアの隣に座ってカタログを受け取る。
分厚いカタログと、カタログの隅の方に記載されていた商会名にジルベールは苦笑した。ここの商会は装飾品関連をメインに取り扱っているところで、国内どころか国外にまでその名を轟かせている人気の店だった。すべてオーダーメードで量産しないから時間がかかるのに、常に注文が殺到しているので、数年待ちは当たり前の店である。
(確か母上はここにコネがあったからな……)
ロメーヌがこのカタログを持って来たということは、特急注文でねじ込ませることが可能だからだろう。だがそれを言うとセレアが気後れしそうなのでもちろん黙っておく。
「好きなのを選べばいいんじゃないか? ここにあるデザインが気に入らなければ、デザイナーを呼んで一から作らせることも可能だぞ」
カタログは注文主が困らないようにデザインを載せているだけで、例えば台座はこのデザインで、リングの部分はこのデザインと言う形で組み合わせることも可能だし、まったく一からの注文でも受け付けてもらえる。
そう言うと、セレアはますます困った顔になった。
「そう言われても、わたし、こういうの詳しくないから……」
「純粋に好きなのを選べばいいだけだ」
「好きなのね……」
「希望はないのか?」
セレアが、ジルベールの膝の上のカタログを覗き込む。
「できればあんまり派手じゃなくて大きくないのがいいんだけど」
「じゃあこのあたりかな」
ジルベールはパラパラとカタログをめくった。
カタログは、存在感のあるデザインのものから比較的シンプルなものまで部類分けしてある。
「このあたりならリングも細いし、石も大きなものでなくて大丈夫みたいだ」
「確かにこのくらいなら……」
もちろん、使う宝石が小さくなる分、公爵夫人にふさわしい希少価値が高くハイグレードの石を選択する必要があるが、それも黙っておく。幸か不幸か、セレアはあまり宝石の価値に詳しくないみたいなので、石が小さければその分安いと誤認している節があるからだ。
「この、小さめの石を三つ並べるデザインなんかどうだ? シンプルだぞ。あとは……こっちは? 台座が花の形をしていて可愛らしい」
「うん……」
派手なデザインに気後れしていたようだが、ジルベールが開いたページのシンプルな指輪には心動かされたらしい。
若干前のめりになったセレアが、真剣な顔をしてカタログを見つめる。
「こっちは可愛らしすぎてジル様向きじゃない気がするわ」
「俺のことは気にせず自分が好きなものを選べばいい」
二人で指輪のカタログとにらめっこしながら、ジルベールは不思議な気持ちになって来た。
まさかセレアと結婚指輪のデザインを相談する日が来るとは思わなかったからだ。
(こうしていると、本当の夫婦みたいだな)
口にすればセレアが怒るのでもちろん言わないが、今のセレアは、ジルベールとの結婚を嫌がっているようには見えなかった。
「今日中に決めなければならないわけじゃないんだ、候補を絞って、ゆっくり決めればいいさ」
いくつか気になるのはあったみたいだが、決めきれず悩むセレアに言えば、彼女はカタログから顔を上げて笑った。
「そうね」
ジルベールは軽く目を見張った。
食事やお菓子を食べているときに笑うことがあっても、何もないのにジルベールにセレアが笑いかけたことなどあっただろうか。
「……そろそろ昼食だ。用意させよう」
ジルベールは上ずった声で言って、さっきまで見ていたページに印をつけると立ち上がる。
窓辺のライティングデスクの上にカタログを置きながら、胸の中に、草花が風に遊ばれるような不思議なざわめきを感じていた。
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