力の限界 2
「退屈だぁ~」
セレアはごろーんとベッドの上を転がった。
新しい水差しと、それからレモンと蜂蜜を落とした水を持ってきてくれたニナがくすくすと笑う。
「お熱が下がるまではじっとしておかないとダメですよ」
「熱って言ったってもう微熱じゃない。ジル様は大げさすぎ!」
セレアが倒れて、今日で四日目だ。
邸の玄関で倒れたセレアは、それから二時間ほどで目を覚ました。
目を覚ましたときは高熱のせいか全身が気怠くて、寝返りを打つことすら億劫だったが、一日もすれば微熱程度にまで熱が下がって、倦怠感もなくなった。
それなのにジルベールは、熱が完全に下がるまでは寝ているようにとセレアに厳命したのである。
「大げさじゃない。どれだけ心配したと思っているんだ。それから何度言えばわかる。ベッドの上で暴れるな。何のために安静にしていると思っている」
「うげっ」
どうやら近くにいたらしい。
怒った顔をして部屋に入って来たジルベールに、セレアは「やばっ」と頭まで布団をかぶる。
この四日、ジルベールは暇さえあればセレアの様子を見に来るのだ。
さすがに四六時中張り付くのは、領主の仕事があるから不可能なようだが、仕事以外はずっとそばにいると言っても過言ではない。
ジルベールのお小言から逃れようと頭まで布団をかぶったが、ジルベールはそれで諦めて部屋を出て言ったりはしなかった。
「おとなしくしておかないといつまでたっても熱が下がらないぞ。見せてみろ」
ジルベールは布団をはぎ取ると、セレアの額に手を乗せる。
ひんやりとしたジルベールの手が気持ちよくてセレアは目を細めた。
「まだ熱がある」
「だから微熱だってば!」
「微熱でも熱だ」
どうあっても平熱に戻るまではセレアをベッドの上に拘束したいらしい。
どうやら仕事がひと段落したのか、ジルベールはベッドサイドの椅子に腰を下ろした。
ニナが気を使って部屋を出ていく。
「……魔物はどうなったの?」
黙っているのも気まずいのでセレアは訊ねた。ここ数日、ジルベールが領内に残る魔物の討伐の指揮で忙しいことを知っていたからだ。
瘴気溜まりは浄化したが、そこから発生した魔物は各地に広がっている。
瘴気溜まりが消えたので魔物が新しく生まれることはないが、放置しておけば当然被害が出るので、できるだけ早くすべて討伐してしまいたいとジルベールは言っていた。
「だいぶ片付いた。とはいえまだ完全ではないし、どこかに潜んでいる可能性もあるからな、まだしばらくは騎士や魔術師たちに領内を巡回させる予定だ」
「強いのはいなさそうなの?」
「今のところは聞いていないな」
「そっか……」
騎士や魔術師の中に被害者が出るほどの強い魔物がいるならセレアが向かった方がいいかもしれないと思ったが、ジルベールの話ではそれほどの危険な魔物はいないようだ。
セレアがホッと息を吐くと、ジルベールが眉を寄せた。
「まさか君、魔物を浄化しに行こうと考えているわけじゃないだろうな」
「強い魔物がいるなら、わたしが向かった方が……」
「ダメに決まっているだろう!」
思いのほか強い反対を受けて、セレアは目を丸くした。
「なんでよ」
「なんで? 君は倒れたんだぞ? 元気になったからいいという問題じゃない。それに、瘴気溜まりを浄化するのは聖女にしかできないが、魔物の討伐は騎士や魔術師にもできる。君でなくていいなら君が動く必要はどこにもない。君は公爵夫人なんだぞ!」
(まだ夫人じゃないわよ!)
ロメーヌやここの使用人がどこで聞いているかわからないので口には出さないが、セレアはむっと唇を尖らせた。
「誰かが被害に遭うよりわたしが動いた方が確実じゃないの!」
「それでまた君が倒れるのか? 冗談じゃない! それに君、聖女の力を使うのを嫌がっていたじゃないか。なんだって急にやる気を出したんだ」
「別にやる気を出してるわけじゃないわよ!」
今だって聖女の力を使うのは嫌だし、こんな力がなければ自分はもっと平穏に生きていられたのにと思う。
でも――見てしまったから。
魔物と戦って疲弊している騎士や魔術師の姿や、瘴気の影響で枯れた草木や田畑。瘴気によって命を奪われた動植物の慣れの果て。
七年前に一度だけ見た小さな瘴気溜まりとはまるで違った。
あんなものに苦しみ続けた人たちが少しでも早く平穏を取り戻せるようにと、今では思う。
ちょっと前までは、顔も知らない他人のために自分が犠牲になるのは嫌だと思っていたけれど――あれを見た後ではそんなことは思えない。
「わたしが何とかできるならわたしが動いた方がいいじゃないの。幸いにして、瘴気溜まりが発生しやすくなる時期は終わったみたいだから、残る魔物を片付ければ当面は魔物の脅威に怯えることなく暮らせるでしょう?」
「何度も言うが、残っている魔物は君でなくても討伐できる。新たな瘴気溜まりが発生すれば、君の力を頼ることになってしまうだろうが、そうでないなら君は動く必要はない。今君に必要なのは休息だ。安静にして、自分の体のことだけを考えろ」
「あんたはわたしのこの力が目当てだったんじゃないの?」
「違うとは言えば噓になるが君を苦しめたかったわけじゃない!」
捕まえて閉じ込めておいてどの口が言うんだとセレアはあきれる。
ジルベールはぐしゃりと前髪をかきあげた。艶やかなプラチナブロンドがさらりと揺れる。
「君の力がほしかったのは嘘じゃない。君が聖女だから手に入れようとしたのも本当だ。でも君を酷使したいわけでも傷つけたいわけでもない。俺は俺なりに君のことを大切にしようと思っているし……君は気に入らなかったみたいだが、君が不自由なく幸せに暮らせるようにと俺なりに考えてもいるんだ」
セレアは思わず閉口してしまった。
レマディエ公爵家のタウンハウスに、豪華なドレスやアクセサリーがたくさん用意されはじめたのも、もしかしなくてもジルベールなりにセレアが喜ぶことを考えた結果ではないかと今更ながらに気がついたからだ。
セレアはまるで、高価なものさえ与えておけば自分が言うことを聞くと思われているのではないかと思って気に入らなかった。
籠に閉じ込められたペットと同じだと思って腹を立てた。
もの扱いするなとジルベールに怒った。
でもジルベールは、そんなつもりはこれっぽっちもなかったのかもしれない。
(……わたし、すごく失礼なことを言ったのね)
ジルベールは純粋に、セレアが喜ぶと思っていたのだ。
貴族社会が嫌だ。セレアの力を利用しようとする人間が嫌だ。自由になりたい。そんなことばかり考えて、ジルベールと生きる未来を候補に上げていなかった。
ジルベールが何を考えて、セレアのためにどれだけ心を砕いてくれているのか、それらは最低限知るべきだった。
このままなし崩しに妻にされそうだと腹を立てるだけではなくて、彼との未来を、せめて選択肢には上げるべきだったのだ。
(ジル様のことをひどい男だって思ったりしてたけど、ひどいのはわたしの方なのかも)
やり方はどうあれ、ジルベールはセレアをデュフール男爵家から救ってくれた。
デュフール男爵家で暮らしていたときとは比べ物にならないほどの自由と豊かな暮らしを提供してくれた。
それは、認めるべきだった。
「抜き差しならない状況になったら君を頼ることもあるかもしれない。でもそれは今じゃない。頼むから大人しく休んでくれ」
レマディエ公爵家の瘴気溜まりはすべて浄化したが、他の貴族が治めている地域はどうすることもできない状況だ。
すべては無理にしても、ジルベールが懇意にしている貴族たちから、セレアの貸出要請が入るかもしれない。
もちろん今は、ジルベールのもとにセレアが――聖女がいることは知られていない。
しかし、それは永遠に続くことじゃない。
現在アングラード国で観測されている聖女で、動けるのがセレアだけならば、貸出要請があればジルベールだって強くは断れないだろう。
(そうなったとき……ジル様は、今みたいな顔をするのかな)
目の前のジルベールは、とても苦しそうな顔をしていた。
セレア同様、遠くない未来にほかの貴族から要請があるだろうと考えているのだろう。
「ジル様……なんか甘いものが食べたいわ」
これ以上この話題は続けない方がいい。ジルベールに辛そうな顔はさせたくない。
セレアがわざと明るい声で言えば、ジルベールがハッと時計を確認した。
「そうだな、そろそろティータイムの時間になる。用意させよう」
ジルベールがちょっと笑って椅子から立ち上がった。
部屋を出ていくジルベールの後姿を見つめながら、セレアは、以前ほどあの強引で俺様な公爵様が嫌いではないかもしれないと、思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます