だから夫婦じゃありませんから! 2
(って、前言撤回)
セレアは、日が暮れる前にたどり着いた町の宿の部屋で、腕を組んでむむむっと考え込んでいた。
目の前では、椅子に座ったジルベールが優雅にお茶を飲んでいる。
ここは公道沿いにあって、大勢の旅人が立ち寄るため、宿の多い大きな町だ。
その中で一番高そうな宿の、さらに一番高い部屋をジルベールが取ったので、この部屋は大きなベッドルームに、続きのバスルーム、それから主人の身の回りの世話をする使用人部屋まで完備している。
続きの使用人部屋は、ニナと、ついてきたもう一人のメイドが使うことになっているが、まあそれはいい。
問題は、この豪華な部屋を使うのが、ジルベールだけではなくてセレアもだということだ。
「なんでわたしがあんたと同じ部屋なの?」
ニナたちが続き部屋に下がると、セレアは待っていましたとばかりにジルベールに文句を言った。
しかしジルベールは、からっぽになったティーカップに自らポットからお茶を注ぎ足しつつ、当たり前のような顔をして答える。
「なんでって、俺と君は夫婦なんだから当然じゃないか。夫婦が別々に部屋を取ったら逆に怪しまれる」
「だから夫婦じゃないってば!」
「残念ながら宿の人間はそう思っていない」
「それはあんたのせいでしょ!」
宿に入ったときに、宿の女将がにこにこと「新婚ですか?」と訊いてきた。セレアは即座に否定しようとしたのだが、その前にジルベールが肯定してしまったからややこしいことになったのだ。
ジルベールはティーカップに砂糖を一つ落としながら、聞き分けのない子供に諭すような口調で続ける。
「セレア。男女が二人で旅行している場合、たいてい想像されるのは三つだ。一、夫婦。二、恋人もしくは婚約者。三、兄弟。三の兄弟に関しては君と俺の顔立ちが似ていないから信用されない。残るは二つだが、二の場合、結婚前の男女が同じ部屋を使うと言うと、昔の考え方を持った人の中には眉を顰めるものもいるだろう。だから夫婦と言うことにした。わかったか?」
「わかるか!」
その言い方だと、あくまで「同じ部屋を使う」という前提のもとに動いていることになる。セレアは別々の部屋がよかったのだ。
「それに、二人きりじゃないわよ! ニナたちもいるじゃない!」
「使用人や護衛は数にカウントされない。そんなことより、いつまでも立ち尽くしていないで座ったらどうだ? 紅茶がぬるくなるし、あと、この焼き菓子はなかなか美味しいよ」
セレアはジルベールの前に置かれたクッキーやマドレーヌを見やった。これらは宿について早々、小腹がすいたと言ってジルベールが頼んだものだ。……香ばしいバターの香りがして、確かに美味しそうである。
セレアは葛藤したが、食欲に負けてジルベールの前の椅子に座った。
ジルベールはクッキーを一つ口に入れた。
「というか、いまさら何を恥じらっているんだろう。邸でも同じ部屋で寝ていたじゃないか」
「人聞きの悪い言い方しないで! あれはあんたがわたしのベッドに勝手にもぐりこんだんじゃない! それから恥ずかしいんじゃなくて、嫌なの!」
「そんな言い方、傷つくじゃないか」
「傷ついた顔をしてから言いなさいよ!」
セレアが怒れば怒るほど、ジルベールは楽しそうな顔になっている。
とうとうクツクツと喉の奥で笑いはじめたジルベールを、セレアはじっとり睨みつけた。
「セレア、俺はね、欲しいものは手に入れる主義だ。そして俺は君を手に入れると決めた。何と言おうと逃がすつもりはないし――逃げられないよ」
すっと菫色の瞳を細めて、最後に低い声で囁くように言ったジルベールに、セレアは思わずぞくりとした。
「それにね、俺はこれでも譲歩している方なんだ。なんなら実力行使に出たっていいんだよ? 君はなかなか勇ましいが、俺が本気になればいつだって君を手籠めにできる。でも、そんなのは嫌だろう?」
「当たり前でしょう!」
「だから、君が俺と結婚する気になるまで待っているんだ。優しいだろう?」
結局のところ逃がすつもりがないのなら、それは優しいとは言わない気がするが、セレアは余計なことを言うのはやめておこうと思った。ジルベールの言う通り、女であるセレアは、どうしたって男であるジルベールに力ではかなわない。ある程度抵抗はできても、アルマンの時のように気絶させられたら一巻の終わりだ。これ以上この話題でジルベールを刺激しない方がいい。
「ほら、甘いものでも食べて機嫌を直して」
セレアの機嫌が悪くなったのはジルベールのせいなのに、まるで他人事のように彼は言う。
ジルベールにクッキーを差し出されて、セレアは渋々それを一つ手に取った。
サクッと軽い食感のクッキーは、砕いたアーモンドが入っているようで、噛めば噛むほど味わいが出る。
(美味しいけど……なんかムカつく)
ジルベールは、甘いものでセレアの機嫌が直ると思っているのだろうか。
(ふん、こんなもので釣られるものですか)
そう思いつつも、セレアの手は、二枚、三枚とクッキーに伸びた。
「マドレーヌもどう?」
「……いただくわ」
クッキーを五枚食べたところで、次はマドレーヌを口に入れる。こちらもバターがたっぷりと使ってあってとても美味しい。
「食事はルームサービスにするが、メニューから好きなものを選ぶといい」
いつの間に入手したのか、ジルベールがディナーのメニュー表を差し出してきた。
ディナーはメインとデザートが選べるようだ。
(って、なんの料理なんだかさっぱりだわ)
メニューに書かれている料理名は、まるで呪文か異国の言葉のどちらかのようだ。
メニューを睨んだまま何も言わないセレアに、ジルベールが訝しがる。
「どれも気に入らなかった?」
「……あんたはどれにするの?」
「俺は一番上のにするが……ははあ、なるほど、何の料理かがわからないのか!」
図星をつかれて、セレアは真っ赤になった。
メニュー表を叩きつけるようにしてジルベールに返すと、彼は肩を揺らして笑い出した。
「仕方ないでしょ! 外食なんてしたことないのよ‼」
「ああ、わかった、わかったからそう怒るなよ。ちゃんと説明してやるから」
ジルベールがメニュー表を持って隣に移動してくる。
「一番上が鴨料理だ。これは季節の野菜とともにローストした鴨にフルーツソースがかけられている。二番目が子牛のステーキ。焼き方は選べるようになっていて、付け合わせにマッシュポテトがつく。三番目は鯛を焼いたものとキノコをソテーしたものにレモンソースがかかっている。デザートは、ショコラムースと、チョコレートのケーキ、それから季節のフルーツタルト、カスタードパイだ。さて、どれにする?」
「三つ目と、チョコレートのケーキ」
「わかった。俺は鴨とフルーツタルトにしよう。もちろんデザートは君に進呈するよ」
揶揄うように片目をつむって言われて、セレアは悔しくなる。きっと、チョコレートケーキとフルーツタルトで迷っていたことに気づかれたのだ。けれどそこでいらないと突っぱねられないのがセレアである。だって両方食べたい。
「ドリンクはどうする? 酒でないものも選べるが……」
「お酒で結構よ!」
もうこうなればたらふく食べて飲んで憂さ晴らしするしかない。
セレアは二つ目のマドレーヌを口の中に押し込んで、憤然と答えたのだった。
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